2018年 ピョンチャンパラリンピック 日本は10個のメダル

2018年、冬のピョンチャンパラリンピックで日本は若手や初出場の選手が躍動しベテランも奮闘。金メダル3つを含む10個のメダルを獲得し、長野大会、バンクーバー大会に次ぐメダルの数となりました。
日本選手の活躍を振り返ります。

目次

    アルペンスキー 村岡桃佳が5個のメダル

    アルペンスキーでは、女子の座って滑るクラスで2回目のパラリンピック出場となった当時21歳の村岡桃佳選手が、大回転の金メダルなど冬の大会で日本選手最多となる5個のメダルを獲得しました。

    4歳の時に脊髄の病気の影響で両足が不自由になり、中学生の時から本格的に競技を始めた村岡選手。
    金メダルを獲得した大回転は1回目、スタートしてすぐの緩い斜面でリズムにのり急斜面に変わる苦手な場面も難なく通過、「楽しくて気持ちよかった」とトップに立ちました。2回目は体の動きが硬いことに気づいたものの、普段どおりのターンをしようと必死に修正。そのまま滑りきり、金メダルをつかみ取りました。

    村岡桃佳選手

    「4年前のソチ大会で悔しい思いをしたので雪辱を果たせたし、この大会を通してもたくさん成長できた」
    「この4年間で大きく伸びたので、この先、伸び悩む時期もあるのかなと思うが、また次の4年間で成長したい。一回りも二回りも大きくなって、4年後の北京大会を迎えたい」

    森井大輝 4大会連続の銀メダル

    男子の座って滑るクラスでは当時37歳の森井大輝選手が滑降で銀メダルを獲得しました。

    森井選手は、高校2年生の時に、オートバイの事故で両足が不自由になりました。リハビリ中に長野パラリンピックをテレビで見たことがきっかけでチェアスキーに取り組み、2002年のソルトレークシティー大会からパラリンピックに出場。ピョンチャン大会は2006年のトリノ大会から4大会連続で銀メダルとなりました。

    森井大輝選手

    「結果が出たのはいいことで、持っているものを最大限出せれば金メダルに届くと思う」

    新田佳浩 “自分自身に負けないために4年間やってきた”

    クロスカントリースキーでは6大会連続出場だった新田佳浩選手(当時37歳)が金メダルと銀メダルを獲得しました。

    新田選手は3歳の時、祖父が運転する農機具に巻き込まれる事故で、左腕のひじから下を失いました。父親の勧めで小学3年生からクロスカントリースキーを始めました。6大会めのパラリンピックとなったピョンチャン大会は2大会ぶりのメダル獲得となりました。

    新田佳浩選手

    「自分自身に負けないために4年間やってきた。自分の力だけではなくてスタッフやスタジアムの多くの観客が応援してくれ最後まで諦めず、滑ることができて良かった」

    スノーボード 成田緑夢が躍動“最高の大会になった”

    スノーボードでは足に障害があるクラスで、当時24歳の成田緑夢選手が金メダルと銅メダルの2個のメダルを獲得しました。

    成田選手は2006年トリノオリンピックのスノーボードに出場した成田童夢さんと今井メロさんを兄と姉に持つ成田3きょうだいの末っ子です。
    自身もスキーフリースタイルでソチオリンピック出場を目指していましたが、19歳のときにトランポリンを使った練習中に左足を大けがしてひざから下に障害が残りました。
    その後、誘われて出場したウェイクボードの大会で優勝。 障害のある人から「夢や勇気をもらいました」とSNSを通してメッセージをもらったことをきっかけに、「自分がスポーツをすることでもっと多くの人に感動を与えられたら」と考え、パラリンピックを目指すことを決意しました。

    ピョンチャンでは同じコースを3回滑るバンクドスラロームで、1回目から3回目まですべてタイムを更新して金メダルを獲得を獲得しました。

    成田緑夢選手

    「ピョンチャン大会の目標は常に挑戦することで、1つとして同じ滑りはせずにベストを更新できたので完璧だった。文句のない最高の大会になったので今は、この優勝をかみしめることに全力を尽くしたい」

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