森永卓郎さん「とてつもない大転落」

経済評論家として活躍している森永卓郎さん。平成15年に出版した「年収300万円時代を生き抜く経済学」などの著書で、早くから日本における格差拡大の到来を指摘してきました。平成の時代、日本経済はどう変化したのか、そして未来の日本はどうなっていくのか、話を聞きました。(聞き手:ネットワーク報道部記者 管野彰彦)

平成の時代とは?

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やっぱり平成はですね、「転落と格差」の30年だったんだと、私は思っています。

――転落と格差だと思われる理由はどんなところでしょうか?

特にこの20年ちょっとで顕著なんですけれども、日本の世界に対するGDPのシェア、日本経済が世界のどれだけの割合を占めているのかっていうのは、例えば1995年は18パーセントだったんです。それが直近では6%まで落ちた。つまり日本経済の世界でのシェアが20年余りで3分の1に転落したんですね。この事は裏返すと世界の普通並の経済成長をしていたら、われわれの所得は今の3倍になっていたっていう事なんですね。これは実はじわじわ来たので、みんなあんまり感じてないかもしれないんですけれども、その世界シェアっていう面で見ると、とてつもない大転落を日本経済が起こしてしまったっていうこの30年の歴史なんだと思います。

実はですね、これは人口減少だとか、あるいは高齢化のせいだっていう事を言う人がいて、それを多くの国民が信じているんですけども、全くのうそなんですよ。なぜかっていうとこの期間にですね、人口はわずかですけど増えています(※1)。それから労働力も実はわずかですけど増えているんですね。つまり人口も増えている、働く人も増えている。にもかかわらず日本経済が3分の1、2に大転落したっていうのが、この20~30年の歴史っていう事になるんだと思います。

(※1)約1億2361万人(平成2年)→約1億2709万人(平成27年)総務省「国勢調査」より。

――それはどういった要因でなったとお考えです?

端的に言うと構造改革がもたらしたんだと思います。典型的には小泉政権の時に起こったんですけれども、不良債権処理っていうお題目で、ここにはメディアもみんな乗っかったんですけれども、潰す必要のない企業っていうのを軒並み潰して、それを二束三文でハゲタカに売り渡すという事をやったんですね。

その結果、日本が日本のものではなくなってしまっていった中で、労働分配率(※2)がどんどん下がっていく。実はこれ統計の取り方によって違うんですけれども、かつて平成に入る前っていうのは、日本は世界でも労働分配率が高い分類の国だったんですね。それがどんどん転落して、今や世界最低水準になっている。

(※2)労働分配率=企業などが生産した付加価値のうち、給料など人件費に回された割合。

つまりですね、日本の会社が海外あるいはハゲタカのものになって、しかもそこで稼ぐお金を全部ハゲタカが持っていって労働者に分配しない。この構造の中で、一気に大転落が起きて、その結果、なにが起こったかっていうと、とてつもない格差の拡大っていうのがこの平成の間に起こったんだと私は見ています。

かつては考えられなかった事態に

――格差の拡大という意味では、森永さんは15年ぐらい前から著書などで年収300万円時代の到来という事を書いていらっしゃいますが、どういった所で格差の拡大は起きたのでしょうか?

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実はですね、この平成の前半と後半では格差の拡大要因が異なっているんですね。
平成の前半で起きた格差拡大っていうのは、正社員がどんどんリストラされて非正社員になっていく、つまり下が拡大するっていう形の格差拡大で、これは止まったわけではなくて、じわじわと今でも進んでいるんですけれども、平成の後半で起きた格差拡大っていうのは、実は富裕層がとてつもなく増えたっていう形の格差拡大なんですね。

例えばフランスのコンサルティング会社が、ワールドウェルスレポートっていう世界富裕層報告っていうのを出しているんですが、昨年版で見ると、日本には100万ドル、1億1000万円以上の投資家の資産、つまり自宅とか車とかそういう投資用じゃない資産を除いて、純粋に右から左に動かせるお金を1億1000万円以上を持っている富裕層がですね、なんと316万人もいる。

これは実はアメリカに次いで世界第2位で、中国よりも多いですよ。今や日本経済の3倍ぐらいある中国経済も日本の富裕層の方が実はまだ多いんですね。しかもこの300万人もいる富裕層の大部分が、実は働いていないんです。
昭和の時代も富裕層はいたんです。でも例えば松下幸之助にしろ、本田宗一郎にしろ、なにかビジネスをして新しいものを生み出して、実業でお金持ちになってたんですよ。だけど、今の富裕層のほとんどは、仕事をしてない、お金にお金を稼がせて、とてつもなくお金持ちになるっていう人たちが爆発的に増えている。
一方、庶民はずるずる転落していっているという形の格差拡大が、平成の後半で起きたことなんだろうなと思います。

――かつては総中流社会とも呼ばれていましたけども、今おっしゃったような状況になってきたその転換点というのはどこだったとお考えですか?

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いくつか転換点はあるんですけれども。平成に入ると同時に、例えば厚生労働省が労働政策を大転換するんですね。それまで雇用調整助成金を一生懸命出して、企業になるべくクビにしないでください。終身雇用を守ってくださいっていうのを一生懸命働きかけたんですけど、その方針を変えてその円滑な労働移動というふうに言い出して、どんどんこう会社をかわれるような仕組みっていうのを支援していきましょうという方向に政策のかじ取りを変えるんですね。

そういう環境の中で一番大きかったのは、小泉内閣が成立して構造改革、不良債権処理でどんどん会社はつぶすぞって、その時に不良債権処理は失業と倒産を増やすのでよくないっていう批判に対して、当時の小泉首相はですね、「失業や倒産を恐れずに断行すると、これが構造改革だ」っていうふうに言って、雇用を守るっていうのは、私が役所で働いてた時も政府に課せられたいちばんの責務だって、私はずっと言われて育ってきたんですけれども、ある意味で行政のトップである総理大臣がですね。失業が増えたって構わないんだと、おそらく日本の歴史上、そういう事言った総理大臣は初めてだったんだと思います。

現実にどんどん失業をして、結局、再就職先がなくてどんどん非正社員に転落していったと。さらにですね、リーマンショックのあとの派遣労働者たちは、次々にくびを切られて、東京の日比谷公園には年越し派遣村までできるっていう、かつての日本では考えられなかった事態っていうのがこの平成の時代に起こったんだと思います。

働かずに価値が生まれる時代に

――森永さんも早くから正社員、非正社員の格差が拡大するとか、一度転落したらなかなか上がれなくなる時代が来ると指摘されていますけれども、それが15年ぐらい前だと思うんですが、そこから後半の15年というのは想像していたとおりでしょうか?

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私は下方向の格差拡大は予想していたんですけれども、これほどとてつもない数の富裕層が日本に生まれるとは夢にも思っていませんでした。そこはまったく予想しなかった事態ですね。ちょっとした運とか思いつきとかで、若者が一夜にして何億、何十億っていうお金を稼いでしまう、サラリーマンが一生かけて稼ぐお金の10倍以上の金を一瞬で稼いでしまうなんていう事が起こるとは思いませんでした。

特に私はあの仮想通貨については、当初からバブルだからやめなさいっていう話をしていたんですけれども、その中でもどんどん上がっていってですね、 “億り人” (※3)って言われる人たちっていうのが大量に生まれた。

(※3)億り人=株式投資や仮想通貨取引などで億単位の利益をあげた人を指す言葉。

彼らは別に働かなくたっていいじゃん、だって、投資でいくらでももうけられるんだからっていう発想になってしまった。そういう感性に日本人が変わるってことは全く想像してませんでしたね。

――仮想通貨は高校生でも1000万円単位の利益を出したという話を聞いて、やはりその辺はちょっと想像を超えた事態ですよね。

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そうですね。例えば通貨、われわれが使っている日本銀行券っていうのは、紙を刷ってるだけじゃなくて、実は日銀券を出す時に、日銀は国債だとか株だとか不動産投資信託とか買って代金としてあの札を出すんですね。必ずバックに資産があるんです、裏付けがあるんですよ。ところが仮想通貨は全くないんですね。だから下がる時は無限に下がっていくし、上がる時は需給だけで値段が決まるので無限に上がっていく。

そこで勝ったやつの勝ちっていう社会になっていった。私は正直言ってそこは、自分で本当についていけなかったですね。

――その人自体に価値を見いだすサービス、例えばVALU(※4)のような、人だったりその人の時間にお金を投資するみたいなサービスも広がってきましたよね。

(※4)VALU=個人のやりたい事などに対し、賛同した人がトークンと呼ばれる仮想コインを購入することで応援するサービス。トークン自体の売買も可能。

そのVALUをね、私はすごくショックだったのは、例えば一般の株式であれば、その株を買った人は議決権を有するんです。つまり一種の会社のオーナーになれるわけですね。会社を動かせるわけです。

ところが、このVALUの場合は、別に買ったからといって議決権を持たないんですよ。例えば株主優待のようなサービスは推奨はされているんですけれども、してない人もたくさんいて、例えばホリエモンとか一切してないですね。それでもどんどん値段が付いていって、時価総額が10数億円になる。

私は労働価値説っていうので育ったので、なぜモノが価値を持つのか、サービスが価値を持つのかっていうのは、労働者が一生懸命努力して創意工夫をして、額に汗して働くから付加価値が生まれるんだっていうふうに教わったし、そう信じてきたわけですよ。

ところがですね、働かずに価値がどんどん生まれていってというのが、ごく日常的に起きるようになったというのが、平成に起きた大きな変化なんだと思うんですよね。

会社は誰のもの?

――会社という組織の形態も大きく変わってきた平成の時代だなと思っていまして、年功序列にせよ終身雇用にせよ、それが薄れてきているあるいはなくなってきていますね。

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個人的に言うといちばん大きな事件は実はライブドア事件(※5)だったんですね。なぜかっていうと、会社は誰のものなのかっていう大きな問いかけをしたんだと思うんです。

(※5)ライブドア事件=ライブドアによる証券取引法違反事件。また、刑事事件とは別に、ニッポン放送の経営権をめぐり、ライブドアとフジテレビがニッポン放送株の買い取りをめぐり激しく争った出来事を指すこともある。

会社法上は株主のものなんですよ、会社っていうのは。法律上では。だけど私はそのニッポン放送っていうラジオ局で、当時、ずっと朝の番組をやっていて、ラジオ放送局っていうのは、まずリスナーのものだし、スポンサーのものだし、そして従業員のものだと思っていたんですけれども、そういうのを無視して、金の力で株式を買ったから自分が全権を持つんだっていう現実にぶち当たったんですね。

私はそれで徹底抗戦をしたんですけれども、この問題っていうのはいまだに解決していない問題なんだと思います。もちろんそのお金を出してくれた株主は、それはそれなりに偉いんですけれども、ただ極論するとお金出しただけだと私は思うんです。

だから儲かった時には配当すればいいんだけれども、やっぱり会社っていうのは、お客さんと従業員と地域社会と、そういう利害関係者全体のためのもので、金もうけのためのものではないと思うんですけれども。でも私の主張っていうのは、法律上もあるいは経済学のうえでも否定されてしまうんですよ。

――その傾向は最近、一層強まっていると?

強まっていると思います。ライブドアの事件以降、少しよくなったという人もいたんですけれども、最近の日産自動車の事件を見るとですね、相変わらず資本を持った人の勝ちっていうことで、例えば日産が経営再建できたっていうのはすばらしい事なんですけれども、じゃあその裏側で何万人もの従業員が職を失い、多くの中小企業が仕事を失い、そして工場が叩き売られて、地元の自治体が大変な混乱に陥るっていう事も起こってきたっていうのも事実なんですよね。

人生をちゃんと考えて

――ある種、企業が従業員を顧みなくなってきているという事象がある一方で、働く人たちもあまり組織にとらわれない働き方が広がってきている感じもします。そういった働き方についてはどうお感じですか?

今はいいんだと思うんです。なぜかというと空前の人手不足なんで、転職先があるからいいんですよ。ただ、バブル期と似たようなことか起こっているわけですね。バブル期に何が起こったかっていうと、フリーターっていう言葉がすごくはやったんです。

フリーターっていうのはなにかっていうと、当時、言われた定義は、学生でもサラリーマンでもなく、みずからの意思で自由に働き方を決められる新しい形の自由人なんだ、これからみんなが目指すべきライフスタイルはフリーターだぜっていうキャッチフレーズで、どんどんフリーターが増えていったんですけれども、彼らが30代を迎え、40代を迎えた時にどうなったかっていうと、その末路は悲惨だったんですね。

結局、自由人ではなくて単なる使い捨ての労働力になっていった。派遣労働が解禁された時もそうだったんです。真っ先に切られたのは派遣労働者だったんですね。今、外国人労働者をどんどん受け入れていきましょうと言ってますけれども、これもですね、すでに例えばシャープの亀山工場で大量の外国人労働者が雇い止めにあってるわけです。だから、労働力需給が締まって、人手不足の時は別に会社なんかいいよって言うんですけれども、ちょっと景気が悪くなると、みんな突然、会社にしがみつこうとする。リーマンショックのあと、新入社員たちにどうしたいですかって聞くと、みんな定年まで勤めたいって答えたわけですよ。

だから今はいいんですけど、いつまでもこの景気が続くなんて事ありえないので、私はちゃんと人生を考えたほうがいいんじゃないかなと思います。

最も印象に残った出来事は?

――先ほどライブドア事件というのが出ましたけれども、平成の時代で最も印象に残っている出来事というのは森永さんの中で、これは経済にかぎらずでもいいんですが、いちばん印象に残った出来事はなんでしょうか?

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私の中でいちばん大きいのは不良債権処理なんですね。実は2001年に米同時多発テロが起こって、小泉首相がすぐホワイトハウスにブッシュ大統領を訪ねたんです。その時の小泉首相はですね、アメリカのテロとの戦いに日本は自衛隊を派遣してでも手伝うって言ったら、ブッシュ大統領がいや小泉さん、日本は一日も早い不良債権処理を進めてくれたまえって答えた。

何の事か当時、すぐにはわからなかったんですけれども、1年後ですね。ニューヨークの外交問題評議会ってところを小泉首相が訪ねるんですね。そこでアメリカのネオコン(※6)の人たちに向かって、小泉総理の演説がこうだったんですね。

(※6)ネオコン=アメリカにおける新保守主義者のこと。保守強硬派。

首相をやって1年数か月、専門家の意見を聞けば聞くほどわからなくなったと、失業や倒産を増やすので不良債権処理はよくないという意見がある一方で、失業や倒産をおそれずに断行すべしという意見もあると、これを決断できるのは私しかいない、私は決断したと、不良債権処理の断行だって、国民に言う前にアメリカに言った、これが私は最大の事件だったんだろうなって思います。

――その意味といいますか、それがその後の平成にどう影響したのでしょうか?

その後、すぐにですね、金融担当大臣を竹中平蔵さんにして、竹中さんが木村剛さんていう人を連れてきて金融再生プログラムっていうのを作って、短期間で不良債権を半減させると言って。そこから大手30社問題(※7)ってのがすごくクローズアップされたんですけれども、今振り返るとあの大手30社の9割は経常黒字かつ営業黒字だったんです。

(※7)大手30社問題=経営が悪化した流通やゼネコンなど、大手30社への貸し出しが不良債権問題の中心だとした主張。

つまり、黒字で何の問題もない会社を不良債権処理の名のもとに、バンバン潰して、それを二束三文で片っ端から外資に売り飛ばすという事が現実に行われたんですね。私はその時にずっと反対したんです。そんな事したら日本はやられてしまう、経済がボロボロになるぞって言ったんですけれども、そういう事を言うと銀行の味方だとか、抵抗勢力だとか、いろいろ言われて、誰も言う事聞いてくれなかったですね。

日本は世界で最大の対外債権保有国、つまり外国に対して債権を持っているお金持ちの国なのに、何で日本がその財政赤字、経常収支赤字で、経済がボロボロになった途上国のように、全部ハゲタカにさらわれないといけないのかっていうのは、誰も考えないで、むしろそれが構造改革で正しい道なんだっていうね。その結果、日本経済が大転落を起こしたんだと私は思う。

――それが一番印象に残ってらっしゃるのは、アメリカの大統領に先に言ったという出来事なのか、小泉総理が不良債権処理を進めてきた一連の動きでしょうか?

いちばん最初のショックはそう言ったってのがすごくショックだったんですけど、その後の竹中金融改革、不良債権処理、金融再生プログラムの間は、私はもう特に木村剛君とかは全面戦争をしていたので、結論から言うと、私はその時の彼との戦争に敗れたんです。

大手30社問題が最初にクローズアップされたのは、自民党の経済産業部会っていうところに彼が講師として呼ばれた時だったんですよ。彼は大手30社を処理すれば、不良債権はパイプの中のゴミで、パイプがスッと通るようになって日本経済は鮮やかな回復をするんだと。それを聞いていた自民党の国会議員何人かに話を聞いたんですけど、もう木村さんは後光がさして神様のように思えたと。

だけど今、振り返ったら、なんで30社だけ潰したら日本経済がよくなるかなんていう理論的な説明は絶対できないんですよ。ただ、明らかなことは流通・建設・不動産の大手30社が駅前一等地に貴重な不動産を山のように持っている企業だった。それが不良債権処理されたあと、その資産がどうなったかっていうのを見れば、それも壮絶なんですね。マグロの解体ショーのようにハゲタカが二束三文で食いまくっていた。だから、私は自分なりには頑張ってたんですけれども、世間を先導する力っていうのは、全然なかったっていう。だから説得力はなかったんでしょうね。

――当時も今も金融緩和が先か財政政策が先かという論争がありましたね。

私は当時はまずデフレ脱却が先で、不良債権をあとにしなさいって、ずっと言い続けたんですね。でも今になって振り返ってですよ、例えば不良債権の象徴って言われたダイエーが不良債権処理の対象でつぶされなかったら、今どうなっていたかっていうと、私は今、日本一の優良企業になっていたと思います。

ダイエーは駅前の一等地を片っ端から持ってたんですね。それだけじゃなくて、リクルートを持っていたし、銀座プランタンの運営権を持ってたし、福岡ドームとかシーホークホテルとかホークスも持ってたし、ローソンも持ってたわけです。今、最優良企業になっているはずなんですよ。それを叩き潰した。ダイエーはちょこっと赤字を出した時期もあるんですけど、ずっと黒字基調だったんですよ。でもそういう事はほとんど伝わらなかった。

平成は幸せだったのか?

――失われた20年と言われ、長引くデフレという状況などもありますが、平成という時代を見た時に、この時代は幸せな時代だったと思いますか?

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これは国民にあまり痛みを感じさせずに大きな収奪をしたという意味では、富裕層はとてつもなく幸せになったんですね。じゃあ、庶民がすごく不幸になったかというと、私はそれを感じさせないうまいやり方をやったのかなっていう気はしますね。

――それはどういった意味でしょうか?

例えば日本以外の世界各国では、1%の富裕層が99パーセントから収奪してると言って、あちこちでデモが起こったり、あるいは左派政党がどんどん台頭したりしている。でも日本だけがリベラル政党がどんどん転落しているし、その富裕層を批判するデモなんてほとんど起きてないですね。むしろ、消費増税とかで、どんどん庶民が生活は圧迫されていっている状況が起きている。

なぜ、そんな事が起こったのかというと、日本の富裕層は隠れるのがうまいんだと思うんですよ。つまり1億円以上の投資家の資産を持っている人が300万人もいる、これね例えばクラスが40人だとすると、1人か2人はその富裕層の子どもがいるっていう勘定になるんですね。だけど、みんな認識してないですよね。何でかというと、富裕層だけが暮らす地域に住んで、富裕層だけが行くレストランに行って、富裕層だけが行く商店で買い物をする。だから接点がないんだと思うんです。

――多くの人たちから見ると、そんなに上がったという感じもしないし、そこまで下がったという感じもしない人たちが多いのではないかと思うんですが?

それは目を閉じているというか、かつての共産主義の国の人たちが自分たちの転落に気づいていなかったのと同じ状況なんです。例えば最近、外国人観光客がどんどん増えて、日本の人気が高まってるって言うんですけど、実は日本の所得が相対的にドーンと落ちたおかげで、日本がとてつもなく格安で楽しめる国になっているから、今ものすごい勢いで外国人が増えてるのが実態なんだと私思いますよ。

――そうすると、あまり幸せという実感もないようなこの30年だという感じでしょうか?

ただこのままいくと、どんどん転落していく一方なんですね。この間、製造業の自給率を計算したら今ちょうど100パーなんですよ。かつて、ものづくり大国だったのが、今ギリギリ国内で自給できるところまで落ちてきているんですね。これがもっと落ちると、例えば投機マネーが円安を仕掛けてきた時に、やられちゃう可能性が非常に高まっていくんです。

ものづくりの基盤を持っていると、円安攻勢って不可能なんですよ。なぜかっていうと、円安になると、日本が調子乗ってばんばん輸出しちゃうので、それはできないんですけど、この自給率が100%を割っていくと、そういう攻撃もできていくので、長期的にはもっと円安になって、日本経済がほぼ外資のものになって、外資の下でみんながヒィヒィ言いながら、安い賃金で働くっていう国になりかねないんだと思います。

――森永さんご本人にとって、昭和も平成もご経験されていらっしゃるなかで、平成というのは幸せでしたか?

私、世間の人からよく、お前こそハゲタカだって言われるんですね。リーマンショックとか経済が悪くなると、仕事がぼんぼん増えるので、だから仕事はすごく多くなったのは事実です。ただ、じゃあ自分が一生懸命言ったことの方向に世の中が動いたかっていうと真逆に動いたし、大きな選挙ではほぼ私の嫌いな方がみんな勝ってきているんですね。

人工知能やロボットが変える社会

――森永さんはコレクターとしての側面もお持ちでいらっしゃいますが、ある種、そういう生き方をされている人も多くなってきたと。これまでとは違う軸の幸せみたいなのを模索している人だったり、それを感じて生きてる人が増えてきたのかなと思います。

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それが将来の日本を支える小さな芽なんだと私は思っているんですね。これから第4の産業革命で、どんどん人工知能が進化していくと、雇用の半分、極論を言う人は9割を人工知能やロボットが奪うんだと主張する人もいるんですけれども。私は仕事はなくならないんだと思うんです。それはかつて第1次、第2次、第3次の産業革命の時も同じ事が言われて、別になくならなかったんです。

ただ、これから人間がやる仕事というのは、人工知能やロボットではできない仕事にならざるをえない。そんな中で、何をしたらいいのかっていうと、私はみんながアーティストになる。アーティストって画家とか音楽家とかっていう狭い意味ではなくて、みずからのその感性だとか、能力とかをうりにするクリエイティブな仕事、コミュニケーションの中で働くような仕事っていうのを私はアート、それをする人はアーティストって呼んでるんですけれども。

例えばコレクターというのは、今までは一流の印象派の絵画とかですね、中世の宗教画とか、日本だと書画骨董みたいなの、そういうところだけにコレクターがいて、そういう人たちだけが評価されてきたんですけれども、私はそうじゃないんだと思っているんですね。

それを全否定するつもりは全然ないんですけれども、絵画展とかでルーベンス展とか行ってステキねとかっていうんですけど、ホントわかったのかっていうふうに思うんです。それよりも私がやっているのは、今60種類くらいやってるんですけれども、お菓子の空き箱とかおまけだとかですね、ミニカーだとかフィギュアだとか、庶民の暮らしの中に根づいた日本の文化を集めているんですね。

例えば明治時代まで浮世絵っていうのは何の価値も持たなかったんですよ。だから陶器をヨーロッパに輸出する時の包み紙にして使っていて、それをヨーロッパの人たちが、これいいじゃんと言ってポップアートとして高い評価を得たんですね。今、同じようなことが根付で起こっていて、何十万円もしたり高いのになると1000万円台になっていたりするんです。
それと私がやっているグリコのおまけとかは、種類としては同じだぞと思っているんですけど、今は誰も評価する人がいない。でも気付いてる人が何十人かいる。

まじめなアナウンサーはいらない

――次の時代がどんな時代になると思うか書いて頂けますか?

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私はこれからの時代は、「1億総アーティストの時代」になると思っています。どういう事かというとですね、人工知能やロボットがどんどん発展していくと、嫌な仕事は全部人工知能やロボットがやってくれる、定型的な仕事、つらい仕事、危険な仕事は全部、人工知能やロボットがやってくれるわけです。これはもう想像以上に広い分野でそうなっていく。

この間、川崎競馬場にトークイベントに呼ばれていたんですけど、何に驚いたかというと、レース結果とか配当を次々に場内アナウンスで流しているんでが、すごい流ちょうにしゃべるので、なんでこの人かまないんですかって言ったら、全部、人工知能ですって言われて、まじめなアナウンサーがいらなくなるんですよ。ニュース原稿を正確に、正しい発音で読む人はいらない。

むしろ問題を起こさないじゃなくて、なにかを起こす人っていうのは、人工知能では難しいんですね。あらゆる分野でそういう事が起こってくる。お金のために働く必要がなくなったら、つまり、人工知能やロボットが全部仕事をやってくれるようになったら、何をしたいですかって、私のゼミの学生に聞いた事あるんですけれども、全員が言ったのは、歌手をやりたいとか役者をやりたいとか、画家になりたいとか、そういうクリエイティブな仕事をしたいと。

これは今、ベーシックインカム(※8)の社会実験が世界中で行われてるんですけれども、その社会実験の結果でも、ベーシックインカムでふだんの生活の不安がなくなっても、働かなくなる人って一人もいないんですよ。ほぼいないんです。みんなクリエイティブな仕事をしようとする。

(※8)ベーシックインカム=政府がすべての人に無条件で、一定額を支給する社会保障制度。

だから、そういう人たちっていうのが、日本中に広がっていって、その中で、たまたま才能があって、たまたま時の運に恵まれた人がドーンと売れていく、売れない人も別に食べていける。例えば今のお笑い芸人の世界って、もうすでにそうなっているんですね。売れないお笑い芸人が不幸かっていうと、私は全然不幸には思えないんですよ。飯は先輩がおごってくれるし、アルバイトすれば何とか食べていける。

別にその音楽とかそういうのだけにかぎる必要は全然なくてね。私、去年1年間、群馬県の昭和村というところで農業やったんですけど、ものすごい楽しいですよ。みんなが農業をやるっていうのもクリエイティブな仕事だし、ようするに楽しいお仕事をすればいいんだと、私は思うんです。つらい仕事は人工知能とロボットやってねっていう社会になるべきだし、そうなると思っています。

楽しみは必ず見つかる

――何かを起こす人が生き残っていくとおっしゃいましたけど、そうじゃない、なかなか自分の能力だったりに自信が持てない人もたくさんいると思いますが?

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それはやってないからなんだと思うんですよ。今まではそんな余力がなかった。ようするに生きていくために働かないといけなくて、働いても疲れちゃって、好き勝手やるような時間が持てなかったんだと思うんです。

でも、いろんな事やってみれば、自分はこういうのが楽しかったんだっていうのに必ずぶち当たるんだと思うんですよね。私、ペットボトルのふた集めてるんですけど、とりあえずペットボトルのふた集めてみなさいってよく言うんです。給湯室とかにいっぱい置いてあるじゃないですかふただけ。あれ持ってきて、机に並べて分類して、整理するとすごく美しいんです。その美しさにはまった人たちが日本に数十人いて、いちばん多い人は今、2万種類ぐらいあるんです。

――そういう新しい生き方の模索がこれから進んでいく?

そうそう。みんなでこれ一筋でなくて、いっぱいチャレンジすれば、必ず自分の楽しみって見つかると思うんです。シュノーケルつけて沖縄の海でね、1メートルぐらいしゃがむぐらいでいいんですけど、そこでソーセージをもみほぐすと、熱帯魚がわーって集まってくるんですよ。それだけですごい楽しいですよ。

その生き方は本当に人間的か?

――この平成の時代、閉塞感というキーワードも使われたりしますけれども、次の時代、これから若い世代の人たちが時代を担っていくことになると思います。その人たちに向けてメッセージをいただけたらと思います。

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私は人生をよく考えるべきだと思っています。3つしか人生のコースはないと思っていて、ハゲタカになるか、資本のしもべになるか、アーティストになるか。どこに自分の幸せを見いだすかっていうのを、きちんと見極めて人生設計をするべきだと思います。

もちろん私はアーティストをお勧めするんですけれども、お金持ちになりたいんだったらハゲタカになる事です、金に金を稼がせるって、ただ、私が見てきたハゲタカの皆さんていうのはいつも不安で目が泳いでいて怖くて怖くてしかたがないんですよ。なぜかって言うとお金って持てば持つほど、失うのが怖くなるので、不安で不安で眠れなくなって走り続けるしかなくなるんです。

一方、その資本のしもべになる。だから正社員として会社にしがみついて、どんなパワハラを受けてもどんなセクハラを受けても歯を食いしばって頑張るぞってやるっていうのも1つの手だと。ただ、それが本当に人間的なのかっていう事を考えると、私は答えはアーティストしかないのかなと思っています。

――次の時代は明るい時代になると思いますか?

私は鍵はベーシックインカムだと思っているんですね。ベーシックインカムで、例えば1人月間7万円、4人家族だと28万円、何にもしなくても自動的に入ってくる社会を作れば、みんなが自由に生きられるので、それはバラ色の未来が待っていると思いますけどね。

――われわれ個人としては、自分のやりたい事や進むべき道というのをしっかり考えていくと?

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とりあえずやってみるっていうのがいいんだと思うんですよ。前、ゼミの合宿で千葉の館山に行ったんですね。その時、半日だけ自由時間を作ったんですよ。自分たちで考えて、どう遊ぶかやってごらんって。そうしたら多くの学生がテーマパークに行こうとしたんですね。
「お前らな、半日で行って帰ってきたら現地にいられるのは1~2時間だぞ」って言ったら、「じゃあ先生どうしたらいいと思うんですか」と言うので、「そこに堤防があるだろ、あそこに100円で釣りざお買って、釣り糸垂れてぼーっとしてるだけでも楽しいぞ」って言ったら、「そんなことないっすよ」って言ってたんですけど、結局行き場を失った学生が7~8人ついてきたんですよね。みんなでこう釣り糸垂れてボーッとして、でも楽しいんです。

船がずっと沖合を通ったりですね、空や海の色がどんどん変わっていくんです。魚が魚群で動くんで、やがてパンパン釣れるようになるんですよ。その日の夜、その魚を食べたんですけれども、「ああ先生こういう人生があると思いませんでした」って言ってましたけど、それでも楽しいです。

多様な生き方認める社会に

――これまでエリートコースみたいなものがある種見えていたのが、いろいろな道ができてきて、それぞれの幸せの形が変わっていくのかもしれないですね?

その多様化するっていうのが、私は本当に豊かな社会なんだと思っているんで、いろんな変な人がいっぱい出てきていいんじゃないかなって思いますけれどもね。そこがあんまり、今の政府はわかってなくて、例えば働き方改革で、みんな女性は働け、保育所整備して働きやすい環境を整備しなさいと言うんですけど、もちろんそれは全然否定しないんですけれども、でも働きたい女性がいる一方で、私は専業主婦になりたいっていう女性もいてもいいんだと思うんです。
キャリアを駆け上がっていきたいっていう女性と同時に、別にヒラでいいもんっていう、男性でも女性も一緒なんですけど、ようするに多様な生き方っていうのを認める社会にすべきだと私は思っていてね。

その多様な生き方っていうのを担保しないと、アートは生まれないんだと思うんです。なぜかっていうと、アートっていうのは無から生まれないんですよ。異質な知識が融合した時に、新たな価値が生まれるんですね。だから変な人がたくさんいる国ほど、新しいものがどんどん生まれていくんだと。

――変人になれって事ですね?

そうそう。だから私、小学校の時、ヨーロッパ住んでたんですけど、すごく日本で違和感を持ったのは、例えば服装はパリとかって、コートを着てる人の横でTシャツを着てる人がいるんですよ。でも日本は一斉に衣替えで同じ時期に同じように服を変えるんですね。変だなと思ったし、車が好きなんでいちばんおかしいなと思ったのは、車の色が、今はだいぶ変わってきましたけど、当時、日本の乗用車って、みんな白とかシルバーとか、そういう地味な色の車ばかりで、ヨーロッパ行ったら黄色だったり赤だったりピンクだったり緑だったり、ものすごくカラフルなんですよ。何で日本は同じ色の車に乗るんだっていうのがすごい不思議だったんですけれども、だいぶマシにはなってきたんですけど、まだまだ主流に乗っかろうという人が多いっていうのは現実ですよね。

【プロフィール】
森永 卓郎(もりなが・たくろう)
東京大学を卒業後、日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社)に入社。経済企画庁への出向やコンサルティング会社での勤務を経て、現在は経済評論家としてテレビや雑誌などで活躍。また、大衆文化に詳しく空き缶やおもちゃなどのコレクターとしても活動している。