政治的発言 いさめられる場面も

「拝謁記」には、昭和天皇が政治への関与を憲法で厳しく制限されたにもかかわらず、時に踏み込んだ政治発言をして、田島長官がそれをなだめたり、いさめたりする様子が記されています。

目次

「delicate 中々困つた事」

昭和24年10月31日では、田島長官が「只今陛下御関心ノ事ハ何デゴザリマスカ」と尋ねたのに対して、昭和天皇は講和に向けた動きについて触れ、「平和問題ガ相当進ンデル様ダガ 果シテ真相ハ如何デアルカ、MC(マッカーサー)トノ会見ハソウ度々(たびたび)ハ出来ヌ故、ソンナ情報デMCノ眞意ガ分レバ非常ニヨイ」と述べたと記されています。

昭和天皇はさらに「政治外交ニ関スル意デハナキモ細目ヤ具体的ノ事ハ兎ニ角(とにかく)眞意ノ大方向ダケノ事ハ外人ノ拝謁等ノ場合ノ心得ニモ知ツテ置キタイ/英王ノ如キモアノ英国ノ憲法下デ充分御承知ノヤウニ」と続け、マッカーサーや外国の要人に会ったときのために、政治や外交の方向性について情報を求めたと記されています。

田島長官は「コレハ随分至難なdelicate(デリケート)ノ事デゴザイマス」と応じたと記されています。

田島長官は、翌日の拝謁で、改めて「昨日ノ情報集メノ事モdelicate(デリケート)ニテ陛下ハ憲法上厳格ニ申セバ政治外交ニ御関係ナレバ憲法違犯(原文ママ)トナリマス」と伝えますが、昭和天皇は外国人記者との面会のために「大体ノ事ヲドウシテモ知ル要アリ」などとしてあきらめず、田島長官は「コレハ中々困ツタ事」と思い退出したとその時の気持ちを記しています。

昭和天皇「国の前途心配」

昭和26年1月9日の拝謁では、昭和天皇が皇室と国民の関係を最も望ましい形にするため、「国民ニ健全ナル皇室ノ思想ヲ モタセルヤウ 教育ハ大切ダト思フ」として、宮内庁から教育委員会に話してはどうかと述べたと記されています。

田島道治宮内庁長官

これに対して田島長官は「戦後ノ青少年ニ 健全ナル対皇室思想ヲ養フ事ハ最モ必要ノ事ト存ジマスガ 陛下ガ彼是(かれこれ)遊バス事ハ 絶対ニ出来マセヌ」としたうえで、「政治関与又ハ思想ノ統一ヲ 天皇ヲツカツテニスル(原文ママ)トイフヤウナ誤解ノ批難ヲ受ケ易イデリケートノ問題」だと述べたと記されています。

独立回復後の昭和27年5月13日の拝謁では、昭和天皇が「愚痴見たような事だが」と前置きして、秩序を維持しようとする政府に対して新聞などの論調が攻撃的だなどと不満を漏らしたのに対し、田島長官が「御軫念(しんねん)は御尤(ごもっと)もで象徴として国のためのみ御考への陛下の公正な御考へは中正な不偏な一国民田島などの考へまする事も全く同じでありますが、今日(こんにち)の憲法の条章では陛下の御軫念をその侭(まま)政府ニ伝へなど致す事ハ来ませぬ」などとなだめたと記されています。

昭和天皇はさらに「元の憲法なら私が眞ニ国を思ふ立場から何とか動くといふ事ともあるのだが、今はどうする事も出来ぬし、皆が心ある者が心配しながら打つ手なしにしてるうちに大事ニ至るといふ事は軍部ニやられた過去の経験だ。どうも心配だ」と口出しできないもどかしさを述べたと記され、田島長官は「御尤(ごもっと)もなれども うっかりした事ハ申上げられず、又出来もせず、只陛下の御軫念ニ同感の点を他の面より申上げる位の事のみ」と自らの胸の内を記しています。

また、昭和28年10月14日の拝謁では、昭和天皇が「私も随分軍部と戦つたけれども 勢あヽなつたのだが その事を私が今国民ニ告げて二度繰返さぬやうその時の軍部ハ 軍部あつての国家日本といふ考へであつたやうに、今労働者ハ組合あつての日本といふやうな考へでは困るし前回ニも一寸(ちょっと)いひ 又田島もいつてたやうに政党あつての日本といふ考へ方で 日本の政党といふ考へがなくては困る 此事(このこと)を戦争ニ至る迄の軍部と私との関係など 国民ニ今話したいのだが勿論(もちろん)それは出来ぬ事ハ承知だが 国の前途の為心配だ」と述べたとされています。

これに対して田島長官は「それは仰せの通りでありまするが陛下がさういふ政治ニふれた事を仰せニなります事ハ絶対ニ出来ませぬ」と諭したと記されています。

「何も遊ばすことハ不可能」

昭和28年3月12日の拝謁では、昭和天皇が保守陣営が分裂していた当時の政治状況について、「旧憲法でもどうかと思うが 新憲法ではとても出来ないが 私が思うに真ニ国家の前途を憂うるなら保守ハ大同団結してやるべきで、何か私が出来ればと思つて…」と述べたのに対し、田島長官が「仰せのごとく旧憲法でもどうかと存じまするが違法ではありませぬ。新憲法でハ 違反ニなります故、国事をお憂へになりましても何も遊ばす事ハ不可能であります」といさめたと記されています。

重光葵氏

この年(昭和28年)の5月18日の拝謁では、昭和天皇が当時保守政党の一角を占めていた改進党の党首、重光葵(しげみつ・まもる)に自分の意見を言いたいと述べたところ、田島長官が「陛下は一番国本位でお考えニなりますので 何とか御意思を伝へられますればと存じまするが之ハ憲法上絶対に不可能」と釘を刺したと記されています。

田島長官はそれでもあきらめない昭和天皇に対して、「今日(こんにち)天皇ハ新憲法で政治外交ハ陛下の遊ばす事ではありませぬから…」と苦言を呈し、「御静観願ふより外ないと存じます」と述べたと記されています。

これに対して昭和天皇が「認証をしないといふ事ハある」などと繰り返し述べて、総理大臣の任命などを拒む可能性を示唆すると、田島長官が「いえ 首相のは認証でなく親任でありまするが、之ハ議会で定めましたものを形式的ニ御任命になりますので 之ハどうも出来ませぬし 又認証ニしましても 認証なさらぬといふ事も六ヶ(むつか)しいと存じます故 この際ハどうもすべき事ハないと存じます」といさめたと記されていました。

昭和28年7月1日の拝謁では、昭和天皇が「宮内庁ニは少しも関係のない事だがネー どうも国会の反対党の議論も本当ニ国事に関するといふよりも 政府いぢめのやうな事ばかりのやうだし ニウス(ニュース)やラヂオで聞いても政府の答弁も責任免れのやうな不親切で誠意のないやうなものだ。困つたことだネー 旧憲法ならば当然私が出る事が出来るのだが今の憲法ではどうすることも出来ない。マア党首をよんでお互ニ国の為ニというやうな事がいへればだけれども…」と述べたと記されています。

これに対して田島長官は「もどかしく御感じの憂国の御至誠故(ごしせいゆえ) 御同情にたえぬも去りとて絶対に動けぬ今日の情勢故(ゆえ)、何とも致しやうはござりませぬが 田島なども全く御同感に存じまするが陛下としてハどう遊ばす事も出来ませぬ」となだめたと記されています。

象徴への模索 一覧に戻る

TOPに戻る