“チャイメリカ”の終えん 米中分離の行方(前編)

「チャイメリカ」ということばをご存じだろうか?

「チャイナ」と「アメリカ」を掛け合わせた造語で、10年前の2009年、アメリカの有力紙、ニューヨークタイムズがその年の流行語の1つに選んだ。

中国が大量のアメリカ国債を購入し、アメリカが中国の製品を大量に買う。その相互依存の関係が深まり、もはや互いに離れられないという米中経済の一体化を表現したことばだ。

当時のクリントン国務長官も中国の慣用句「呉越同舟」を念頭に両国の経済の一体化を「船(ボート)」にたとえ、「米中両国は同じ船に乗っている。経済的に上昇するのも下降するのも一緒だ」と語った。

その運命共同体ともいわれた関係は10年後の今、大きく様変わりした。いま首都ワシントンでの新たな流行語は日本語で「分離」という意味の「デカップリング」だ。一体化していた米中の経済が分離し、それぞれに経済圏をつくろうとしている。

米ソ冷戦時代のように2つのブロック経済圏をつくる時代に再び突入するのか。世界は今、その岐路に立たされている。

トランプ大統領の脅し

“アメリカ企業を、中国から強制的に撤退させることを検討している”

8月下旬、トランプ大統領から突然、発せられたメッセージにワシントンで衝撃が広がった。

トランプ大統領の8月23日のツイッター

「われわれは中国を必要としていない。アメリカの企業にアメリカに戻って生産することを含め、中国に代わる選択肢を直ちに検討するよう命じる」

アメリカ企業に撤退を命令する権限はみずからにあるーー。

そう主張したトランプ大統領。ホワイトハウスはその根拠を「国際緊急経済権限法(IEEPA)」と説明する。
緊急時に大統領の権限を拡大することを定めた法律で1977年に施行された。

大統領がアメリカの安全保障や経済に重大な脅威を及ぼすと判断すれば、国家非常事態を宣言して対象国との経済的な取り引き停止を命じることができると規定されている。

これによりアメリカ企業に中国からの撤退を命じることができるというのだ。この法律は過去にテロや人権侵害を理由にイランやリビアなどに適用されてきた。

だが、非常事態宣言は相手への敵対姿勢を鮮明に打ち出すものだ。それは貿易摩擦に止まらない経済全般での事実上の宣戦布告とも受け取られかねない危険をはらむ。

米経済界の本音

アメリカの経済界は今のところはトランプ流の交渉術の一環と見て行方を見守っている。

「多くのアメリカ企業が長年、中国でビジネスを展開し利益を上げてきた。その利益を損ねることをトランプ大統領は決して望んでいないはずだ。大統領は米中貿易交渉に向けて一種の脅しをかけているのだろう」

クレイグ・アレン氏

こう読み解くのは中国に進出するアメリカ企業200社余りが参加する「米中ビジネスカウンシル」のクレイグ・アレン会長だ。

だが、アレン氏は米中の貿易摩擦の出口がいまだ見えない状況に危機感を抱き始めている。すでに両国の追加関税の応酬で中国でビジネスを展開するアメリカ企業からは悲鳴が上がっている。

米中ビジネスカウンシルのアンケートまとめ

「米中ビジネスカウンシル」が6月に実施したアンケート調査によると、参加企業の81%が貿易摩擦の影響を受け、うち49%は売り上げが減少したと回答した。それでも今は中国の重要性ゆえ、なんとか持ちこたえようとしているのだという。

「関税の影響でアメリカ企業はすでに日本やヨーロッパの企業に比べて競争力が低下している。市場を失うのは容易だが、取り戻すのは極めて困難だ。中国は世界の経済成長の動力源となっている重要な国だ。だから決して撤退するわけにはいかない」(アレン会長)

兆候

だが、このまま貿易摩擦が長引けば、デカップリング(分離)が現実のものになりかねないとアレン氏は懸念を強めている。

その兆しはすでに見え始めている。追加関税の影響を食い止めるためサプライチェーン(部品や素材の調達先)を見直すアメリカ企業が相次いでいるのだ。

米中の貿易摩擦で影響を受けたとする企業は1年で8%増加

「米中ビジネスカウンシル」のアンケート調査では、貿易摩擦の影響を受けている企業の43%がサプライチェーンを変更したと回答。生産拠点を中国からベトナムやカンボジア、それにメキシコなどに移しつつあるという。

この結果、米中間の貿易額は減少。2019年上半期の貿易額は2710億ドル(中国への輸出が520億ドル、中国からの輸入が2190億ドル)と、前年の同じ時期に比べて、およそ14%縮小した。前年には最大の貿易相手国だった中国との貿易額が、メキシコ、カナダを下回った。

米中間の投資額も減少。激減しているのが中国からアメリカへの投資だ。

中国企業によるアメリカ企業の買収も大幅に減っている。
2019年上半期に発表された新たな買収はピーク時の2016年のわずか14%。貿易摩擦の長期化で、中国側がリスクをおそれ投資を控えているのだ。

また、アメリカ側が最先端技術の中国への流出を防ぐため中国側の投資や買収に対する審査を厳格化していることも大きく影響しているとみられている。

副作用

「トランプ政権は決してデカップリングを求めているわけではない。デカップリングは米中貿易交渉の副作用にすぎない」

クリート・ウィレムズ氏

ホワイトハウスで、ことし4月まで中国との貿易交渉を担ったクリート・ウィレムズ前大統領副補佐官はこう強調する。

「米中貿易交渉の最大の目的は、アメリカの重要な最先端技術を中国に奪われないよう守ることだ。中国は自国の企業を世界最強に育てるために、不当な手段でアメリカなどの最先端技術の獲得をねらっている」

中国は巨大な国内市場参入への許認可を武器に、外国企業に強制的に技術の移転を迫る一方、中国の国内企業を補助金などで手厚く保護してきたと指摘されている。

技術の強制移転、知的財産権の侵害、中国企業への過剰な優遇措置、これらの問題の是正が貿易交渉の最大の目的だ。

そのための手段が制裁関税だが、これには副作用がある。それがアメリカ経済への影響であり、その先にあるのがデカップリングなのだという。

だが、ウィレムズ氏はこの副作用は一時的なもので、米中が分離してしまう前に貿易交渉は妥結できると期待する。

「私はデカップリングが進行し、かつての冷戦のような状況に戻るのは賢明ではないと考えている。そして中国政府のなかにも多くの国際派がいる。私は中国が最終的に不公正を是正して国際的なルールに従うと期待している。それが結局は中国自身の利益になり、世界経済の利益にもなるはずだからだ」

新たな潮流

だが、このデカップリング(分離)を支持する声もある。

トランプ政権や連邦議会のなかには米中経済のデカップリングこそがアメリカの安全保障を守る唯一の解決策だと考える勢力が存在する。

ピーター・ナバロ大統領補佐官

筆頭格がホワイトハウスのピーター・ナバロ大統領補佐官だ。

対中強硬派の経済学者として知られ、補佐官就任前に著書「米中もし戦わば」のなかで、アメリカを復活させ中国を押しとどめるには、デカップリングの推進が好ましい選択肢だと主張していた。

その理由はこうだ。
今の中国の台頭は90年代にクリントン政権が中国のWTO=世界貿易機関の加盟を認めたことに端を発した。
これにより中国は経済成長という強力なエンジンを手にする一方、アメリカ経済は壊滅的な打撃を受けた。
そして、中国は米中の経済一体化で得た、ばく大な利益で軍事力を増強し独裁体制を強化させた。
これを反転させるには中国の力の源泉となってきた米中の経済関係を縮小するしかないというのだ。

ナバロ氏は今、トランプ政権の通商政策のかじ取り役を担い、議会の対中強硬派や国防族の議員と協力して中国企業の排除を推進している。

トランプ政権はことし8月、安全保障上の懸念があるとして中国の5つの企業をアメリカ政府機関の調達先から正式に排除したと発表した。

排除されたのは、中国の通信機器大手「ファーウェイ(華為技術)」と「ZTE(中興通訊)」、監視カメラ大手の「ハイクビジョン(杭州海康威視数字技術)」と「ダーファ・テクノロジー(浙江大華技術)」、それに無線機器メーカー「ハイテラ(海能達通信)」だ。
中国のドローン企業「DJI」も一部のアメリカ政府機関から排除されている。

この動きは今、電車やバスなどの公共の交通機関にまで広がりつつある。

中国国有の鉄道車両企業「CRRC(中国中車)」は「スパイ電車」と報じられ、首都ワシントンなどで排除を求める声が上がっている。

マイアミではモノレール事業で中国の電気自動車メーカー最大手の「BYD」が標的になっている。
車内の監視カメラなどを通じて乗客やインフラに関する情報が中国側に流出する安全保障上の懸念があるというのがその理由だ。

だが、具体的な証拠は示されていない。
立法をつかさどる連邦議会も中国排除の法整備に乗り出している。国防政策の大枠を決める「2019年度の国防権限法」に、去年、「ファーウェイ」など上記5社を排除する項目を盛り込み、ことしは「CRRC」や「BYD」の排除をねらっている。

米議会下院に提出された「2020年度の国防権限法案」

今、議会で審議中の「2020年度の国防権限法案」には連邦政府の予算で「CRRC」などの中国企業から鉄道やバス車両を調達することを禁じる項目が入っている。

この法案がそのまま可決・成立すれば、デカップリングはまた一歩進むことになる。

安全保障という大義名分のもとに拡大する中国企業排除の動き。“チャイメリカ”の時代から一転し、アメリカに米中経済の分離という新たな潮流が押し寄せてきている。

油井秀樹

ワシントン支局長

油井秀樹