ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル ひきこもクライシス“100万人”のサバイバル

自分で自分の居場所を作る

当時29歳という史上最年少でJASDAQ市場に上場を達成した起業家の家入一真さん。日本最大規模のクラウドファンディングサービスやカフェ・シェアハウスの運営など、「人が集まる場作り」をする注目の起業家です。家入さんは、中学時代から登校拒否、ひきこもりを経験。就職した会社も雰囲気になじめず、すぐにやめてしまうなど「常に逃げ続けてきた」と言います。その一方で「逃げることは別の方向に向かっているとも言える」と考えています。

ひきこもりは世界で自分だけだと思っていた

(聞き手)
もともとはクラスの盛り上げ役だったにもかかわらず、友人とのささいなけんかから集団のいじめに遭いひきこもりになったと聞きました。当時はどんな心境でしたか。

(家入さん)
僕の場合は中2で学校に行けなくなって、人生終わったと思い込んでいました。長男だったのでそれなりに期待されてた部分もあったと思うんですけど、親にも申し訳ないって思って家に居場所もないし、家から出たところでその同級生と会うのは怖いので、数年ずっとひきこもっていて。いくつか深夜のバイトとかやってみたんですけどそれもやっぱり、なかなかうまくコミュニケーションが取れずに結局途中からもいかなくなってしまう。みたいなのを何度も何度も繰り返していて。

当時はまだインターネットもない時代で本当にすごい断絶されている感はすごくありました。

ひきこもりという言葉があったのかわからないですけど自分以外にそういう子がいるなんて、つながりようもないですし想像もできない。世界中で、中学校で落ちこぼれて家にひきこもっているのは自分だけなんじゃないかって思っていましたね。

僕の知らないところでみんな生きている

(聞き手)
いちばんひきこもっていたときの心象風景は覚えていますか。

(家入さん)
生活リズムは昼夜逆転していました。そのとき自分の部屋から遠くのマンションの明かりとかをずっと見ていました。ああ今帰ってきたんだなとか、今から寝るとこなのかな、そういうのぼやーっと見てて。何か一生で会わないであろう、一生知り合えないだろ人たちが、僕の知らないところで、僕と関係なく生きているっていうのを、ずっと見てたっていうのは、今でも覚えています。今でもそれたまにやっちゃいますね。

例えば高速を走っているときに遠くに見える光とか。あとそれこそ渋谷のスクランブル交差点とか歩いてると急にそういう感覚に。たくさん人がいて通り過ぎていくけど、ほとんどの人とは二度と会うこともないでしょうし、知り合う事もないだろうし、僕のことなんかも誰も知らないし。急にふと「ひとりだ」みたいに思う瞬間があるんです。でもそれは嫌いではないですね。

母に連れられ山田かまちの個展へ

(聞き手)
ひきこもりの時期から変化していくきっかけになったのはなんでしたか。

(家入さん)
母はどうにかして僕が外に出るようになってほしいからいろいろと提案してくるんですよ。ひきこもった人の本とか、こんなイベントやってるから行ってみないとか。僕からすると本当にほっといてくれよっていう感じなんですけど。もう何かしらずっとこうおせっかいのような状況で、提案が来るんですね。基本的に僕は無視していて。

けど、山田かまちっていう若くして亡くなったアーティストの個展がちょうど地元(福岡)であるっていうことをいつもと同じように母親から誘われて。なぜかそれはちょっと行ってみたいなと思ったんですよね。2人で百貨店の展示コーナーに行って、すごい衝撃を受けた。山田かまちは17歳で亡くなった作家なんですけど僕も当時17歳で。かまちは詩を書いたり、激しい絵を描いたり、歌も音楽もやっていたし。でもあるときエレキギターで感電して死んでしまうんですね。

一方、僕は何やってるんだろうっていうのですごい突きつけられた感じがして。そこから家に帰ってそういえば絵好きだったから僕も絵をやろうって思った。

ただ描くものがないんで、僕ずっと左利きなんですけど自分の右手ばっかりを描き続けていた(笑)。ちゃんと体系立てて学びたいと思って絵の学校に行きたいっていう風につながっていったので、両親に関してはそうやってきっかけを一方的に投げかけてくれたことにすごい感謝をしています。

新聞配達という″小さな結び目″

(家入さん)
油絵をやりたいって思い始めたので芸大の予備校に行きたかったんですけど、うちは貧しかったので学費が出せない。だから新聞奨学生で住み込みで新聞配達を始めた。

正直すごいしんどかったですけど新聞配達をしている間は、とりあえず誰ともコミュニケーション取らなくていいので、目の前の仕事が終わったらあいさつもそこそこに自分の部屋にもひきこもるみたいな。

でも今思うと、体を動かせばとりあえずできる仕事がそこにあってやるべき仕事がそこにあって、過度なコミュニケーションも求められない。

あれが1つの僕にとってのリハビリだったんだなと思っています。

雨の日とか雪の日とか大変な日もあるんですけど、おじいちゃんおばあちゃんとかがいつもありがとねって言ってヤクルトくれたりとか。なんかそういう接点が少しずつ増えていくんです。やっぱり無理ってなったり、無断で行かない日が続いたりとかもちろんありました。でもちょっとポストに入れるのがうまくなったとか、新聞配達のスキル上がってるなっていうのが小さな自信につながったり。もちろん焦りもありますよ。でも何かいきなり社会との強い結び目をつくろうとしても、きっと心弱い人たちって難しくて。ちっちゃい結び目を作りながら、解けながらを繰り返しながら少しずつ前に進んでいくしかないのかなとかって思ったりするんです。

起業は残された最後の選択

(家入さん)
でも結局大学には進めなくて。父親が事故に遭ったので働かざるをえなくなって何度か就職したんですが、やっぱりうまくいかなくて。クビになってクビになって。これじゃあ僕は生きていけないと思って、で、起業したんです。

いわゆる日本一の会社になるとか夢を持った起業とかじゃなくて、消去法で最後に残されたひとつだった。

自分でビジネスやるしか生きていけないぐらいの感じだった。なんか足元見て歩いてる感じですよね、僕は遠くを見て歩くとか夢を語るとか苦手なタイプなので。日々自分がやるべき事やるみたいに歩いてきたんだけど、ふと自分が歩んできた道を振り返ってみると起点となったのはひきこもりのときの体験があったからなのかなって思いますね。

おかえりと言ってもらえる居場所を作る

(家入さん)
それまでどこ行っても居場所がないっていう感覚がすごく強くて。もちろん学校もだし家もだし、新聞配達でも働いてるうちは忘れられたけど、ここは居場所じゃないなって思いましたし。だけど自分で作った会社、自分で作った居場所にスタッフが集まってきてくれて、社員が結婚して子どもが生まれたとか、この会社があってよかったって言ってもらえたりとか。そういうので、僕もここにていいんだなって思えるようになった。自分で自分の居場所を作っていくみたいなものをただずっと繰り返してるだけで、何度もいろんな会社を作ってきました。

僕にとっての居場所って、お帰りって言ってもらえる場所だと思っていて。居場所っていうものを介していろんな子たちが滞在してすれ違って出ていってっていうことをするわけですけど。そんな子たちが数年後とかにやっぱうまくいかなかったと言って戻ってきたとき、そのときに全然知らない人たちがいたとしてもお帰りって言ってあげられると思うんですよね。そういうコミュニティーを作っていきたいし、そういう場所があると、人ってチャレンジとかできるんじゃないかなと思う。

ライオンから逃げるウサギのように

(聞き手)
家入さんの本やツイッターを見ていると良く出てくる言葉が「逃げる」「逃げ続ける」。解決に向かうではなくてとにかく逃げていいという考えがすごく印象的ですが、それはやはりひきこもったという経験があったから言えることですか。

(家入さん)
ある意味僕は防衛本能にすごく優れていたんだと思うんです。僕は自分のメンタルが本当にダメになる前に逃げるんです。これ以上学校に行ったら死んでしまうかもしれない、何回か就職したときも自分このまま会社行こうとしてそのまま死んじゃうかもしれないみたいな。っていうときにとりあえず逃げようって。社会人としてはホント最低かもしれないですね。会社に連絡もいれずに急に行かなくなるので。会社からすると大慌てですよね。なんですけどまずは逃げなきゃというタイプだったから生きてこれたんです。逃げることができずに自分で死を選んでしまった人のニュースをみると本当につらい。そんなことになるくらいなら周りにどんなに迷惑をかけても逃げてほしい。逃げて逃げて逃げて、逃げ疲れたところで体勢を整えたらいい。

ウサギとライオンを僕はよくイメージするんですけど。ウサギってあの長い耳で危険を察知してライオンが来るってわかったらいちもくさんに逃げるわけじゃないですか。なんで動物でもできることが、人間だとライオンを目の前にして「闘え」ってみんなが押しつけるんだろう。ウサギに対してライオンと闘えって押しつけるなんて明らかにおかしいし無謀だし。やっぱり生きているといじめだったりパワハラだったり時には震災だったり、いろんな理不尽なライオンみたいなものが目の前に現れてくると思うんですよ、誰しも。そのときに逃げるっていう選択肢をひとつ持っておくだけでも、逃げるっていうのは視点を変えてみれば別の方向に向かっているとも言えますしね。

大人の役割は0.1%のきっかけを提示し続けること

(家入さん)
僕は今子どもがいますし、将来的に子どもがひきこもったらとか考えます。あとはひきこもりを抱えたお母さんとか両親がたまに相談に来るんですけど。僕にできることってきっと、無理やり引っ張り出すとか、自分の価値観を押しつけることじゃなくて、99.9%はスルーされるかもしれないけどそれでも0.1%にかけてきっかけを提示し続けることなんじゃないかというふうに思っていて。

こういうのもあるよこういうのもあるよっていう選択肢を提示し続けることが、大人の役割だったり親の役割だってするのかっていうふうに思います。

(聞き手)
それに反応してくれることのほうが可能性としては限りなく低いかもしれないですね。

(家入さん)
そうそう。これは僕自身の人生観にもつながってはいるんですけど、見返りを求めようとするとすごくつらくなってしまう。自分がこれだけあなたのためにこんなことしてあげてるのに答えてくれないっていうのが、結局自分自身もつらくなっていっちゃうし、相手に対してもそれを押しつけてしまうことになるんじゃないですか。それって恋愛とか友情とかいろんな関係にあると思うんです。

自分はお前の事を思ってこんなにやってんのに。それって本当の仲間や友情なのかっていわれたときに違う。提示するということ。みんな、何かしらその人が生きる場所が絶対どこかにあるっていうふうに僕は信じてるし、そうありたいと思うし、そういう社会がいいなと思う。

世界はめっちゃ広いよ

(聞き手)
最後に、今の家入さんからひきこもっている若かりしころの家入さんに会えたとして、なにかかける言葉がありますか。

(家入さん)
今でも思います、それ。世界はめっちゃ広いよっていうことを言いたいなと思いますね。自分は一生このままハブられて、断絶したまま生きていくんだっていう絶望しかなかったですし。いじめてきた子の顔とか発言とかいまだに覚えてたりもしますけど、僕は大人になってみてすべてが小さかったなってすごく思ったので、大丈夫だよって言ってあげたいですけどね。

学校行かなくても今いる場所からのけ者にされても全然違う場所はたくさんあるし、自分で場所を作ることだってできる。今も年に数回くらい、どうしても心的に、行かなきゃ行けないんだけど行けないときがある。子どもの時から変わってないですね。せめてすいませんきょうちょっと行けそうにないですってひと言電話入れたらいいじゃないですか。それができないんですよ、申し訳なさすぎて。アポイントの時間にどんどん近づいていけば行くほどもういまさら送ってもダメだってなって。待ち合わせの時間になって、あぁもう終わったってなって。じゃんじゃん電話とか入ってたりしてももう電話鳴るのもつらいから、布団被って寝るみたいな。開き直っているわけじゃないですよ。遅刻するのもドタキャンするのも本当にすごい申し訳ない気持ちでしているので。申し訳なさすぎて連絡できなくなるみたいな。なんの言い訳にもならないですけど。