圧倒的だった選手たちの迫力

手で投げる選手もいれば、足で蹴る選手も。自力で投球できず、「ランプ」と呼ばれる滑り台のような器具を使う選手もいます。白い的球、「ジャックボール」にどれだけ自分のボールを近づけられるかを競うボッチャ。東京パラリンピックでトップクラスの選手たちが見せたパフォーマンスは驚きの連続でした。

ボールを投げたり転がしたりする方法はそれぞれ違いますが、共通しているのはその精密なコントロール。10メートル近く離れたジャックボールにピタリと寄せたり、わずかな隙間にボールをねじ込んだり。
中には病気の影響で肺の機能が低下し、空気を吸入しながらプレーして金メダルを獲得した選手すらいました。

自分に可能なプレースタイルでどれだけの練習を重ねて来たのか。障害とともに歩んできたみずからの人生そのものをぶつけているような選手たちの迫力に圧倒されました。
魅力が伝わるような試合を
ボッチャの認知度は国内で高いとは言えません。
日本ボッチャ協会に登録している会員はおよそ1000人で、そのうち選手は350人ほどにとどまっています。
ボッチャの魅力を多くの人に知ってもらいたい。日本代表「火ノ玉ジャパン」の選手たちは誰もがその思いを抱いてこの大会に臨んでいました。
チームを率いる村上光輝監督は大会前の取材にこう話していました。

「1つ1つ、みなさんの心に響くような試合をしていきたい。決勝だとか初戦だとかにかかわらずこの試合を見てよかったと思えるような試合を全部しましょうと意思統一をしています」
金メダルを目指すのは当然だけれども、多くの人の心にボッチャの魅力が届くようなプレーをしたい。それが大きなテーマだったのです。
杉村が見せた“頭脳戦”の神髄
選手たちが見せた姿はその言葉どおりのものでした。
特に多くの人の印象に残ったのはキャプテン杉村英孝選手でしょう。「精密機械」に例えられる正確な投球でどんなに厳しい局面でも得点をもぎ取り、前回大会の王者を倒して個人で日本勢として初めてとなる金メダルを獲得しました。

その戦いぶりから感じたのは「頭脳戦」の神髄です。2手先、3手先を読む戦略眼でその局面ごとに自分のやるべき最善の一手を導き出し、相手の戦略も読みながらそれを遂行する。ミスすることもあれば予想外の展開になることもあり、相手の絶妙な投球によって苦しい局面に追い込まれることもありますがそれを淡々と受け入れ、また最善の一手を探す。
杉村選手はその繰り返しで頂点まで上り詰めました。以前、杉村選手はボッチャの魅力について「すべて自己決定と自己判断の中でできること」と話していました。日常生活のほとんどに誰かのサポートを必要とするからこそ、すべてのことを自分で選択し、自分の考えを表現できるボッチャに夢中になったといいます。
「ボッチャは私の生きがいです」
そう話す杉村選手の1球1球からは「頭脳戦」のおもしろさ、そして選手としての生きざまが伝わってくるようでした。

楽しみ続けた選手たち
杉村選手を含めた多くの日本の選手たちについて印象的だったことがあります。それは非常に楽しそうに試合をしていることでした。
象徴的だったのが団体の予選リーグの最終戦、ブラジルとの試合です。

負ければ敗退の可能性もあるこの試合、村上監督は大胆な作戦に出ました。ボッチャでは先攻と後攻が1エンドごとに入れ替わり、先攻のチームはジャックボールを投げてコートのどのあたりで戦うかを決める権利があります。第2エンドで先攻となった日本は第1エンドでブラジルが置いた場所とまったく同じ場所に置きました。つまり相手が得意としているフィールドで戦おうとしたのです。
「野球で言えば全球ストレート勝負。その方がいいムードで試合ができると思ったので」
狙いは当たりました。杉村選手を中心とした4人は「真っ向勝負」を楽しむようにのびのびとしたプレーを見せました。

互いに言葉をかけ合いながらしばしば笑顔を見せ、誰かがミスをしても誰かがカバーし、1人の好プレーには全員が拳を握りしめて喜びました。特に前日までは緊張からかミスも目立っていた初出場の中村拓海選手が見事な投球を連発したのです。
中村拓海選手
「たとえつらい状況でも楽しくいこうと決めていた」
試合は互いに点を取り合う緊迫した展開になり、同点で迎えた最終エンド、最後はエースの廣※瀬選手の1球が決め手となって熱戦を制しました。団体は6試合中、4試合が最終エンドを同点で迎える接戦となりましたが、杉村選手はそのたびに「いい試合をさせてもらって感謝したいと思います」と楽しそうに振り返りました。

準決勝で王者タイに敗れた日本の最終結果は2大会連続のメダルとなる銅メダル。選手たちが全力で楽しんでいた「真っ向勝負」の6試合に、私たちもまた興奮し、楽しみました。
勝負の奥深さ感じたペア
ボッチャという競技の奥深さが感じられたのが最も障害が重いクラス、ペアで銀メダルを獲得した3人の試合です。

クールで闘志を内に秘めるキャプテン河本圭亮選手は一緒にボッチャをしてきた友人が4年前に亡くなり「彼の分も一緒に頑張る」と強い思いを抱いてきました。
高橋和樹選手は「結果を出すことによって障害者へのイメージを変えたい」と練習を重ねるだけでなく栄養面や精神面の調整にも取り組み、今大会にかけてきました。
そしてチームのムードメーカーである田中恵子選手はボッチャを始めて積極的に人と関わるようになり性格も明るくなって人生が大きく変わったといいます。
個性豊かな3人が金メダルという目標でつながり、チームとしての強い絆が感じられました。

世界ランキングは7位で、前評判は決して高くありませんでしたが「ミリ単位」でコントロールする3人の持ち前の高い技術がうまくかみ合い、上位の国を次々と破って決勝進出を果たしました。
韓国のペアと戦った決勝も、4点を先制されながら河本選手や高橋選手の絶妙な投球で追いつき、勝負はタイブレーク・エンドに突入。最後の1球でジャックボールに寄せれば勝利という場面。河本選手の正面にはボールを入れるスペースがわずかながらあり、私は「河本選手なら寄せきれるはず」と日本の勝利を確信しました。
しかし、河本選手は相手のボールに当てしまい、あと1球というところで金メダルを逃したのです。河本選手はいつもの冷静な表情を変えず、淡々としていましたが、その奥に悔しさを押し殺しているように見えました。

「最後の1球、強い気持ちで投げましたが、ボールが曲がってしまいました。細かいところで自分の詰めが甘かった」
河本選手は言い訳をせず、ただこう続けました。
「悔しさが残ってくれた。次に向けて頑張れるものになるのかなと思います」
どれだけ技術を磨き、戦略を練っても不確実性は残り、そこに翻弄されるのがボッチャ。その現実を受け入れてまた鍛錬を重ね、チームメイトと話し合い、答えを探して進んでいく。そんな奥深さもまた、選手たちを引きつけてやまない魅力なのだと思います。
火ノ玉ジャパンが残したもの
「見てよかった」
8日間の競技を終え、私は素直にそう思いました。東京パラリンピック、「火ノ玉ジャパン」が獲得したメダルは金、銀、銅が1個ずつの3個。過去最高の結果でしたが、それ以上に1試合1試合、1球1球から競技としてのおもしろさ、勝負の厳しさ、奥深さ、選手たちのそれぞれの人生が伝わってきました。

試合を終えた選手たちは「この大会を通じてボッチャのおもしろさを少しでも感じてくれたら」「ボッチャに興味を持ってくれれば」と口をそろえました。
彼らの試合を見て感じたことは1人1人違うでしょう。それを互いに話し合い、ボッチャというスポーツに触れてみる。そんなことから世界は変わっていくのかもしれないと思います。
「火ノ玉ジャパン」の戦いを見てあなたの心には何が残りましたか。
(スポーツニュース部 記者 清水瑶平)