新しい皇室制度に不満を漏らす

「拝謁記」には、新しい憲法のもとでの皇室の予算や皇室会議のあり方について昭和天皇が不満を漏らしていたことも記されていました。

目次

寄付金や義援金の財源を希望

昭和24年4月20日の拝謁では、昭和天皇が「新聞ニ憲法改正ノコトガ出テルガ。皇室ノコトナド 変ヘテ欲シイコトモアルガ 今変更シ出シテハ イロイロニナラウガ 総理ナド政府ノ考ハドウデアラウ」と述べたのに対し、田島長官が「芦田内閣ノ中ニハ 松岡モ芦田モ一応調査シテ 変更ノ要ナシトイフ所ヘ モツテユクコトニ キイテ居リマシタガ、吉田内閣ニナリ一向話ガ立消エデ何モ存ジマセヌガ ソレトナクキイテ見マセウ」と応じたことが記されています。

戦前の皇室は、憲法から独立した存在で、議会や国民に制約されないようばく大な財産を保有していました。しかし、戦後の民主化政策の一環で財産は凍結され、さらに日本国憲法では財産のやり取りも厳しく制限され、すべての皇室財産は国に属し、費用は予算に計上して国会の議決を経なければならなくなりました。

昭和25年8月10日の拝謁では、昭和天皇がこうした現状を不満に感じて、「前程でなくてもよいから皇室財産が少し欲しい 私の使ふのでなく、奨励とか救恤(きゅうじゅつ)とか又職員の福利とかに」と述べ、社会事業や地域産業への奨励金、それに被災者や困っている人たちなどへの寄付金や義援金に充てる財源を希望したことが記されています。

昭和28年11月25日の拝謁では、昭和天皇が「救恤(きゅうじゅつ)金などでも国会のワクがあるが、あゝいふのも自由ニしたいので自分の為ニ自分の用ニ自由ニしたいのでない 又皇室費を昔の様ニ一本ニして欲しいのだといつたら吉田ハ昔はそうでしたかと言つて知らなかつた。自分の為ニ自由ニなるお金の意味ではないというふ旨をいったが、どうも現状の事も吉田ハ十分知らぬやうで」と述べたことも記されています。

「皇室会議」にも言及

また、皇族の結婚など皇室の重要事項を決める「皇室会議」についてもたびたび言及していて、昭和26年9月6日の拝謁では「あれは矢張り元の私の議長ニなる皇室会議の方がよい」と述べ戦前と同じ形が望ましいという認識を示したことが記されています。

翌年(昭和27年)9月30日の拝謁では、昭和天皇が「皇族会議(原文ママ)は元のやうな純粋な親族会議ニするといゝと思ふうがねー、皇族の数も少なくなつたし、選挙といふもおかしいし」などと述べ、田島長官が「憲法の建て前も天皇統治権総攬から主権在民と移り皇室典範もその影響で改正されて居りまするので、研究は致しまするが」と応じたことが記されています。

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