アメリカと北朝鮮~今、何が起きているのか?
2018年11月。韓国、ソウル近郊のハンフリーズ基地。
在韓アメリカ軍の司令部で、ある幹部はこう語った。
「いつでも準備は出来ている--」。
アメリカ軍、韓国政府、アメリカ国務省、有力シンクタンク。
北朝鮮の非核化を巡る米朝協議の内幕を知る30人以上と11月から12月にかけて面談した。アメリカ国務省がアジア太平洋地域のジャーナリストを集めて実施したあるツアーに参加したのだ。面談の内容は、ほぼすべてオフレコ。録音や直接の引用は許されない。
2018年6月の史上初の米朝首脳会談。
その後、実務者らによる協議は停滞し、先行きは見通せない。協議の最前線で今、何が起きているのか。
当局者や専門家たちとの面談のなかで見えてきた現状や見通しを4回シリーズで伝える。(国際部記者 小林雄)
第1回 最前線の部隊 在韓アメリカ軍
大都会ソウルの現実
人口1000万人の大都市、ソウル。
11月下旬、市内のホテルでアメリカ国務省の担当者は待っていた。ツアーを取りしきるのは日本や韓国を管轄するアジア太平洋局だ。街なかは、すでにクリスマスの装飾が施され、行き交う人々もどこかせわしげだ。アジアの大都市としてみれば、その様相は日本の都市部とあまり変わらない。
だが1つ、決定的に違うところがある。ここから35キロのところにまだ終わっていない戦争の最前線があることだ。
「ソウルを火の海にする」
北朝鮮は、たびたびソウルの市民を“人質”にとるかのような発言をし米韓を脅してきた。この脅しは決して見せかけではない。北朝鮮はソウルを射程に収める長距離砲や多連装式のロケット砲を南北の軍事境界線近くに配備しているとされ、その数はおよそ1万門ともいわれている。
1950年の朝鮮戦争時、北朝鮮軍の奇襲攻撃を受けたソウルはわずか3日で陥落した。朝鮮戦争の休戦後もソウルは北朝鮮の射程内というぜい弱性を抱え続けてきた。ソウルの人々の表情を見ていると、その緊張感は感じられない。休戦から65年以上がたち、戦争の記憶は遠のいている。
だが戦争はまだ終わっていない。
それを思い出させたのが、2017年の北朝鮮による相次ぐミサイル発射だった。
在韓米軍の中枢ハンフリーズ基地
ソウルの南60キロ。ピョンテク(平沢)市郊外にアメリカ軍のハンフリーズ基地がある。
アメリカ国務省が用意した車に乗り1時間ほどで到着した。ひとたび基地内に入ると、その景色は“アメリカ”そのものだ。ショッピングセンターや学校、集合住宅や教会などが建ち並ぶ。
敷地の広さは14平方キロあまり、東京の目黒区とほぼ同じで、敷地内にはウォータースライダー付きのプールや野球場もある。
海外のアメリカ軍基地のなかでも最大級とされ、アメリカ軍の兵士1万人、民間人や韓国軍も含むとおよそ3万人が駐在している。
1919年に旧日本軍が建設した航空基地を、朝鮮戦争時にアメリカ軍が修復して使用。その後、周辺の田畑を埋め立て、基地を拡大していった。
ハンフリーズ基地に在韓アメリカ軍の司令部が移動したのは2018年6月だった。司令部はそれまでソウル中心部のヨンサン(龍山)にあった。
ひとたび事が起きれば、北朝鮮の攻撃にさらされる場所にいつまでも拠点を置き続けるわけにはいかない。基地を北朝鮮の通常兵器の射程の外に出すことが移設の理由のひとつだったという。
司令部
司令部は近代的なデザインのコンクリート造りの建物に入っていた。出迎えてくれたのは広報担当の幹部。陽気でエネルギッシュな白人の男性だ。
部屋中に響く声で歓迎のあいさつをしたあと、早速、基地の体制を説明してくれた。それによるとこの司令部は3つの顔を持つ。
1つは「在韓アメリカ軍」。もう1つが米韓の軍事同盟による「米韓合同軍」。そして朝鮮戦争でアメリカを中心にカナダなども参加して形成された「国連軍」だ。
司令部の要員は制服のポケットに常に3つの記章を入れている。同じ要員が3つの組織それぞれの任務を同時に担っているのだ。任務の目的や性格により指揮系統は異なる。このため、どの組織の任務なのかに応じて制服に貼る記章を変えるのだという。
極度の緊張、そして緩和
司令部での取材で、ある幹部はトランプ政権発足前後の2016年から2017年を振り返り、かつてないほどの緊張の連続だったと明かした。
北朝鮮からミサイルが発射されるたびに召集され、ミサイルの発射地点、軌道、種類を詳細に分析する。北朝鮮は国際社会の制裁にもかかわらず、ミサイルの発射をかつてない頻度で繰り返した。
北朝鮮がこのままミサイルや核弾頭の開発をやめなければ、これを食い止めるためアメリカもより強硬な手段を検討するかも知れない。当時は多くの幹部でさえ先行きを見通すことはできなかったという。
「家族をすぐにアメリカに戻しなさい」
2017年夏以降、この幹部のもとにはアメリカに住む両親からたびたび電話があり、妻や子どもの帰国を迫られたという。
それだけ当時は張り詰めた空気が流れていたのだ。
対立から対話へ
その雰囲気が一気に変わったのが、2018年2月のピョンチャンオリンピックだった。
北朝鮮のミサイル発射はなくなり、司令部で突然の召集をかけられることはなくなっていった。2018年に入ってからの南北、米朝の対話ムードのなかで、最近はアメリカ中心の国連軍と韓国軍、それに北朝鮮軍の3者による協議の場が設けられている。
さらに信頼醸成措置の一貫として、軍事境界線のパンムンジョム(板門店)の共同警備区域のすべての武器を撤去し、区域内の北側と南側を観光客が自由に行き来できるようにすることも予定されている。
『いつでも準備はできている』
「今後、米韓の合同軍事演習にどのような変化があるのか」
ツアーに参加したジャーナリストたちの関心は、中止が相次いだアメリカ軍と韓国軍の合同演習の行方に集まった。政治情勢がどのように変化しようとも抑止力を高め有事に備えるという軍の役割は変わらない。そのために演習は絶対的に欠かせない。特に韓国に展開するアメリカ軍兵士は定期的に入れ代わっており、韓国軍との緊密な連携を維持する上で、米韓合同軍事演習は死活的に重要だという。
だが、外交交渉を支えるとするマティス国防長官のもと、国防総省とアメリカ軍は2018年、一部の演習の中止に踏み切っている。
質問に対し、司令部の幹部は来年春に予定されている定例の米韓両軍の海兵隊による合同軍事演習「フォール・イーグル」の規模を縮小し、防衛的な内容になる見通しだと説明した。
だが、現場部隊の本音には政治情勢に振り回されることへの不満もあるのかもしれない。
「演習がどうなろうが、何が起きても対応できる体制を整えるのが私たちの仕事、いつでも準備はできている」
最前線で北朝鮮と対峙するアメリカ軍。
「常に最悪の事態を想定するのがわれわれの役目だ」
取材の最後、幹部は淡々とした表情でそう語った。