ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル

自分を諦める、リセットする

お笑いコンビ、髭男爵の山田ルイ53世さん(43)。中学2年生の時から6年間のひきこもりを経験しました。勉強もスポーツも得意だった“神童”からの転落。そしてお笑い芸人へ。「ひきこもりの時間はむだだった」と話す山田さん。それでも「人生は何回でもリセットすればいい」と力強く話してくれました。

外の活気がしんどかった

(聞き手)
山田さんがひきこもりなったきっかけを教えてください。

(山田さん)
くだらない話ではあるんですけども、ひきこもりになったのは、中学2年の夏ぐらいなんですよ。きっかけは登校途中に、あ、これいいんすかね?、なんかちょっと、大きいほうを粗相してしまったという。通学途中で、えー、っていうのがきっかけですね。

一応それが引き金になったっていうことなんですけど、やっぱり行ってた中学が、結構自分で言うのもなんですけど進学校で、電車で2時間ぐらいかけて通学してて、駅から学校までがすっごい登り坂で、もうすごくしんどかったんで、勉強も結構やっぱりハードで、部活も一生懸命やってたもんですから、まあしんどい、疲れたっていうのが、すごく積もり積もってた、たまってたっていうのは間違いないです。

(聞き手)
ひきこもりが始まってからの期間は、どんな生活を過ごされてたんですか?

(山田さん)
基本、昼夜逆転になりますよね。やっぱりひきこもってる時って、活気がきついんですよ。活気がしんどいというか、普通に部屋の中に閉じこもっていても、やっぱり窓の外からなんとなく、キーンコーンカーンコーンとか、学校のチャイムの音聞こえてきたりとか、登下校の時間とか、家の前を通ってる小学生や中学生のキャッキャいうザワザワいう感じとかが窓の隙間からちょっと漏れ聞こえてきて、それ聞いてると、もう、こっちはもう人生が完全に停止した状態ですから、わ、みんな元気よくやってるなあっていうのがしんどかったですね。

だいぶ人生余ったなあ

(聞き手)
その当時、ご自身の中にあった感情というか、その気持ちをどういうふうに受け止めていたんですか?

(山田さん)
受け止めてたっていうか、なんかやっぱいちばん気持ちの中で大きくあったのは、うわ、もう、だいぶ人生余ったなあっていうことは、もうずーっとありました。

中学受験に挑戦したんですけれど、1人いるかいないぐらいの感じなんですよ、地元の中学行かんと、私立の中学行く子って。なんかそこで、変に優越感っていうか、ま、僕、「神童感」って呼んでましたけど、ちょっとなんかそういう勘違いがあって。で、中学1年ぐらいの時に、先生が三者面談みたいな親交えた話し合いの時に、このままいったら山田くん東大行けますよみたいな、今考えたらいらんことを言うんですけども、ちょっと親子ともどもなんかちょっと浮ついてもうて、でも学校行かれへんようなって、もうすべてを失ったような気持ちになって、もうほんとにやることないな、人生余ったなあっていう気持ちがすごくありました、当時は。

(聞き手)
それは焦りとかそういう感じとも、ちょっと違うのでしょうか?

(山田さん)
いや、焦りもありましたよ。やっぱり自分はこんな状況やのに、周りの子どもたちはどんどんどんどん前に進んで行ってる。だから、自分だけ完全にこの社会の動きから外れたというか、置いてけぼりをくらったっていう気持ちはすごくありましたね。

で、焦りもあるし、ただ、どうしていいかわからへん。学校行きゃいいんですけど、なんか朝になると、行く気力がなくなってるというか、やっぱり到底、外出られへんやろ、行かれへんやろっていう気持ちになっちゃうんですね。それでずーっと休んでましたね。

むしろ、社会の歯車になりたいと思った

(聞き手)
ひきこもりの定義は、なかなか難しいと思いますが、山田さんご自身がひきこもりだったと思う理由はなんですか?

(山田さん)
行動的なとこだけ言うたら部屋から出ないとかそういうことなんでしょうけど、結局、なんか僕の中ではひきこもってるっていうのは、世の中に参加してないというか、関係ない人になるっていうのがひきこもった状態かなとは思いますね。だからよく、歯車になりたくないとかね、親の敷いたレールの上をなんていう話がありますけども、もう、ものすごいやっぱ歯車になりたかったですよね、そん時ね。

なんかもう全然、自分だけ純正の部品じゃないというか、世間とか世の中とか社会とかとは、もう関係ない人になったなっていう思いがすごく強かったですね。

(聞き手)
アルバイトをされていたこともありますが、それでも社会の中に自分は入っていないという思いがあったっということですか?

(山田さん)
そうですね。やっぱジョギングとかバイトもそうやし、たまにちょっと外出るっていうのも、ほんとに息止めて外出てるみたいな、要するに毒ガスが充満してるところに息止めて、お札かなんかとってきて帰ってくるみたいな感覚でやってるから、もちろん全然社会に参加してるような感覚は全くないですし、やっぱり、しんどいですよ。

勉強と部活ができるだけの人だった

(聞き手)
ひきこもる前は、勉強ができてスポーツもできた生徒だったということでしたが、そこからの落差というか、ギャップがつらかったのでしょうか?

(山田さん)
そうですね、思い描いてた、ずーっとやってきた自分、今までやってきた自分のポジションがなくなって、もうそこに復帰できへんっていうのがやっぱり辛かったかな。しんどかったというのはありますね。

逆に言うたら、だから、勉強できて、部活できただけの人やったんですけどね、そう考えると。だからその学校であるとか、まあまあその親とか先生に褒められるようなこと、学校で勉強できます、部活すごい頑張ってます、いい子ですね、優秀な子ですね、以外のところがなかったから、学校休み始めたらやることがなくなったんすよ。

だから、逆に、いちばん学校に行っとかなあかん人やったんですよ。そこがやっぱり大事で中心のはずやのに、そこに行かへんってなったから、もうなんもないわっていうことですよ。

きっかけはニュースで見た成人式

(聞き手)
山田さんご自身は、その状況から脱出したっていうか、変わったというのはどのタイミングだと思っていますか?

(山田さん)
もうそれは20歳手前ぐらいの時なんですけど、そん時は父親と一緒に、瀬戸内海の小島でひきこもってたんですけど、ちょっと点々とひきこもってるという状況がありまして、で、テレビで成人式のニュース、風物詩的なやつを見た時に、ちょっとヤバいなと思ったんですよ。

その自分と同年代の人の成人式のニュースやったから、それまではなんか、いやいや、言うても取り返せますよと、勉強一つとっても、ちょっと勉強したら、俺やったらもう全然追いつけますっていう気持ちがあったんですけど、やっぱこの成人っていう、大人になるっていう、社会に出て行くっていうこのワードというか雰囲気が、めちゃめちゃ焦ったんですよ。うわ、もう射程圏外に行くと、同世代、同期がもう全然手の届かへんところに行ってしまうっていう焦りがあって。今なんとかしとかんと、ほんとにもう、何もかもが取り返しつかなくなるっていう気持ちですね。で、ちょっと、やらなあかんなってなって、大検とって大学にちょっともぐりこむ形になるんですけど。

とりあえずやる

(聞き手)
行動以外に内面も変わることができたんですか?

(山田さん)
結局、なんていうんですかね、ちょっと諦めてるというか、今まで自分が思い描いてたような自分とか将来にはもうならんなっていうのは、もううすうすというか、もうはっきり気付けよって話なんですけど、ようやくちょっと受け入れ出してきたような時期ではあったかもしんないです。

だから大検とって、大学入りますっていうのも、別に、よーし社会復帰するぞ、俺戻るぞ、戦線復帰やーっていう、華々しい気持ちではなくて、もうずーっと斜面はずりずりずりずり落ちてるんですけど、どっかこの指引っかかるとこないかなあっていう感じ。落ちてるんですけど、落ちてるのとりあえず途中で止めな、いちばんもう、ほんとに下に奈落の底に行ってしまうっていう気持ちがすごくあって、緊急避難的にはやっぱり、なんかちょっとせなあかんという。

そういう時にちょっと思ったのが、僕結構、完璧主義みたいなとこあって、なんでもキチキチっともう全部ちゃんとしないと前に進めないみたいな考え方をしてたんですよ。それが、当時。とりあえずやろうっていうのを、このとりあえずっていう言葉が、すごく僕は、今でもですけど、強い言葉やなと思ってる。とりあえずやるって思うことによって、とりあえず前に進めるんですよね。一歩でも1ミリでも。だから、今でもそれはすごく心がけてますね。

芸人しか選択肢がなくて・・

(聞き手)
そこから大学に通って、お笑いのほうにも進んでいくことになりますが、完全に自分はひきこもりじゃないと思えるようになったのは、当時そう意識してたかどうかは別ですけども、いつだと思いますか?

(山田さん)
ご存じかわかんないですけど、一回だけまあまあ売れたんです、俺(笑)。2008年のことなんですけども、一回髭男爵として、まあ、ちょっとだけ売れさせていただいて、そのご飯食べられるようになったていうとこぐらいまでは、結局ひきこもってるようなもんやなっていうのは、最近すごく思います。結局、大学行ったりとか、東京出てきて、お笑い芸人やろうとかって、形の上では社会には出てきてるんですけど、やっぱりさっきから言うてる、すごく人生が余ったなっていう気持ちと、俺関係ないなっていうのは、一回ちょっと売れる時まで、ずーっとあったんですよね。

結局、なんで芸人やってるかって言ったら、もう学歴的に履歴書ボロボロで、どう考えても就職でけへんなっていうのが自分の中にあったんで、お笑いやめたら、いよいよほんとにやることなくなるなっていう気持ちが大きくて続けてたから、別に絶対、お笑い大好きで、俺はもう絶対芸人で成功すんのやーっていう気持ちではなかったんです。単純にひきこもったことで、いろんな選択肢がなくなって、芸人それだけ残ってたっていうだけのことなんですよね。

だから薄皮というか、薄いガラス1枚隔てて同じ景色の中にはいるんですけど、みんなと同じ時間は生きてない。その時間差でちょっと浦島太郎状態になったというか、ひきこもりは全然竜宮城ではないんですけど、楽しくはないんですけど、なんか、みんなと生きていくっていうこの時間の流れから一回外れてしまったから、なんかもう関係ない感じになっちゃった。

でもご飯食べられるようになってから、やっぱりそれは変わりましたけどね、手応えとかもありましたし、「やった!ちょっと成功した」っていう充実感とかもありましたし、そのへんからちょっとずつ取り戻してきて、結婚して娘生まれたぐらいで、まあやっとちょっと真っ当になったかなというのはありますけど。

(聞き手)
何か好きなことを見つけるとか、居場所を見つけることが大事だともいいますけど、それとはちょっと違うということですね。お笑いが山田さんにとっての居場所だったとかっていう感覚でもない?

(山田さん)
それはね、ちょっと残念ながら違うんですよ。お笑い始めた時も、上京して来る時も、何とか入った大学でも最初の履修ガイダンス的なところでミスして、早々に4年で卒業できないというのがわかったんですよ。

で、これいよいよやなと。さっきも言いましたが、学歴、履歴書的に考えたらボロボロやし。で、たまたまその時に先輩が、なんか学園祭で漫才やらへんかって誘ってくれて。ほんで、もうどうせ勉強、勉学のほうでもう無理やから、完全に土俵ずらさな、みたいな、ちょっとリセット願望みたいなとこ僕すごく強いんで、それできただけなんですよね。

ひきこもり期間は「むだ」それでいい

(聞き手)
逆にそういうものがなくてもやり直せるということなんですね。

(山田さん)
でもそうですね、やっぱり何ていうんですか、別にひきこもってることって、生き方としてたぶん僕は下手やと思うし、間違ってるかもしれんけど、別に善悪で言うたら別に悪ではないわけですよ。

やっぱりこういう取材していただく時に、もうほんとにそういうテンプレートみたいなものがあんのかなって思うんですけど、大概の人が「まあまあ、でもそのひきこもってた6年間があったから、今の山田さんがあるんですもんね」みたいな、ものすごい手柄顔で聞いてきはる人が、それはもちろんいいんですけど、全然。あるんですけど、ほんとに自分だけ、僕個人にかぎって言えば、ほんとにあの6年間ひきこもってた時期というのは、僕はほんとに無、完全に無であったと思ってるんです。やっぱり、その期間中、友達と遊んだり勉強したり、花火したりバーベキューしたりのほうが、人生としてそれはまあ充実してるのは間違いないんで。

だから、僕はやっぱりそのすごくむだやったなと思ってるんですけど。でも、けっこう世間の多くの人が、それをむだやったと言うことを許してくれない風潮みたいなんがちょっとあって、「いやいや、それでもそのひきこもってた期間が今のあなたの糧になってるんですよね。って僕は思いますよ」ぐらい、おっしゃる人、おっしゃりたい人というのがいるんですよ。

そういうところに、なんかしんどいなって思う。むだはむだでいいじゃないのっていう、そんなに自分の人生が隅々まで何かしらの栄養がないとあかんのかっていう。実際の人間とか人生っていうの違うじゃないですか。みんな、もうむだなとこだらけですよ、本当はね。でもなんかむだを許してくれない感じがあると思うので、やっぱそれはしんどいなと思う。

(聞き手)
当時6年間の過去の自分、どんなことを言いたいですか?

(山田さん)
その質問もよくあるんです(笑)。ま、でも聞かざるをえないですもんね、まあでも、そのひきこもって何年目の自分かわかりませんけど、初期の段階やったら、「やめとけ、やめとけ」っていうのは言いたいですね。

もちろんむだやったというのは自分にかぎってのことですよ。いろんな考え方でいろんなケースがあるから、当然そうじゃない人もいるやろし、それはもちろんそうなんですけど、なんかこの言葉とかこの考え方を言ったから、その人がハッと気づいて、次の日からカーテンをシャッと開けて、洗いざらしのシャツ来て外飛び出して行きました、みたいな言葉はないと思うんです(笑)。それはありゃいいんですけど、あればあるに越したことはないんですけど、当時の自分の考え方とか心境を思い出してると、大概何言われても、ひきこもってると受け付けないっていう場合が多いと思うんですよ。

リセットしてやり直せばいい

(聞き手)
「リセット願望」という言葉がありましたけれども、新しく人生を生きるみたいなイメージだと思うんですけど、それは確かに大切なことですね。

(山田さん)
僕、本当にリセット大賛成の人間なんで。そんなもん人生で何回もリセットするべきやと僕は思いますね。いつまでも過去の自分、昔の自分がって、結局それはストーリーというか、人生が続いてるっていうふうに思う人もいるかもしれませんけど、人によってはただの足かせですからそれは。鉄の靴、磁石の靴はいて、ずーっと砂鉄がどんどんどんどんついてるみたいな状況の人もいるわけですから、それやったらもうリセットして、もう一回やり直せばいいと思う。

諦めることで見つかる新たな可能性

(山田さん)
あと、だからある程度やっぱり自分を諦めてあげるというのもすごく大事やなと思うんですよ。なんか諦めるってなると響きが悪いですし、あんまりよくないほうに捉われがちですけど、これはもう無理なんや、できへんのやっていう、諦めて、この可能性を消してあげることによって、むしろできることが見つかるかもしんないですし。

誰しもが主人公にならなくていい

(聞き手)
今ひきこもりの人というのが、全国で100万人以上いるんじゃないかとも言われているのですが、なぜそんなに多くの人がひきこもりの状況になってると思いますか?

(山田さん)
いや、わかんないすよ。学者先生じゃないですから(笑)。まあでも何ですかね、僕の経験だけで言わしてもらうと、さっきの自分を諦めてあげることってすごく大事やなって。なんか、どうしても今って、是が非でも人生とか生き様とかに意味がないと、意味がないというか、キラキラしとかないと、生きてる価値がないみたいな、要するに、みんなが主人公だとか、みんなキラキラしてないとだめだ。そのキラキラした生き方が最高で、いちばんいいんだっていうその圧力みたいなんがすごく充満してると思うんですよ。

やっぱり、誰しも主人公にはなれないし、ならなくてもいいしね。実際問題、世の中のけっこうな大部分の人は、そういう主人公や何やという言い方でいうなら、もうエキストラなんですよっていうのを、別に言う人がいてもいいんじゃないかなと思うんですよ。

生きるハードルが高くなりすぎている

(山田さん)
だからその変な話ね、「1億総活躍」とかね、そういう言葉も出てきたりしましたけど、おかしな話で、1億総活躍してたら、相対的にだれも活躍してないです、これは。結局、活躍って何やねんってなったら、だれかが活躍してないってことなんですよ。相対的なもんですから、やっぱり。て、考えると、現実はそうなんだから、あまりにもそのみんなのなんか生きるハードルみたいなんが、けっこう徐々に上がりすぎてて、もはやくぐるしかないような状態になってるんじゃないかなって、そういうことももしかしたら、ひきこもりの人が増えてる原因なのかなとか思ったりもしますけどね。

気持ちはわかるよ、それだけ

(聞き手)
山田さんの中では、社会の中に入れたことが、ひきこもりから抜けるというゴールなのでしょうか?

(山田さん)
僕の場合はそうです、もう本当に。まあ普通にその社会の中に入れた、生活できてってということが、一応ひきこもりを脱することができたかなということなんですかね。でも、ひきこもってても、生活できてりゃ別にいいんですけどね。そのひきこもってるという状態を、その何ですか、ご本人が苦しんでたらあれですけどね、生活できてりゃ別にいいなという感じもしますけどね。

(聞き手)
今の状況から抜けたいなと思っている人たちに何か言ってあげたいこととか、伝えたいことはありますか?

(山田さん)
これもだからね、なかなか魔法の言葉はないんですよね。だから「わかるよ」っていうことしかないです、僕は。いや、その全員、全員の気持ちはわからないですけど、僕に似たようなケースのひきこもりの人であれば、「いやいや、気持ちわかるよ」っていうことは言ってあげたいですけど。こうしたらその状況から抜け出せるぜっていうのは、それは僕は持ってないですね、それは。「わかる、わかる」ということだけですね。