皇太子の任官拒んだ心境
「拝謁記」には、当時、皇太子だった上皇さまが、結果的に軍人になることなく、終戦を迎えられた理由が記されていました。
目次
軍人になられなかった上皇さま
戦前、皇太子は原則として満10歳で陸海軍の少尉に任官するとされていて、昭和天皇も明治天皇の死去に伴って皇太子となった11歳のときに任官しました。
上皇さまは、戦時中の昭和18年12月に満10歳になりましたが、昭和天皇は軍から求められても将来の大元帥となる皇太子の任官を許さず、そのまま敗戦を迎え軍が解体されたため、上皇さまは軍人になられることはありませんでした。
「武官程いやなものはない」
昭和天皇が皇太子の任官を拒み続けた理由について、上皇さまの成年式と立太子礼が行われた翌月昭和27年12月18日の拝謁記に記述がありました。
それによりますと、昭和天皇が「子供のよむやうな雑誌であつたか東宮ちやんの立太子礼が戦争後占領中であつた為ニ後(おく)れたと書いてあった」と話を切り出し、さらに、「是も私の心地とハ凡そ違つた話だ 私は十一位(くらい)で少尉となり立太子後ハ直(す)ぐ東宮武官といふものが出来た。私ハ武官程いやなものはないとしみじみ思つた。殆んど軍のスパイで私の動静ノある事ない事を伝へるだけの者でこんないやな者ハない」と振り返ったとされています。
そして、「立太子礼を行へば東宮職内ニ東宮武官が出来るから私ハ立太子礼を成年後ニ延さうと 終始考へてやつて来たので戦争中からずつと其積りであつたのだ」と皇太子を軍人にしたくなかった理由を明らかにしたことが記されています。
「青年将校から皇太子守りたい考えだろう」
これについて、成城大学の瀬畑源非常勤講師は「皇太子が軍人になることは戦意の高揚につながるし、国民みんなに戦争に協力させる旗印にもなるので、当時の東條英機総理大臣は戦争遂行のため皇太子を早く軍人にしたいという意向だったが、昭和天皇がそれを拒んでいた理由が結構プライベートな話だったというのは驚いた」と述べました。
そのうえで、「当時は、拝謁記の中で下剋上と表現されている軍部台頭の時代で、皇太子の武官になるのはちょうど青年将校と言われる年代の軍人だった。昭和天皇は、青年将校への不信感や皇太子の教育に悪影響を及ぼすおそれを感じ、できるだけ任官を遅らせて軍部や青年将校から皇太子を守りたいという考えがかなり強かったのだろう」と指摘しました。
さらに、「このことは昭和天皇にとっては戦意高揚よりも将来の天皇の教育の方が大事で優先順位が高かったということも示している。連綿と続く皇統を守るためには皇太子をきちんと教育してしっかりした大人にしなければいけないという使命感があったのだろう。ひとたび軍人になっていたら、例え子どもの頃のこととはいえ戦争責任が全くなかったとは言い切れない立場になっていたはずなので、父・昭和天皇のこうした意向によって結果的に軍人として任官しなかったことは上皇さまにとっては、大きな意味があったと思う」と話しました。
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