歴代総理大臣の人物評 詳細

昭和天皇から見た戦前から戦後にかけての歴代の総理大臣の人物評が頻繁に登場するのも「拝謁記」の特徴の1つです。

目次

近衛文麿

特によく出てくるのが、日中戦争開戦や日独伊三国同盟の締結、そして御前会議で対米戦争の方針を実質的に決めた際に総理大臣を務めていた近衛文麿です。

近衛について昭和天皇は、(昭和24年11月30日)「毒ヲ以テ毒ヲ制スル主義デ色々ナ一寸(ちょっと)変リモノヲ好ク癖ノアツタ/信頼出来ル長所ハアツタガ政治的識見ヲ欠イタ」、それに(昭和27年4月5日)「意思が弱いし、悪まれたくないし(にく)聞き上手で誰れにもかつがれる」などと人物評を述べたと記されています。

昭和27年5月28日の拝謁では、昭和天皇は愚痴みたいだがと前置きしたうえで、「私と近衛とが意見が一致してたやうに世の中は見てるようだが、これは事実相違だ。/近衛ハ公卿(くぎょう)華族であり又心安く話も出来た為めか/誤解してるものがあると思ふ」と述べたと記されています。 そのうえで、昭和天皇は「近衛ハきゝ上手又話し上手、演説も一寸(ちょっと)要点をいつて中々うまいし、人気はあるし中々偉い点もあつたやうだ。例へば自分の誤りだと思ふ事ハ餘(あま)り拘泥しないスツト変へるといふ様な点ハいろいろ長所あつたが餘(あま)りニ人気を気ニして、弱くて、どうも私ハあまり同一意見の事はなかつた」と述べたと記されています。

木戸幸一

さらに、内大臣を務めた木戸幸一について近衛と反対で事務的だったとしたうえで、「私自身も事務的だから…、私は木戸の方がよくあつた。あれなら話がよく出来る。近衛はよく話すけれどもあてニならず、いつの間ニか抜けていふし、人はいかもの食ひで一寸(ちょっと)変つたやうな人が好きで、之を重く用ふるが、又直(じ)きにその考へも変る。政事家(せいじか)的といふのか知らんが事務的ではない。東條ハ之ニ反して事務的であつたそして相当な点強かつた。強かつた為に部下からきらはれ始めた」と述べたとも記されています。

東條英機

昭和天皇は、近衛の後任で、太平洋戦争開戦時の総理大臣として戦後A級戦犯として処刑された東條英機についても、(昭和25年7月14日)「二つの面があつて、中々いゝ面もあるがとてもわるい面もある」などと、折に触れて、その人物評を語ったことが記されています。

このうち昭和26年10月30日の拝謁では、昭和天皇が「東条ハ私の心持を全然知らぬでもないと思ふがとても鈴木貫太郎のやうに本当ニ私の気持を知つてない。終戦ハ鈴木、米内(よない)木戸、それから陸相の阿南(あなみ)、と皆私の気持をよく理解してゝくれて其コムビ(コンビ)がよかつた。東条と木戸わるくハなかつたがとても鈴木の時のやうではない。私の気持を本統(ほんとう)ニ理解してその上コムビ(コンビ)がよい時ニ始めて事ハ成功する」と語ったと記されています。

そして、戦争について振り返る中で昭和天皇が繰り返し「近衛と東条との両長所が一人ニなればと思ふ」、「近衛ト東條トノ性格ヲ一人ニテ兼備スルモノハナキカ」となどと述べていたことも記されていました。

芦田均と吉田茂

一方、戦後の総理大臣では、田島を宮内府の長官に任命した芦田均と、その後に長く政権を担った吉田茂との対比が目を引きます。

昭和26年5月23日の拝謁で、田島長官が「吉田ハ演繹的でカンできめた事を強く押す。理屈でいろいろ究(きわ)めつくして帰納するといふ事がございません」と述べると、昭和天皇は「芦田は其点よろしい。理論ぜめで少しぎこちないが行き届く。研究した結果道理でおして、一寸(ちょっと)きつすぎる場合もあるが事態はちやんと研究する。吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね吉田と芦田との長所が一人だとよい」と述べたと記されています。

また、昭和28年8月12日の拝謁では、昭和天皇が「吉田と組むのは重光(しげみつ)より芦田がよい。芦田ハ頭がよくて、細くて、よく知つてあれハ長所が丁度吉田の短所だからあの二人が組むとよい。丁度(ちょうど)近衛と東條のやうなもので二人よせると丁度いヽ一人が出来る」と語ったと記されています。

この2人を比べる際には、総じて吉田よりも芦田への評価が高く、昭和26年12月24日の拝謁で、昭和天皇は「吉田の人物の事で非常にいヽ人だが人物を見る明の点どうかと思ふ」と評し、「芦田は中々出来る。吉田とコムビ(コンビ)になるといヽがなー。一所(いっしょ)ニやれば吉田ハ老人だし自然ニ芦田も首相ニなれる」と語ったと記されています。

大局的な物の見方ができるかが評価軸

「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、「昭和天皇の人物評はおもしろいし、長く政治の中心にいた昭和天皇の人物評には重みがあることは間違いないが、それだけでその人の評価を決めつけてしまうのではなく手がかりの1つと考えた方がいい」と述べました。そのうえで、「いかに大局的な物の見方ができるかが昭和天皇の評価軸だ。個別の利害や個人の義理人情ではなく、そういうものをすべて捨ててある意味冷徹に大局的な判断ができるかどうかが、昭和天皇の政治家の判断基準になっているということが拝謁記を読んでいくとよくわかると思う」と指摘しました。

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