中川智正 元死刑囚 昭和37年10月25日生 平成30年7月6日 死刑執行

中川智正元死刑囚(55)は、大学の医学部に在学中の昭和63年にオウム真理教に入り、翌年、大阪の病院を辞めて出家した。

教団では麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚の主治医を務め、側近の1人だった。

平成元年の坂本弁護士一家の殺害事件に実行犯として加わったほか、猛毒のサリンの製造にも関わり、平成6年の松本サリン事件や平成7年の地下鉄サリン事件など合わせて11の事件で殺人などの罪に問われた。関与した事件で死亡した人の数は27人にのぼっている。

裁判ではほとんどの事件に関わったことを認め、「亡くなった方々や遺族にはお詫びの言葉もありません。人間として、医師として失格でした」と反省の言葉を述べた。

一方で弁護士は「指示に従わざるを得ない異常な心理状態にあり責任能力はなかった」などと主張したが、1審と2審で死刑を言い渡され、平成23年に最高裁判所で確定した。

平成27年に逃亡していた元信者の高橋克也受刑者の裁判で証言したときも、「申し訳ない」ということばを繰り返し、「人の人生や命を軽く見ていた。私たちの宗教や自分たちの犯罪行為をおわびしたい」と話していた。

その後は化学の専門雑誌にサリンを製造した過程を振り返る手記を寄せたり、アメリカの化学兵器の専門家、アンソニー・トゥー氏と面会して聞き取り調査に応じたりするなど死刑囚としては異例の外部への情報発信もしていた。

平成29年2月、マレーシアで起きたキム・ジョンナム氏殺害事件をめぐっては、かつて猛毒のVXを作った経験をもとに、合成方法などについてトゥー氏と共同で論文を書いた。6月、トゥー氏に送ったメールの中で中川元死刑囚は「自分たちがやったことが北朝鮮に使われたと考えると、いてもたってもいられない気持ちになってしまいました」と記していた。