“何も希望が持てなかった”
大岩根選手は、東京都出身の41歳。
17歳の時にバイク事故で右肩から下のほとんどをなくしました。

大岩根正隆選手
「正直生きていく希望が見えなかったです。右腕が利き腕だったので、左腕で何かを行うイメージが湧かなかったんですよ。何も希望が持てなかったです」
スノーボードとの出会い “挑戦できる”
そんな大岩根選手を変えたのが、21歳の時、アルバイト先の社長の勧めで始めたスノーボードでした。

当時のブーツは紐で結ぶタイプ。誰かに結んでもらわないと滑り出すことさえできません。それでも、大岩根選手は、たった少しの成長でも周囲の人が喜んでくれることを知り、それがスノーボードを続けるモチベーションになったと言います。
大岩根正隆選手
「スノーボードと出会ってから、いくつも挑戦できるような気持ちに成長させてもらえた。自分でもどんどん挑戦していきたいなと思えるようになりました」
「世界で戦いたい」という夢
20代は、アルバイトで生計を立てながらスノーボードに没頭する日々でした。「世界で戦いたい」という夢はありましたが、当時日本には“パラスノーボード”を競技として実現させるための環境が見つかりませんでした。
夢を諦め、28歳でスノーボードから離れました。

それから10年あまり。
スノーボードは2018年のピョンチャン大会でパラリンピックの新競技となり、日本代表の成田緑夢選手が金メダルを獲得するなど注目を集めました。
大岩根選手はスノーボードに復帰することを決意しました。

大岩根正隆選手
「心のどこかで若い時に持っていた気持ちがやっぱり残っていたんですね。考えても考えてもその気持ちがどんどん強まって…」
鍵は“スタートの飛び出し”
パラリンピックのスノーボードは「バンクドスラローム」と「スノーボードクロス」の2種類があります。

バンクドスラロームは、バンクと呼ばれる傾斜の付いたコーナーが設けられたコースを選手が1人ずつ3回滑走し、その最速タイムで順位を競う種目です。

スノーボードクロスは、バンクやキッカーと呼ばれるジャンプ台が設置されたコースを使用し、予選では1人ずつ滑ってタイムによる順位で組み合わせを決め、決勝ラウンドでは1対1または複数による一斉スタートのレースで、早くゴールした選手が勝利します。

大岩根選手はスノーボードクロスが得意でしたが、去年はバンクドスラロームのワールドカップでも4位に入るなど力をつけてきました。
目標の北京オリンピック出場へ、大岩根選手が課題と考えているのは「スタートの飛び出し」です。

右腕のない大岩根選手はスタートバーを片手でしか引けないため、両手を使える選手よりも滑り出しが遅れてしまうのです。

このため今シーズンからは、スタートを強化するために「義手」を制作。スタートの動きでソケットが外れないようにするとともに、うまく力が伝わらるよう調整を重ねました。
まだ北京大会で義手に関するルールは定まっていませんが、準備を進めています。

大岩根正隆選手
「間違いなくトップ争いできる状態にもっていけると確信しています。日本代表として世界のライダーと戦いたい」
(スポーツ情報番組部 ディレクター 澤木里奈)