「平和の祭典」の意義とは 北京パラリンピック

「平和の祭典」
北京パラリンピックは、このことばの意義が大会を通して問われる大会となった。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中で開催された北京パラリンピックは、RPC=ロシアパラリンピック委員会とベラルーシの参加が直前で認められなくなるという異例な形で幕を開けた。
そして、選手たちは口々に平和を願うことばを発し続けた。
(北京パラリンピック取材班記者 細井拓/持井俊哉/松山翔平)

目次

    “戦争や憎悪の時代ではない”

    2022年3月4日。北京パラリンピック開会式。
    4年に1度の祭典に46の国と地域からおよそ560の選手が参加した。
    IPC=国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が世界へ訴えた。

    「今は対話と外交の時代であり、戦争や憎悪の時代ではない。世界は共に生きる場で分断すべきではない」

    そして最後に両手の拳を握りしめて力強く呼びかけた。

    「ピース(平和を)!」

    ロシアによるウクライナ侵攻が続く中で、「平和の祭典」が幕を開けた。

    揺れ動いた判断

    RPCの選手たちはすでに現地入りしていた。アイスホッケーの選手たちは練習試合に臨むなど、調整を進めていた。しかし、IPCは開幕前日になって、同盟関係にあるベラルーシとともに出場を認めない決定がを下した。
    いったんは、中立的な立場の個人としてのみ出場を認めたが、判断を一転させたのだ。

    大会前に選手村に掲げられていたRPCの旗

    この背景についてパーソンズ会長は、参加するおよそ50の国と地域の半数以上が、RPCとベラルーシの参加に反対する意思を表明していたことを明かした。
    RPCのバイアスロンのコーチは失望感をあらわにした。

    「選手たちと抱き合って涙を流した。政治抜きのスポーツということばは、もうずいぶん昔に機能しなくなった」

    多様性を認め、共生社会を目指す「平和の祭典」のはずのパラリンピックが、一部の選手たちの排除という大きな矛盾を抱えることになった。

    ウクライナ祖国への思い胸に

    大会が始まった。
    ウクライナの選手たちは、ロシアの軍事侵攻に苦しむ祖国への思いを胸に懸命な姿を見せた。

    選手団の主将を務めたバイアスロンとクロスカントリースキーのグレゴリー・ボブチンスキー選手は国を代表する選手としての責任感を示した。

    グレゴリー・ボブチンスキー選手

    グレゴリー・ボブチンスキー選手

    「ここで戦うことがいま自分たちにできる唯一のことだ。ウクライナに光を届けたい」

    しかし、祖国の深刻な状況が、みずからのパフォーマンスに影響を及ぼす選手の姿もあった。バイアスロンに出場したユリア・バテンコワ バウマン選手。目指していたメダル獲得はならず苦しい胸のうちを明かした。

    ユリア・バテンコワ バウマン選手

    ユリア・バテンコワ バウマン選手

    「キエフにいる家族との電話の向こうでは、銃撃や戦闘機の音が聞こえる。毎日悪夢を見て眠れず、競技に集中できない」

    大会期間中の3月10日。ウクライナの選手団は選手村で平和を訴える横断幕を掲げ戦争をやめるよう訴える異例の行動に出た。

    ウクライナパラリンピック委員会のワレーリイ・シシュケービチ会長が訴えた。

    ワレーリイ・シシュケービチ会長

    「私たちの国でどれだけひどいことが起きているか見てほしい。聡明な人間ならば戦争を止めなければならない」

    そしてNHKの単独インタビューに対しシシュケービチ会長はこう語った。

    ワレーリイ・シシュケービチ会長

    「私たちがここにいる理由は、ウクライナの存在を世界に示し、みんなで力を合わせて戦争を止めるためだ」

    アスリートにできることは

    軍事侵攻が続く中で行われた異例のパラリンピック。
    日本の選手たちは今回の事態をそれぞれ重く受け止めていた。

    ボブチンスキー選手と佐藤圭一選手(右)

    佐藤圭一選手(バイアスロン)

    「アスリートとして今の世界情勢でできることは、自分のパフォーマンスで平和を伝えることだと思う」

    狩野亮選手(アルペンスキー)

    「大会に出られない選手や世界で命を落としている人がいることを考えると僕らも自覚を持ってレースに出ないといけない。早く悲しい現実が収まってほしい」

    岡本圭司選手(スノーボード)

    「世界的に大変な時だが、僕らが必死に滑ることで、ちょっとでもみんなが興奮してくれたら」

    大会最終日。ウクライナの選手団がクロスカントリースキーの競技会場で再び声をあげた。最後の種目で金メダルを獲得。メダルセレモニーのあと、選手たちが整列した。
    今大会、ウクライナ選手団は過去最多となる11個の金メダルを獲得した。
    選手団の主将、ボブチンスキー選手はこうした結果の意味をこう話した。

    グレゴリー・ボブチンスキー選手

    「私たちにとって勝利は大きな意味がある。すべてのウクライナ人の勝利であり、すべてのウクライナのための勝利だからだ。この勝利をウクライナの人たちと分かち合いたい」
    「私たちは日々、国とともにあり、私たちにはここで戦う最大のモチベーションがある。それが今回、ウクライナのパラリンピックチームが史上最高となった理由だ」

    地元 中国が躍進 一方で日本は…

    異例の状況下で行われたパラリンピック。
    日本の選手たちにとっては課題が浮き彫りになった大会でもあった。

    今大会を通して目立ったのは地元、中国勢の活躍。パラリンピックでは前回大会の車いすカーリングで金メダルを取ったのが冬の大会史上初のメダルだったが、今大会は金メダル18個を含む合わせて61個のメダルを獲得した。

    前回大会の出場選手は男女合わせて26人だったのに比べ、今大会は地元開催とあってすべての競技にエントリーし116人が出場。自国開催をきっかけに急速にパラスポーツが普及したとみられる一方、イタリアからアルペンスキーのコーチを招くなど強化を進めた結果が表れた。

    スノーボードクロスで表彰台独占の中国選手

    さらに、中国は若い世代の選手の活躍が目立った。
    スノーボードでメダルを獲得した選手7人のうち4人は10代の選手。また7人のうち6人はパラリンピック初出場だったが、これまでワールドカップなどで上位を占めてきたアメリカやヨーロッパの選手を抑えメダルに輝いた。
    夏のパラリンピックでは通算1229個のメダルを獲得している中国が、本格的に冬の大会の強化に取り組み始めたことを示す大会となった。
    (日本の夏の大会のメダル数は通算427個)

    一方の日本。
    今大会のメダル獲得数は7個で、前回ピョンチャン大会の10個を下回った。アルペンスキーで25歳の村岡桃佳選手が金メダル3個、銀メダル1個。クロスカントリースキーで21歳の川除大輝選手が金1個。41歳の森井大輝選手が銅メダル2個を獲得した。

    クロスカントリースキーでは川除選手の金メダルをはじめ、18歳の岩本美歌選手が初出場を果たすなど若手の台頭もあったが、中には出場選手たちの顔ぶれが何大会も変わらない競技もあるのが現状だ。

    7大会連続出場のクロスカントリースキーのエース、新田佳浩選手はパラリンピックで日本のノルディックチームのメダル獲得を途切れさせないためにと競技を続けてきた側面がある。その新田選手は、次世代のエースとして川除大輝選手が金メダルを獲得したあとこう話した。

    新田佳浩選手

    「川除選手1人に頼ることはやっぱりよくない。次の世代の選手を発掘してしっかり引き上げていくことや、中国のように夏の競技の選手を引っ張ってきて強化すれば、飛躍につながる可能性がある。そうしたことも模索をしながら、クロスカントリースキーの魅力や楽しさを障害がある人にも伝えていく」

    普及のきっかけに“二刀流”

    新田選手のことばに今後のパラスポーツの普及に関してのヒントがある。
    そのキーワードは“二刀流”だ。

    今大会に出場した日本選手29人中のうち、冬と夏のパラリンピックに出場を果たした選手は4人。海外ではさらに広がっていて、夏と冬のパラリンピックでいずれも金メダルを獲得したトップ選手もいる。
    アメリカのケンドール・グレッチ選手は去年の東京大会はトライアスロンで金メダル。今大会はバイアスロンの女子10キロの座って滑るクラスで金メダルを獲得た。

    ケンドール・グレッチ選手(アメリカ)

    高いパフォーマンスを持つ選手の活躍は、障害のある人がスポーツを始めるきっかけになる可能性がある。

    自国開催で盛り上がりを見せた東京パラリンピックのあとスポーツ庁が調査したところ、週1回以上運動をしている障害のある人の割合は31%で過去最高にのぼった。

    “二刀流”で結果を残した村岡選手は次のように話す。

    村岡桃佳選手

    「片足がなかったり、視覚障害があったり、いろいろな選手が三者三様のプレーでいちばん上を目指している。その迫力や格好よさを見てほしいし、障害がある人たちが『ちょっとやってみたいな』『チェアスキーに乗ってみたいな』と思ってくれたらうれしい」

    障害がある人がさまざまなスポーツを楽しめるような社会の実現は、トップ選手育成の土台となり、強化にもつながっていく。

    スポーツができることは

    「多様性と調和」を掲げ、パラスポーツへの認知が広がった去年の東京パラリンピック。そのわずか半年後に開催された北京パラリンピックでの選手たちの活躍は、夏だけでなく冬のパラスポーツにも関心が高まる大きなチャンスだった。

    それだけに、ロシアによる軍事侵攻がパラリンピックに落とした影の大きさは計り知れない。
    このような世界情勢の中でパラリンピックは必要なのか。
    トップ選手不在の中で獲得したメダルに価値はあるのか。
    そうした疑問の中でも選手たちは精いっぱいのパフォーマンスを見せることでスポーツの価値を示し続けた。

    アレクサンドラ・レクソバー選手(スロバキア)

    視力を失いながらガイドの声だけを頼りに、急斜面を滑りきったアルペンスキーのスロバキアの選手。
    出場するクラスがなくなり裁判に訴えてまでパラリンピック出場をかなえた結果、金メダルを獲得したアメリカの女子スノーボード選手。
    そして、祖国を思い平和への願いを込めて躍進したウクライナ選手団。
    ノルディックスキーのアメリカ代表でウクライナ出身のオクサナ・マスターズ選手は、祖国への思いとともに、出場できなかった選手たちに向けてこう語った。

    オクサナ・マスターズ選手(アメリカ)

    オクサナ・マスターズ選手

    「私はロシアとベラルーシの出場できなかった選手たちにも心を寄せたい。スポーツは団結し、すべてのアスリートに機会が与えられるべきだが、そうならなかったことは不幸なことだ。またいつか一緒に競える日がくれば」

    “戦う”のではなく“一緒に競う”。
    それはスポーツの本質であり大きな魅力でもある。
    「一緒に競う場」があり、スポーツができるということが、決して当たり前ではなく貴重で、尊いものだということに改めて気づかされた。

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