吉田茂首相から詳しい国政の報告 明らかに

「拝謁記」には、憲法で政治関与を厳しく制限されている昭和天皇が、当時の吉田茂総理大臣から戦前から慣例的に続く「内奏」の形で朝鮮戦争の日本への影響や政府の外交方針など国政に関する報告を受けていたことが記されていました。分析にあたった専門家は「朝鮮戦争や内閣の人事などについて吉田がどのように話していたのかわかる貴重な資料だ」としています。

目次

「内奏」の内容 頻繁に

初代宮内庁長官の田島道治が昭和天皇との対話を記録した「拝謁記」には、戦前から慣例的に続く「内奏」などの機会に当時の吉田茂総理大臣が昭和天皇に話した内容が頻繁に登場します。

「内奏」は天皇に対して国務大臣などが国政の報告を行うことで、天皇が統治権を総覧する明治憲法のもとでは当然のこととして行われていました。その後、日本国憲法では「国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と規定されているため、「内奏」の必要性については議論があり、天皇の政治利用を避けるため内容は明かさないことが慣例となっています。

吉田首相「朝鮮戦争 日本ニとつてはむしろよい」

朝鮮中部戦線での米海兵隊員 昭和26(1951)年

朝鮮戦争勃発の翌月、昭和25年7月14日の田島長官の拝謁について、宮内庁が編さんした公式記録集「昭和天皇実録」は午前に行われたものをとりあげ、「認証官任命について内奏をお聞きになる」とだけ記していますが、「拝謁記」には午後、50分にわたって行われた拝謁で交わされた会話の内容が記されていました。

この中で、昭和天皇は「今日吉田総理が来て 朝鮮の問題ハ 第三世界戦争ニならぬ限り 又アメリカがまづい事をしない限り 日本ニとつてはむしろよい影響がありますといつてた 第一ハ全面講和などいふ議論が吹きとぶに都合よくなつたことが一つ、今一つハ企業面がよくなり失業者の減少ニなることで/インフレニなる故 輸入をしてそれを防ぐと首相ハいつてた」と述べたと記されています。

また、同じ年(昭和25年)の11月7日の拝謁では、昭和天皇が「実ハ吉田首相が此間(このあいだ)内奏の時ニ 秘密ニ士官学校の五十八期 九期とかの士官と御つきあひに 同時頃の兵学校の出身将校を解除して 予備隊ニ使ふやうな事をいつてた」と述べ、吉田総理大臣から秘密裏に旧軍の将校を公職追放解除し、警察予備隊の幹部として登用しようとしていることを聞いたと記されています。

日米講和交渉「実ニいゝ」

初会談を終えた吉田茂首相(左)とダレス米特使(右)

講和をめぐる日米交渉が本格化していた昭和26年2月15日の拝謁では、田島長官が吉田総理大臣が前日の内奏で、特使として来日したアメリカの国務長官顧問のダレスとの会談の内容を詳細に報告したかどうか昭和天皇に尋ねました。

これに対して昭和天皇は「非常に詳細ニ話した 大体(だいたい)私ハ皆満足した たゞ奄美大島の信託統治だけハ残念だが仕方ない。こういふ敗戦をしたとしては実ニいゝと思ふ 日露戦争の時 日本ハ勝つたのだがそれ以上だと思ふ」と述べたと記されています。

さらに、「吉田ハ再軍備とは決していはず 警察予備隊を十二万五千ニするとかいつてた。省も治安省とするといふ様な話であつた」と明かしたと記されています。

昭和27年5月12日の拝謁では、田島長官が新聞に出ていた内閣改造の情報が「案外眞相ニ近いやうで」と述べ、人事の具体的な内容に触れると「吉田も大橋はやめるといつてたよ」と当時の国務大臣の去就について述べ、閣僚人事の方針について吉田総理大臣から事前に聞かされていたことが記されていました。

専門家「吉田の考え あぶり出せる可能性」

「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「吉田総理大臣の時代は冷戦構造の中で日本が西側陣営との講和を選択していく時期だが、吉田は日記の存在が確認できないので、これまでは詳しいやり取りがわからず吉田がどんなことを考えていたのか断片的にしかわからなかった。『拝謁記』の記述から吉田の内奏の内容がわかるまでは具体的に考える材料がなかったので、そうした面でも貴重な記録だと言える」と話しました。

そのうえで、「特に、独立のために必要な再軍備の問題などについて吉田がどのように考えていたのかが『拝謁記』の記述からあぶり出せる可能性がある。吉田がどう考えているかという話が昭和天皇や田島長官を通じてたびたび出てくるので、ほかの記録とも突き合わせていくことで吉田が何を考えていたのかこれまでよりも詳しくわかってくるのではないか。結果的に自衛隊という形になった戦後日本の軍備の問題を吉田がどのように作って維持していこうとしていたかを考えるうえでも非常に大きな手がかりを与えてくれる記録だと思う」と述べました。

専門家「吉田茂研究に一石投じる」

京都大学大学文書館の冨永望特定助教は「内奏が行われた事実自体はすでに知られていたが、その具体的な内容について天皇の口から語られているという点で、かなり貴重で新鮮な価値を持つ記録だ。人事や吉田内閣の政策についてあらかじめ説明していたことが記されていて、まさに同時進行のリアルタイムで起きていることについて、吉田がそのまま天皇に報告していたことが改めて確認できた」と話しました。

そのうえで、「内閣はコロコロ変わるので、同じ人物や同じ政党が権力を握り続けるとは限らず政策や人事において断絶が生じてしまうが、天皇は一貫して在位しているので、常に情報を受けていれば内閣が変わってもその知識を伝えられる。吉田茂のように戦後になってから本格的に政治のキャリアをスタートさせた者にとって、昭和天皇の圧倒的な情報量は頼りにしたくなるものだったので、吉田は天皇の求めに応じて情報を上げていたのだろう」と指摘しました。

さらに、「仮に吉田の報告を受けた昭和天皇が、それは反対だからやめろなどと言った場合は、明らかな政治的行為になるが、報告を聞いただけで政治的行為と言えるかは微妙な問題だ。内奏の内容については、これまで断片的にしかわかっていなかったので、吉田が内閣人事や朝鮮戦争についてこのように語っていたとか、天皇の口から吉田がこのように話していたという証言が出て、吉田の考えに関する新しい情報源が出てきたということは、吉田茂研究に一石を投じることになるだろう」と話しています。

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