頼りなかった“次のエース”
川除選手が「次のエース」として期待されるようなったきっかけは、2019年の世界選手権でした。
大柄な海外勢が立ちはだかるパラクロスカントリスキーで、身長1メートル60センチほどと、ひときわ小柄な川除選手が金メダルを獲得し、初めて世界の頂点に立ったのです。
これまで日本代表チームをけん引してきた絶対的なエース、新田選手が北京パラリンピックを集大成にすると明言したこともあり、川除選手に対する周囲の期待は高まっていきました。
しかし、川除選手は、周囲の期待とは裏腹に「エース」として、チームをまとめる役割を求められることに自信を持てずにいました。
憧れてきた背中
川除選手にとって新田選手は、憧れの先輩であり、競技を始めるきっかけとなった存在でもありました。
小学1年生からスキーとサッカーをしていた川除選手にスキーに専念するようアドバイスしたのが新田選手でした。
バンクーバー大会で金メダルを獲得した新田選手からプレゼントされた色紙を、川除選手は今も大切に持ち続けています。
「不可能は可能性」
色紙に書かれた新田選手からのメッセージを胸に川除選手はその背中をずっと追いかけてきました。
川除選手
「ただただすごい選手だなと思っていました。大きくなれば新田さんみたいに強くなれるかなという憧れを持たせてもらいこういう生き方もあるよと道を教えてもらった。本当に新田さんの背中を見て育ってきたと思います」
新田の思い “大輝しかいない”
長野大会からパラリンピック出場を続ける新田選手が守ってきた「エースのバトン」。
前回のピョンチャン大会で金メダルを獲得した新田選手は「美しく引退する」という考えも頭をよぎったといいます。
それでも北京大会を目指したのは、クロスカントリーとバイアスロンの2つの競技でパラリンピックのメダル獲得を続けてきた日本代表の伝統を途切れさせたくないという思いがありました。
北京大会まで3か月を切った去年12月。
新田選手は川除選手への期待を口にしていました。
新田選手
「自分が先輩から受け継いだ“エースのバトン”を渡すとしたら大輝しかいない。ただ、チームを引っ張るというのは結果だけではなく競技に向き合う姿勢や態度など真価が問われるので、まだ彼にはたくさんの伸びしろがあると思っています」と話していました。
芽生え始めた“エースの自覚”
新たなエースとして、川除選手の意識が変わるきっかけとなったのは、新田選手からかけられたあることばでした。
北京大会に向けた最後の実戦機会となった去年12月のカナダでのワールドカップ。2種目で4位に入った川除選手は新田選手から「大輝はすごいよ」と声をかけられたといいます。
川除選手
「憧れでありライバルでもある新田選手から褒められたことはなかったので、すごく認められているという気持ちがしました」
それまでは「自分から考えて行動することが苦手」と話していた川除選手ですが、その後の合宿では、滑りの課題点を洗い出したり、納得いくまでトレーニングを繰り返したりするなど、明らかに変わっていきました。
北京で継承したエースのバトン
迎えたパラリンピック本番。
川除選手は、これまで課題としていたレース終盤に、あえて勝負を仕掛けるという強気のレースプランで臨みました。
川除選手
「自分自身、後半に徐々に調子が上がってくるので、最初は落ち着いて入ろうと思っていた。20キロだと後半にほかの選手のペースが落ちていくので、そこで自分のペースを上げようという展開を考えていた」
そのプランどおり、後半に後続の選手を突き放し、見事、金メダルを獲得しました。
川除選手
「まさか自分がという気持ちがすごく大きくてまだ実感がわいていない」
同じ種目に出場して7位となった新田選手はレースのあと金メダルを獲得した川除選手に向けて話しました。
新田選手
「苦しかったと思うが、よく頑張ったなと思う。これからもいろいろなことがあると思うが、頑張っていってほしい。僕がいなくてもやってくれると思うので、あとはよいチーム作りをしてほしい」
川除選手
「これまでは周りから“エース”と言われても自分はまだそこまでの選手じゃないと思っていたが、きょうを第1歩として勝ち続けていきたい」
そして「新田選手にはお疲れさまでしたと、自分がこれから日本チームを引っ張っていきますと伝えたい」と続けました。
北京で受け継がれた「エースのバトン」。
小柄な新エースの背中は、いつになく大きく見えました。