“軍事演習再開”は朝鮮半島情勢が緊迫するサイン?

ベトナム・ハノイでの米朝首脳会談が物別れに終わり、一層不透明になった北朝鮮の非核化。

情勢を占ううえでの鍵の一つが、中止が決定された米韓の大規模な合同軍事演習の今後だ。

もしもこの先、大規模演習が再開されることになれば、米朝は後戻りができないほどに決裂し、極度に軍事的緊張が高まるかもしれない。(解説委員 津屋尚)

変わらぬ北朝鮮の脅威

まず、北朝鮮をめぐる安全保障上の現実を確認しておく必要がある。

北朝鮮による弾道ミサイルの発射と核実験が繰り返され、トランプ大統領が「炎と怒り(fire and fury)」に満ちた軍事攻撃で「北朝鮮を壊滅させる」と威嚇した2017年当時に比べれば、今は高い緊張状態にはない。

しかし、北朝鮮が広島型原爆の10倍とも言われる威力の水爆を爆発させる技術をすでに手にしており、日本を射程におさめる200発以上の中距離弾道ミサイルが実戦配備されているという現実に何ら変化はない。

さらに北朝鮮では、いったん解体されるかにみえた北西部の東倉里(トンチャンリ)にあるミサイル発射施設が、再び運用可能な状態に戻ったことが、3月、衛星写真の分析から明らかになっている。

ここに北朝鮮が人工衛星打ち上げ用と称する、事実上の長距離弾道ミサイルが設置されれば、いつでも発射できる態勢が整う。

在韓米軍幹部の言葉

ちょうど1年前の2018年3月、ソウル郊外ヨンサンにある在韓米軍司令部を訪れた。アメリカが今後、韓国との合同軍事演習をどうするつもりなのか、在韓米軍の幹部に直接確かめるためだ。

毎年この時期には、実働演習「フォール・イーグル」と指揮所演習の「キー・リゾルブ」が韓国とその周辺海域を舞台に2か月以上にわたって実施される。中でも「フォール・イーグル」は米韓両軍の大規模兵力が参加し、上陸作戦など実戦さながらの演習を繰り広げる。

しかし当時は、ピョンチャンオリンピックを機に、韓国と北朝鮮の対話の兆しがようやく見え始め、トランプ大統領も米朝首脳会談への意欲を示していた頃で、アメリカと韓国の演習が情勢に大きな影響を与える可能性があった。

在韓米軍司令部のあるアメリカ軍基地は、厳重な警備体制が敷かれ、立ち入りが厳しく制限されている。その一角にある古びた司令部庁舎に入ると、いちばん奥の部屋に案内された。

丸太のような太い腕をした軍服姿の男が待っていた。この在韓米軍幹部は、合同演習について質問をぶつけると温和な表情で語り始めた。
「今は軍事が後ろに下がり、外交を見守るときだ」と述べつつも、「定例の大規模合同演習は、常に人が入れ代わる在韓米軍の将校や現場の兵士の即応能力を維持するには不可欠だ。中止はない」と明言した。

在韓米軍は「fight tonight」=「今夜すぐにでも戦える」をモットーとする、米軍の中でも最も高い即応体制が求められる軍隊だ。定例の大規模演習がなければ、1年前後の周期で次々に着任してくる現場の指揮官や兵士、ひいては軍全体の練度や即応能力を維持するのは難しいと、幹部は強調していた。

その数日後、演習の実施を告げるプレスリリースが発表された。しかし、その広報文の表現は「ことしの演習は例年と同程度の規模で行う」と控えめなものだった。両国から合わせて30万人が参加し、「過去最大規模」を強調していた前年とは対象的だった。

オリンピック・パラリンピックの閉幕後、軍事演習は実施されたが、例年のように報道公開もされなかった。

突然の「演習中止」

トランプ大統領は去年6月12日、シンガポールでキム・ジョンウン(金正恩)委員長との初めての首脳会談を終えた後、記者会見で突然、合同軍事演習の中止に言及した。

これを受けて、その数日後には、その2か月後の8月に計画されていた米韓の大規模図上演習「ウルチ・フリーダムガーディアン」の中止が発表された。

この時、アメリカは北朝鮮に対して、“演習の再開”という交渉カードを手にしたという見方もできる。こちらが演習を中止して軍事的圧力を緩めている間に非核化への具体的な行動を示せ、さもないとトランプ大統領は黙っていないぞというメッセージにもなりうる。
この場合、演習の再開は“北朝鮮は不合格”と裁定を下すことを意味する。

ところが、北朝鮮との水面下の交渉で完全な非核化に向かう具体的な成果が見えないまま、その後も大規模演習の中止が相次ぐ。

B1超音速爆撃機

北朝鮮が恐れるB1爆撃機やF22ステルス戦闘機などが参加してきた空軍の大規模合同訓練「ビジラント・エース」や海兵隊の共同訓練などが相次いで見送られた。

そして、ことし2月末のハノイ。
2度目の首脳会談は、トランプ氏が安易な妥協をして何らかの合意に達するのではないかという、おおかたの観測は外れ、用意されていた合意文書はサインされることなく閉じられた。

会談が物別れに終わった後も、アメリカは北朝鮮との話し合いを継続する姿勢をみせる。3月上旬、去年は期間を短縮して行った「フォール・イーグル」と「キー・リゾルブ」の打ち切りがついに発表されたのだ。

この決定は、単に「中止」するのではなく、長年続いてきた2つの大規模演習の枠組みを「廃止」するというもので、北朝鮮への一層の妥協を示すものだった。

アメリカ国防総省はこの決定について「米朝首脳会談のあと、韓国側と協議した結果、外交を後押しするため演習の打ち切りを決めた」と発表した。

「カネがかかるから演習はやめる」

ところが、この2日後、トランプ大統領は、演習の打ち切りは「首脳会談のずっと前に決めていた」とツイートし、国防総省とはまるで食い違う説明を展開する。しかも、「演習をやめたのは予算を節約するため」と主張した。

ときにトランプ大統領をいさめ、「ブレーキ役」「最後の砦」とも言われたマティス氏は、国防長官を辞任する直前の去年暮れ、「フォール・イーグル」などの縮小の可能性は認めつつ、中止は明確に否定していた。

マティス前国防長官(右端)

ところがマティス氏がペンタゴンを去った今、在韓米軍を「金食い虫」とみなすトランプ大統領の意向が強く働いて、演習の打ち切りが決定したとみられる。

在韓米軍の駐留経費が高すぎると大統領選挙戦から主張してきたトランプ氏にとっては、軍事演習の予算カットは支持者へのアピール材料になるとの計算もあったのではとの声もある。

自国の軍事戦略を知らない“最高司令官”

気になるのは、アメリカ軍の最高司令官である大統領自身が在韓米軍の役割と演習の目的をどこまで正しく理解しているかだ。

トランプ氏が米韓の演習をやめる理由としてたびたび指摘してきたのは「グアムから朝鮮半島に飛ばす爆撃機の燃料代が高すぎるから」というものだ。

B52爆撃機

しかし、アメリカ軍は、そのよしあしは別としても、世界に展開して活動することを前提とする軍隊であり、航空機や海軍艦艇を動かす燃料が大量にかかるのは当然だ。

特にステルス爆撃機などは、その存在を秘匿するためにも本国から長距離飛行をして遠方の作戦地域に直接向かい、攻撃目標を爆撃することも珍しくない。

それを燃料費が高いという理由で演習や展開をやめるとすれば、最高司令官自身がアメリカ軍の戦略を理解していないと言われてもしかたないだろう。

どうなる抑止力?

合同軍事演習の中止は、米韓同盟の北朝鮮に対する抑止力にどの程度影響するのだろうか。

打ち切られた春の2つの大規模演習にかわって、規模を縮小した合同訓練が行われた。しかし、韓国の報道によれば、北の侵攻に対して攻勢に転じる作戦の想定も、ことしは見送られたものが多くあったようだ。

「フォール・イーグル」に参加した米空母部隊(2017年3月)

また、北朝鮮への刺激を避ける意図は、韓国に派遣される部隊の変化にも表れている。これまで何度も演習に加わり、北朝鮮に対してアメリカの強大な軍事力の存在を見せつけてきた空母機動部隊や戦略型原子力潜水艦、あるいは戦略爆撃機などは派遣されなかった。

大規模演習で重要な点は、在韓米軍だけではなく、日本やグアムなどからも、さまざまな部隊が期間中、時には1か月以上、朝鮮半島とその周辺に配置されるという事実だ。

そこには戦闘部隊だけでなく、作戦を指揮する司令部や後方支援部隊など、何かあればいつでも軍事行動を起こせる兵力がそこにいて、北朝鮮に対する強烈な抑止力となってきた。そうした兵力が来ないとなれば、北朝鮮指導部は枕を高くして眠れることだろう。

去年11月、就任した在韓米軍のエイブラムス司令官は、ことし3月27日、議会下院の公聴会で「去年11月以降、米韓の部隊レベルで82回の実働訓練を行っている。訓練は目的に達している」と述べ、演習中止の影響はないとの立場を示した。

確かに米軍は即応能力を少しでも落とさないよう韓国に部隊を送り、単独でも合同でも、公表しないさまざまな訓練を行っていることだろう。それでも、定例の大規模演習ができなければ、指揮官や部隊は実戦を想定した訓練の経験をつむ機会は減り、高いレベルの即応態勢を維持することは難しくなると、多くの軍経験者や専門家が疑問を抱いている。

実はエイブラムス司令官自身も就任前の公聴会では、演習が中止されたことで軍の即応態勢が低下していることを憂いた発言が報道されている。

再び緊張へ向かうのか?

エイブラムス司令官の3月27日の議会証言によれば、北朝鮮が非核化の約束をしたあと、南北を隔てる軍事境界線付近での緊張は緩和しているものの、北朝鮮軍は100万人を動員して冬季の大規模演習を行うなど戦力にほとんど変化は見られないという。
また、北朝鮮は非核化の約束とは矛盾する活動をしていることも明らかにしている。

ロイター通信によれば、ハノイでの首脳会談の際、アメリカ側はボルトン大統領補佐官が主張していた、いわゆる「リビア方式」、つまり、制裁解除と経済支援の見返りとして北朝鮮が核兵器をアメリカに引き渡し、すべての核開発計画や核施設の申告と廃棄を北朝鮮に提案したという。

しかし、北朝鮮はこれを拒否した。

リビアのカダフィ大佐

「リビア方式」は、リビアが経済支援の見返りに核開発計画を放棄した何年かあと、カダフィ大佐がアメリカも支援した反政府勢力によって殺害をされるという末路をたどったものであり、北朝鮮が最もいやがる選択肢だ。

「北朝鮮が完全な非核化に応じる可能性は低い」というのが、アメリカの軍と情報機関の共通した分析だ。両国の主張の隔たりの大きさを考えるとき、具体的な成果が期待できる形で両国が直ちに交渉の場に戻るのは非常に難しくなったと言わざるをえない。

情勢のバロメーター

このままこう着状態が続き、北朝鮮が非核化に背を向けてミサイル発射などの強硬姿勢に戻るようなことになれば、アメリカは軍事演習再開のカードを切る可能性がある。

先に触れたように、アメリカがそのカードを切るとき、対話重視の解決に見切りをつけ、かつてのように軍事的圧力をかけていく方針に転換したサインと解釈できるかもしれない。

その時、米朝の決裂は決定的となり、極度に軍事的緊張が高まる可能性がある。その意味で、米韓合同軍事演習再開の行方は、情勢のバロメーターともいえるだろう。

津屋尚解説委員