昭和天皇「国民が求めるなら退位躊躇せぬ」

「拝謁記」には、国民が求めるなら天皇の位にとどまることにはこだわらないとする昭和天皇の言葉が記されていました。

目次

退位も辞さない言葉に感涙

昭和24年12月19日の拝謁では、田島長官が当時皇太子だった上皇さまを早く外遊させるべきだという昭和天皇に理由を尋ねたところ、昭和天皇が「講和ガ訂結(ていけつ)サレタ時ニ 又退位等ノ論が出テ イロイロノ情勢ガ許セバ 退位トカ譲位トカイフコトモ 考ヘラルヽノデ ソノ為ニハ 東宮チャンガ早ク洋行スルノガ ヨイノデハナイカト思ツタ」と語ったと記されています。

民間出身で、長官就任以来、皇室と国民の関係づくりに力を注いできた田島長官は、昭和天皇の退位も辞さない言葉を聞いて、感激して涙を流し声を発することができなかったと記しています。

田島長官は、しばらくして、「大元帥陛下ノ馬前(ばぜん)ニ 戦死シタモノヽ心 及其遺家族ノ 殊ニ母トカ未亡人トカノ 心情ヲ考ヘマスレバ 陛下ノ只今ノ様ナ御考ヘ方ヲ 拝シマスルコトハ 悲シイコトデハアリマスルガ 又実ニウレシイコトデ ゴザイマス」と述べたと記されています。

そして、「御発表ノ好機迄ハ 絶対ニ御発言無之(これなく)、 又時来レバ 何卒御発意ノ通リニ 御発言願度(ねがいた)キヤウニ存ジマス 田島自身モ 今日陛下ノ御言葉ヲ 承リマシタコトハ 腹ノ底ニシマイオキマスルガ/只今ノ御言葉ノ様ナコトガ 伺ヘレバ 日本再興ノ道義ノ上ニモ 大変有難イコトト存ジマス」と述べたと記されています。

戦争の道義上の責任を強く意識

また、昭和26年8月22日に静養先の那須御用邸で拝謁した際には、昭和天皇は「長官だからいふのだが」と前置きしたうえで、終戦の日に放送された「終戦の詔勅」の内容に触れ、「あれは私の道徳上の責任をいつたつもりだ。法律上ニハ全然責任ハなく又責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易であるが道義上の責任を感ずればこそ苦しい再建の為の努力といふ事ハ責任を自覚して 多少とも償ふといふ意味であるがデリケートである」と述べたと記され、戦争の道義上の責任を強く意識していたことがうかがえます。

この日の拝謁では、さらに田島長官が昭和天皇に「真似目な智識人の内ニ 矢張り御退位の方が陛下の道義上の責任として至当であるといふものゝ相当居ると思ひまする」と述べたと記されています。

その6日後の拝謁(昭和26年8月28日)では、昭和天皇の退位問題をどうするか田島長官が当時の吉田茂総理大臣に相談した際のことが記されていました。

この中で、田島長官が吉田総理大臣は退位問題に対して「世の利口ぶるものが そんな事をいふのもあるが人心の安定上そんな事は考へられぬ」という態度だとしたうえで、「私も大体結論はそうかと思ひまするが世の利口ぶつたものゝ話をきけば一理あるやうに感じられまするので 世の利口ぶつた人が納得して退位論をいはぬ様ニなるやうな方策も考へられねばならぬ」などと話し合ってきたことを報告したと記されています。

昭和26年12月13日の拝謁では、独立回復を祝う式典で述べるおことばの文案を検討する中で、昭和天皇が「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬといふ事も書いて貰ひたい」と述べ、田島長官が「それは織り込みますれば結構でございますが余程六ケしいと存じますがどこかに其意味ハ出なければならぬと存じます」と述べたと記されていました。

一方で、昭和天皇はこの直後に「東宮ちやんは大分できてゝいゝと思ふがそれでも退位すれば私が何か昔の院政見たやうないたくない腹をさぐられる事もある。そして何か日本の安定ニ害がある様ニ思ふ」と述べ、当時まだ若い皇太子だった上皇さまに位を譲れば「院政」と言われ、日本のためにならないのではないかという認識を示したと記されています。

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