「生々しい肉声 超一級の資料」

今回見つかった「拝謁記」は初代宮内庁長官の田島道治が、日記とは別に、昭和天皇などと面会した際のやり取りなどを記録していたもので、長年遺族の元で極秘に保管されていました。

目次

18冊の手帳とノート

宮内府の長官に就任した半年後の昭和24年2月から長官を退いた昭和28年12月までの4年10か月余りの間の拝謁の記録が、手帳とノート合わせて18冊に記されています。

このうち6冊は小型の手帳や日記帳で、欄外や余白部分にまで細かい文字がびっしりと書き込まれていて、12冊はより大きなA5やB5サイズのノートに記されています。

手帳や日記帳の形をしているものは、いずれも冒頭部分に「拝謁記」というタイトルと記録の期間が書かれています。また、ノートの一部には表紙に赤鉛筆で「マル秘」と書かれています。

昭和天皇の発言だけでなく、相対している田島長官の発言や田島長官がその時感じたことなども含めて2人の対話の流れをそのまま追える形で書かれているのが大きな特徴です。

また、拝謁の日付だけでなく、開始と終了の時間や場所のほか、同席者の有無、天皇から呼ばれた「御召し」か長官から面会を求めた「願出(ねがいで)」かなど、その時々の状況も詳しく記録されているため、長い時間をかけて昭和天皇と田島長官の間で交わされたやり取りが、その場の雰囲気も含めて手に取るようにわかります。

専門家「生々しい肉声 超一級の資料」

「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「詳しくて生々しい昭和天皇の肉声がいっぱい書かれているので非常に驚いた。発言の要旨ではなくほとんど昭和天皇がしゃべったままの言葉が書かれていると思う。昭和天皇の肉声をこれほど継続的に詳しく記録した資料は他に例がなく、今後昭和史を研究する上で超一級の基本資料になる」と話しています。

拝謁の記録は600回 300時間超

「拝謁記」には合わせて622回の拝謁が記録されていて、このうち99%にあたる613回が昭和天皇への拝謁でした。そのほとんどにあたる563回は場所が明記されていて、それ以外についても他の記録と突き合わせることで場所が特定できるものもあります。

拝謁の場所で最も多かったのは、当時宮内庁の庁舎内にあり、昭和天皇が公務のために使っていた部屋「御座所(ござしょ)」で334回、次いで、戦時中に作られた防空施設で、空襲のため宮殿が焼失したあと戦後長く昭和天皇が住居として使っていた「御文庫(おぶんこ)」が175回、葉山御用邸が32回、那須御用邸が12回などとなっています。

中には、地方巡幸に向かう特別列車の車内や訪問先の宿舎などでのやり取りの記録もありました。

拝謁は短い時で数分、長いときには2時間にも及び、記録された面会時間を足し上げると330時間を超えます。

9割は「昭和天皇実録」に記載なし

「拝謁記」の発見によって今回判明した昭和天皇と田島長官のやり取りのほとんどは、これまで全く知られていなかったものです。

宮内庁は、昭和天皇の活動を後世に伝えるため、公文書をはじめ未公開の日誌や側近の日記、それに外交や防衛関連の文書などおよそ3000件にのぼる資料をもとに、24年5か月かけて61巻、1万2000ページ余りにおよぶ公式記録集「昭和天皇実録」を編さんし、5年前に公開しました。

昭和天皇実録

田島家に残されていた資料のうち、長官在任中の日記や文書などはこのとき宮内庁に提供され、昭和天皇実録のさまざまな記述の典拠として使われました。

しかし、「拝謁記」については極秘に保管されていたということです。このため、「拝謁記」に記録されている昭和天皇と田島長官の拝謁のうち実録に記載があるのはわずか1割に過ぎず、その部分も交わされた会話の詳しい内容はほとんど記されていません。

「空白期」埋める貴重な資料

「拝謁記」の分析を担当した近現代史の専門家たちは、「田島の拝謁記にはこれまで資料が乏しかった占領期の昭和天皇の肉声がこれ以上期待できないほどの質と圧倒的な量で記録されていて、今後占領期の日本や象徴天皇制の成り立ちを研究するうえで根幹をなす貴重な資料だ」と指摘しています。

昭和天皇の肉声を記録した資料は、戦前や戦中については宮内大臣や内大臣を務めた牧野伸顕の日記や、戦時中に内大臣を務め戦後A級戦犯として終身禁錮刑の判決を受けた木戸幸一の日記などがあり、研究も進んでいます。

しかし戦後のものは多くなく、このうち、戦後間もない頃に侍従次長を務めた木下道雄の「側近日誌」には、当時の宮中の状況や昭和天皇の肉声が克明に記録されていますが、その期間はわずか半年余りです。

また、戦中から昭和60年まで側近として昭和天皇を支え、侍従長も務めた入江相政が50年余りにわたってほぼ毎日つけていた日記も残されていますが、占領期については、まだ若手の侍従の1人にすぎなかったため、重要な場面に関する記述や昭和天皇の肉声の記録はほとんどありません。

このほか、昭和天皇が戦争に関する出来事を回想し、側近に書き取らせた「昭和天皇独白録」もありますが、東京裁判対策のために作られたこともあり、その内容は限定的です。

昭和天皇独白録

戦後の占領期は断片的な資料しかない、いわば「資料の空白期」で、昭和天皇の戦争責任や政治への関与に関する新事実は、アメリカ側の資料によって少しずつ明らかにされてきたのが実情です。

9か月かけ10人超える専門家と分析

NHKは、日本近現代史が専門の第一線の研究者に協力を求め、およそ9か月かけて遺族から提供を受けた「拝謁記」などの資料の解読と分析を進めてきました。

分析を主に担当したのは「昭和天皇『理性の君主』の孤独」などの著書がある日本大学の古川隆久教授をはじめ、志學館大学の茶谷誠一准教授、成城大学の瀬畑源非常勤講師、京都大学大学文書館の冨永望特定助教の4人のチームです。

それ以外に、4人の若手研究者が膨大な記述の解読作業をサポートしたほか、昭和天皇実録の編さんに関わった元宮内庁職員や政治史や軍事史などが専門の複数の研究者、それに海外の識者にも「拝謁記」や関連資料の評価などについて意見を求めました。

「拝謁記」の分析には合わせて10人を超える専門家が関わっています。

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