“攻めきる滑り” 課題は最初の200メートル
高木選手は北京オリンピックに臨むにあたり「攻めきる滑り」というテーマを自分自身に課していました。
それは、その日の自分が出せるすべての力を出して、ベストな滑りをすることを意味します。
17日の女子1000メートルで「攻めきる滑り」をするために高木選手が必要な要素になると考えていたのが、最初の200メートルの加速でした。
遅すぎてもスピードに乗れず、速すぎても体力を消耗して中盤以降の失速につながります。
そのため、最初の200メートルをどのように滑るかが課題でした。
その最初の200メートル。高木選手は全体トップの17秒60で通過します。
今シーズン、高木選手が1000メートルでマークした最も速い通過タイムでした。
頼れるコーチの復帰
高木選手にとって、頼もしかったのは、長年指導を受けていたヨハン・デ・ヴィットコーチの復帰です。
デ・ヴィットコーチは、現地に入って新型コロナウイルスのPCR検査で陽性となり、現場を2週間近く離れていました。
レース直前や練習中に直接コミュニケーションがとれず、「1人では強くなりきれなかった」と、今大会は得意の1500メートルで金メダルを逃すなど序盤は苦しい時期が続きました。
デ・ヴィットコーチが復帰したのは今月13日。
すぐに高木選手に的確なアドバイスを送りました。
デ・ヴィットコーチ
「7年も一緒にいるのだから彼女の気持ちや感覚は見ればすぐ分かる」
13日の500メートル。レース前にデ・ヴィットコーチはー
「肩に力が入っている。自由にやりなさい」
このことばが高木選手の力を引き出しました。
自己ベストのタイムで銀メダルを獲得したのです。
高木美帆選手
「苦しい時期が続くなか自己ベストを出せたこと、こん身のレースができたことがうれしかった。今は正直、驚いている気持ちでいっぱい」
今大会5種目目となった17日の1000メートル。
その前にもデ・ヴィッドコーチはアドバイスを送っていました。
デ・ヴィットコーチ
「スタートがうまくいって、前半いいタイムを出せば必ず勝てる。スタートが肝心だ」
高木選手は、このことばを胸に「スタートの一歩を決めることだけを考えていた」と集中。
最初の200メートルを17秒60で滑り、個人種目で自身初となる金メダル獲得につなげました。
挑戦が生んだ“価値ある気付き”
1000メートルの攻めの滑りを後押しした存在が“もう1人”いました。
4日前、500メートルを滑りきった高木選手自身です。
実は、高木選手は500メートルに出場するかどうか、悩んだ瞬間がありました。得意の1500メートルで金メダルを逃し、気持ちの整理がつかなかったのです。
金メダルにより近い、団体パシュートと1000メートルに集中したほうがいいのではないかと考えたからでした。
それでも高木選手は挑戦することをやめず、女子500メートルに出場します。結果は銀メダル。
その結果と同じくらい価値のある大きな気づきがありました。
それが「長距離」から「短距離」への感覚の切り替えです。
女子500メートルの前の日には、2400メートルを滑る女子団体パシュートの準々決勝がありました。
【高木選手の北京五輪全レース】
2月5日 | 3000m 4分1秒77 6位入賞 |
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2月7日 | 1500m 1分53秒72<銀メダル> |
2月12日 | 団体パシュート準々決勝 2分53秒61(五輪新=当時) |
2月13日 | 500m 37秒12(自己ベスト)<銀メダル> |
2月15日 | 団体パシュート準決勝 2分58秒93 団体パシュート決勝 3分4秒47<銀メダル> |
2月17日 | 1000m 1分13秒19(五輪新)<金メダル> |
長距離の団体パシュートから、短距離の500メートルへ滑りをどう切り替えていくか。そのリズムを体感していた高木選手。
だからこそ17日の1000メートルの2日前に長距離のパシュートがありましたが、長距離から短距離の滑りにスムーズに切り替えることができたのです。
高木美帆選手
「500メートルに出たのが大きかった。あの500メートルがあったから、どれだけ疲労があってもいけるという自信を持てた」
金メダルを獲得した翌日の18日の記者会見。
高木選手が今大会を振り返りました。
高木美帆選手
「4つのメダルを獲得することができ、無事に最後まで走りきることができてよかった。最後の種目で金メダルを取ることができたのは、私の力だけではなかったのでチームの力を証明できた」
全幅の信頼を寄せるコーチの存在と、最後まで挑戦を続けるという自分自身の意思。
2つの要素が力となり高木選手の「攻める滑り」が完成しました。