声を聴いているのは、僕一人じゃなかった

2020年5月、クローズアップ現代+の取材の経験から誕生したラジオ番組「みんなでひきこもりラジオ」
この1年で、全部で6回の放送を行ってきました。「あなたの声」とともに放送してきました。
MCを担当する中で、自分自身の考え方が大きく変わってきているのを実感しています。
1年たって思うようになったのは、「声を聴いているのは僕一人じゃない」、ということです。
(みんなでひきこもりラジオMC 栗原望アナウンサー)

「あなたの声」とともにつくる。と掲げて始まった番組。
これまで5回「放送する中で、8000件を超えるメッセージが私たちのもとに寄せられました。
当初の予想を超える大きな反響に驚くとともに、なかなか語ることのなかった体験を言葉にして届けてくれたことに、大きな責任感を感じています。胸が詰まるような「つらさ」、食事やお風呂、ヘアスタイル、好きな音楽など、暮らしの中にあるささやかな楽しみ、何より、「誰かとつながりたい」という強い思いを感じました。
こうした声を受け止めて、ラジオに乗せて届けていこうと毎回取り組んでいます。

始めた当初のおもい

去年5月、番組を立ち上げた当初、正直なところ「おそれ」を抱いていました。
自分の言葉で傷つけてしまわないか。そして、自分自身のキャラクターがリスナーにとって「嫌な存在」にならないかという心配がありました。
おそるおそる、やりとりをした第一回の放送で、リスナーのみなさんから暖かい声をたくさんいただきました。

その放送を経験し、感じたのは、こちらの記事、「“ひきこもり”コミュニケーションで支えたい」の中にもあるように、「なんとか支えられないか」という思いでした。
しかし、そんな「支えよう」という意識では、到底向き合いきれない声も多く寄せられるようになってきました。
そもそも僕たちは、支援のプロフェッショナルでもありません。いったい自分たちに何ができるのか。
立ち位置について悩みながら放送にあたってきました。

何も言えない。そこから生まれたこと

(ラジオブースのマイク。その先にリスナーがいるということを考えながら伝えています)。
これまで、僕はニュースや報道番組を担当していて、アナウンスの基本に忠実に伝えてきました。
「精度」と「明瞭さ」に価値を置いてきたように思います。
例えば、アナウンスの基本では、たっぷりと息を吸い込み、吐く息とともにお腹の響きで、声にする。
そして、文章の先頭の音は「高く」、末尾に従って「低く」。というものがあります。
ニュースなどがしっかりと伝わるための方法です。
しかし、本当にこういう声で伝えてよいものだろうか。迷いながら、伝えているというのが実情です。

例えば、もっとも悩むのが、本人の中で積もってきた辛さをなんとか言葉にして送ってくれたメッセージです。「生きる意味を考えてしまう」。「死にたい」。
辛さを吐き出してくれた、ギリギリの言葉だったのではないでしょうか。
例えば、一月の放送でいただいたメッセージを読みながら、どんなことを考えてきたのかをつづります。

香川県40代
今はなんとか生きてるけど、この先ひとりになったらどうやって生活したらいいのかと思うと不安で押しつぶされそうです。ずっと考えてしまいます。正直、生きていていいのか分からないです

これらは、1月の放送の時に、紹介したメッセージです。

メッセージに目を通すほんの数秒の中に、目まぐるしくいろいろなことを想像します。
マイクに向き合い、いざメッセージを目でとらえて、いざ読もうとしても、すぐに声が出せない。

滋賀県10代
次の週末に共通テストを控えた受験生です。年末年始は勉強に励んでいたのですが、3日から突然気分が落ち込み動けなくなってしまいました。塾にも学校にも行けず、一日中部屋で自分の生きる意味を考える日々が続いています。あした心療内科へ行こうと考えています

愛知県50代
発達障害、双極性障害、いじめ後遺症などの障害を抱えている当事者です。ひきこもりの一連の番組を見ていていつも思うことは、外に出ることができた成功例の多くは40歳以下の若い世代が多いです。世代が上の人たちは若いときに、いのちの電話、チャイルドライン、フリースクール、居場所、スクールカウンセラーなど、全く情報も救済機関も選択肢もありませんでした。多くは自己責任で責められて、とても悲しいです。今のような支援体制がもう少しあれば違っていたのにと、悔しいです

なんとか、慎重にひとつひとつの言葉をかみしめるように声に出していきます。

その途中で、だんだんと思うようになるのが、「なんという言葉で受け止めればいいのだろうか」ということです。

「生きているだけで意味がありますよ」
「こんな支援機関がありますから、こちらにつながってください」
「僕たちが支えになります」
頭の中に、いろいろな選択肢がよぎってきます。

ですが、そのどれもが、どうしてもただの、「正論」にすぎないのではないかと自問自答をしてしまいます。
こんな「正論」をいわれても、「きっと、そんなことはわかってるよ」とか「聞いてもらえなかった」という実感を抱かせてしまうとおもいます。だから、この言葉は言えない。

そうしていくうちに、自分の頭の中に、言葉の選択肢がほとんど残っていないことに気づくのです。
放送を聞きなおすと、しばしの「沈黙」。
なんとか絞り出したのが「送ってくれてありがとうございます」という言葉でした。

実感した“信頼”

僕が黙ってしまうその後、twitterのタイムラインが素早く動くのをみました。
実は、その間、メッセージを聞いていたのは、僕だけではなく、リスナーの「みんな」でした。

ふうさん
ラジオを通して、みなさんとつながれているような気がしました。つらいね。つらかったね、と想像力を働かせて心を寄せることしかできませんが、思いを吐露してくれた方々の気持ちが少しでも軽くなっていたらいいな。

Sayosayoさん
今日はラジオの向こう側がすぐそばにあるのを感じられました。

三日目のおでんさん
Twitterでリスナー同士でもお話ができる。リスナーの声、それがものすごく身近に感じる。

ルセアートさん
今この瞬間ラジオでのつながりをもったじゃないですか!

たぬきねいりさん
よく出てくれたね。思いぶつけて泣いてくれてもいいから。無理はせんでええよ。

マチルダさん
大丈夫、ラジオを聴いているみんながいるよ。

こうしたツイートを目にしたとき、支えているのは私ではなく、ラジオの前の「みんな」であるということを改めて実感しました。

放送の中で、私はたびたび「ひとりじゃない、と感じてもらえたら」とメッセージを発信しています。
まさにこうしたツイートや、メッセージを送ってくれた人たちが、ラジオの向こう側にいて、「リスナーが受け止めてくれているから大丈夫だ」という風により強く思うようになったからこそ、確信をもってことばにできるようになったのだと思っています。

声のあるほうへ

1月の放送の際にインタビューに答えてくれたうにまるさんは、放送後にこんなツイートを残してくれました。

うにまるさん
電波にのせて部屋から出ました(笑)

このツイートを見た時に、自分たちがしている放送の理想のイメージが改めて具体的になった気がします。
私自身も電波に乗って、お部屋にお邪魔して、いっしょにお菓子をたべて、ただただ、“あいづち”を打っている。実は、電波や通信回線を通して、ほかのリスナーたちもその近くにいる。そんなイメージです。
もしかしたら、ほんのちょっとの時間だけでも、「ひとりじゃない」とい感じてもらうくらいしか、僕たちにはできないのかもしれません。

この1年、8000を超えるリスナーからのメッセージを読み、「こもりびとの声は多様で優しい社会への招待状」なのではないかという思いを抱くようになりました。一人一人にあった学びの場、職場、そして家族の間でのパートナーシップ。メッセージは、「本当はこうあってほしいのに」、という社会への願いだとも感じています。

これからも、みなさんと一緒の時を過ごし、楽しい話や、辛い話をただただ聞く。
その声のあるほうへ、自分自身も変わっていきいながら、ラジオを通してつながっていけたらと思っています。

みんなでひきこもりラジオ
2月23日(火・祝)午後6時5分~7時55分、午後10時5分~55分。
テーマは…「眠れない夜、なにしてる?」 
メッセージ・リクエストは、
こちらから
大切に読ませていただきますので、安心して送ってください。お待ちしています!

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