ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル

ひきこもりからの回復 鍵は“他者からの承認”

就労訓練に通う俊行さん
就労訓練に通う俊行さん

「ひきこもり」という言葉が大きな注目を集めるようになったのは2000年前後。それから十数年。なぜ、今も多くの人がひきこもるのか。どう理解し、支えていけばよいのか。精神科医の斎藤環さんとともに、回復へのヒントを探ります。

ある青年の場合 きっかけは就職活動でのつまずき

新潟県に暮らす俊行さん(35)。6年間にわたるひきこもりから脱し、今、就労を目指しています。

中学・高校では「学級委員」を務めるなど人望がありスポーツも万能、たくさんの友達にも恵まれていた俊行さんがつまずくきっかけとなったのは、大学時代の就職活動でした。当時は「就職氷河期」。友人も皆就職活動で忙しく、また「心配をかけたくない」と思うあまり、家族にもSOSを出すことはできませんでした。

俊行さんは就職先が決まらないまま大学を卒業し、地元へと戻ってきました。23歳のとき「何とか正社員として働きたい」と考え、近所の小売店に“店長候補”として就職しました。しかし、次第に職場の人間関係に悩まされるようになります。眠れない日々が続き、精神的に追い詰められ医師から「うつ病」との診断を受けました。その後も何とか仕事を続けたものの、28歳のときにとうとう自宅から出ることができなくなってしまいました。

人の目線が気になり、外に出たいと思いながらも出られず、夜中に時おりコンビニに出掛ける以外は自宅にひきこもる生活は、その後6年間続きました。大学へも行かせてもらいながら、いまだに“社会的自立”もできていないことで両親への「申し訳ない」という気持ちが募るなか、社会復帰の壁になったのは恐怖心だったと俊行さんは語ります。

「『またクビになるんじゃないか』とか、精神的に不安定になって、『自殺に近いようなことをするんじゃないか」とか。』(俊行さん)
俊行さんのケースから伝わってきたのは、挫折体験を経て傷つき、ひきこもるようになってからもなお、再び社会参加したい気持ちを抱えながら葛藤する姿でした。

なぜ、ひきこもりから脱することは難しいのか? ~ひきこもりは“家族の問題”でもある

「思春期・青年期の精神病理学」が専門の筑波大学教授で精神科医の斎藤環さんは、1980年代からいち早くひきこもりの人たちの治療や研究に携わってきました。

斎藤さんが考案した『ひきこもりシステム』という仮説をもとに「なぜ、ひきこもりから脱することは難しいのか?」を考えていきます。

私たちの暮らすこの社会は「個人」、「家族」、そして「社会」によって構成されています。『通常システム』では、これら3つが相互に関係し合っています。これに対し、「個人」がひきこもった場合、「個人」は「社会」との接点だけでなく、その中間にある「家族」との接点も失ってしまいがちです。そして、「家族」もまた「社会」との接点を失ってしまうことが少なくありません。

「この『家族』も『個人』も悩んでいるのですけど、この問題を誰にも打ち明けられない。やっぱり世間体を気にしたりとか、“恥の意識”があったりとかして、誰とも相談できない状態。これは『家族』と『社会』が接点を喪失している状態と考えるわけですが、この状態のまずいところは、すごく安定性が高いんです。一旦こうなってしまうと、元に戻すのは難しい。」(斎藤さん)

「ひきこもり」は“個人の問題”と捉えがちですが、実はともに住んでいる“家族の問題”と考えることもできるのです。では、一旦でき上がってしまった『ひきこもりシステム』から脱するためには何が大切なのでしょうか。斎藤さんは「個人」と「社会」をつないでくれるような《家族以外の第三者》の介入が重要だと指摘します。

国が公表したひきこもり支援のガイドラインによると、最初のステップは『家族支援』から始まります。

「本人がひきこもっている場合、『家族支援』からじゃないと始められないということがあります。なぜかというと、当事者がなかなか治療を受けたがらない。心配している家族がまず相談にいって、その相談を受けて家庭での働きかけの仕方を変える、対応の仕方を変える。そして関係性が改善すると、やがて本人も現れて、治療を始めることができるという段階になります。」(斎藤さん)

「家族支援」はまた、「個人療法」が始まったあとも続きます。「個人療法」によって見えてくる当事者の意見を反映し、並行して進めていくことが大事です。

本人が歩み出し始めると、次の段階へと進んでいきます。「集団療法」「居場所の提供」の段階では家族以外の“第三者との接点”を持つことになります。支援の最終段階となるのが「就労支援」です。

斎藤さんは、本格的な社会参加の前に「集団療法」「居場所の提供」とワンクッション置くことで、安全にスムーズに「就労支援」へ進むことができると説明します。

新潟「ひきこもり外来」の現場から

では、具体的にはどういう支援が必要なのでしょうか。先ほど紹介した6年にわたって自宅にひきこもる生活を続けた俊之さんのケースを通して見てみましょう。

新潟県長岡市に、俊行さんが1年前から通う診療所があります。「ながおか心のクリニック」。ここには、全国でも珍しい『ひきこもり外来』があります。クリニックは“本人の状態”に合わせた段階的な支援を行い、着実な成果を上げてきました。

院長の精神科医・中垣内正和(なかがいと・まさかず)さんは、俊之さんにクリニックの一角で毎週水曜日に開かれている『居場所・パティオ』への参加を勧めました。これは「ひきこもり」という同じ体験を持つ者同士がおしゃべりをするなどして“他者との関わり”を取り戻すための場です。

俊行さんにとってここは、初めて自分以外の“ひきこもりの当事者”と出会う場となりました。俊行さんは、初めての日は何をしゃべっていいのか分からず、受け答えぐらいしかできなかったと、当時を振り返ります。

通院を始めて10か月目。中垣内さんは、学生時代に「ゼミ長」などをしていた経験を買い、俊行さんを「居場所」の“リーダー”に抜てきしました。

驚きながらも、人をまとめる経験のある自分がやるべきかなと思ったという俊行さん。その人に合った「役割」を与えることが回復につながると考えた中垣内医師の狙い通り、みるみる元気を取り戻していきました。

また、診療所では週に一度、親が「子どもとの関わり方」について学ぶ『家族会』も開催。このように『ひきこもり外来』『居場所』、そして『家族会』という“3つの支援”を1つの場所で受けることができる(ワンストップの支援)ため、回復に相乗効果があるといいます。

こうした仕組みは中垣内さんが長年専門としてきた「アルコール依存症の治療」をモデルとしています。

「アルコール依存症もひきこもりも“孤立の病”です。同じ課題を抱えた人たちが集まったり、それからそれを取り巻く家族たちが集まって悩みを話し合うということが有効だと。そういう共通点があると考えて、『居場所』とか『家族会』を支援しました。」(中垣内さん)

自宅にひきこもる生活を脱してから1年余り。俊行さんは去年秋から「就労移行支援事業所ワンながおか」に通い始めました。毎日決められた場所に通うのは、実に7年ぶりのことです。

就労移行支援事業所でビジネスマナーを学ぶ俊行さん

この事業所では診療所と連携し、企業での就労を目指す人のためにビジネスマナーやパソコンの技術などの訓練を実施する「就労移行支援」を行っています。

施設長の紺勝之さんは、ひきこもりの経験者の特徴として「ストレス耐性の弱さ」があることに注意して支援にあたっています。

「『本人の目線』から、“ちょっと上の目標設定”をしてそれを繰り返してクリアしていく。それをクリアしたらまたちょっと高めの設定をしていくと。それの繰り返しで、少しずつ少しずつ回復をしていくような設定をさせていただきます。」(紺さん)

新しい環境での様子や健康状態などの情報を共有するために、診療所と事業所のスタッフは定期的に利用者の状況について話し合う場を設けています。これも、診療所の受診から就労までを丁寧に支えていくための仕組みです。

「ひきこもりの人すべてが、それが“生き生きと生きる可能性”を持っていて一本の取り組みの筋を持って複数の大勢の色々な意見から最もいいアドバイスをしていけるという意味で『回復の可能性』も高くなる。今後はもっと“医療”と“福祉”が連携を進めるべきだと思います。」(中垣内さん)

“他者からの承認”が回復への力になる

病院が提供する「居場所」や「デイケア」以外にひきこもりの当事者同士が集まる場としては、自治体や家族会、NPOが運営するものがあります。

斎藤さんは、久しぶりにほぼ同世代の人たちと親しく交わることになるひきこもりの人たちにとって、「居場所」はひきこもりという同じ経験をしている人たちが中心であるため、安心して参加できるということが大きいといいます。

そこで少しでも親しい仲間ができてくると自信にもつながって次のステップに移行できるのです。自信の拠り所は様々ですが、いちばん基本となるのは「他者から承認してもらうこと」だといいます。

聞き手・町永俊雄さん(福祉ジャーナリスト)

「『家族は自分を認めてくれて当たり前』というのがあるので、いくら褒められてもあまり嬉しくない。ところが自分と利害関係がない、しかも『同世代の他者』から認めてもらえる。つまり、仲間にしてもらえるとか、あるいは彼氏彼女ができるとか、そういう『承認の経験』というのが非常に強力な“自信の基盤”を作ってくれるんです。もう一点付け加えると、長くひきこもっている人は、自分が何をしたいのかとか、自分が欲しいものが分からないことが多いのです。これは、ジャック・ラカンという精神分析家が『欲望は“他人の欲望”である』と言っていますが、私の言い方に直すと『欲望というのは“人からもらうもの”だ』となります。自分の中にいくら掘っても出てこないけど、人づきあいをしていくと自分の欲しいものが見えてくるということです。『居場所』の中で誰かが就労活動をして成功したという話を聞くと「あっ、俺も」と自然に思えるんですけど、これが親とか医師から「お前は就労した方がいいんだ」といくら言われてもその欲望につながらないのです。自然に意欲が出てくるいちばんの回路は、人がやっているのを見て刺激を受けることだと思いますので、そういった点でも『居場所』の機能は非常に大事だと思います。」(斎藤さん)

ひきこもりからの回復にはどのような支援や配慮が必要なのか?
回復を支える現場の取り組みからは、長い間ブランクを経験したひきこもりの人でも、再び社会とのつながりを取り戻すことができる“確かな道筋”が見えてきました。悩んでいる本人やご家族にとって、きっと大きなヒントとなるはずです。