“ライバル”であり“親友”
パラリンピックを1年後に控えた去年夏、木村選手と富田選手はいつも一緒にいました。ガイドに伴われてお互いの腕をつかんで移動し、プールサイドでは楽しげに話をして、夕飯の時間もともに食卓を囲みました。
ライバルであり、親しい友人でもある2人は同じ視覚障害が最も重いクラスですが、その人生の歩みは全く異なります。
木村敬一 金メダルだけを求めて
病気で2歳の時に視力を失った木村選手は、人が泳いでいる姿を見たことがありません。コースロープにぶつかってもかまわず進む力強い泳ぎは、みずからが20年かけて築き上げてきました。
高校3年生で北京パラリンピックに初めて出場。以来、4大会連続で出場し6つのメダルを獲得しましたが、金メダルには手が届きませんでした。金メダルの最有力として臨んだ前回大会の100メートルバタフライは後半に失速。0秒19の差で金メダルを逃しました。
木村敬一選手
「4つのメダルよりも1つの金メダルが欲しかった」
大会のあと木村選手は単身、アメリカに渡りました。金メダル獲得へみずからの泳ぎを一から見つめ直すためでした。自分が100%の力で練習にぶつかっていける刺激を追い求めたと言います。
木村敬一選手
「金メダルを取るために、水泳を続けている。だから金メダルは僕が水泳をする意味であり、僕が水泳を続けてきたことのすべての証しで、成果として求めているもの」
富田宇宙 社会の見方を変えたい
富田選手は高校2年生の時に視力が徐々に失われていく進行性の難病と診断されました。病気の進行によって、4年前、木村選手と同じ障害のクラスになりました。障害によって「絶望した」気持ちになったという富田選手でしたが、パラ競泳を始めて出会った仲間たち、とりわけストイックに競技に打ち込む木村選手の姿に驚き、その気持ちは変わっていきました。
パラ競泳を通じて“障害者に対する社会の見方を変えること”が自分の使命だと考えるようになったのです。
富田宇宙選手
「アスリートとして競技と真っ正面から向き合って、プレッシャーと戦ったり、自分の記録を伸ばすことに生活のすべてを注ぎ込んだり。そういう存在がもっと認知されることで、障害者やいろいろなマイノリティーの人たちの可能性を社会に対してもっと示せるのではと思った」
一方で、目が見えていた時にはオリンピックを目指すレベルではなかった自分がパラ競泳の世界で突如トップアスリートとして扱われることに違和感を覚えていました。その心のうちが、こんな言葉になってあらわれていました。
富田宇宙選手
「僕が勝ちたいのと同じくらい、木村くんに金メダルをとってほしい」
すれ違う2人の思い パラアスリートの在り方とは
こうした富田選手のことばに木村選手は反発を覚えました。
パラリンピックの舞台でこれまでどうしても届かなかった金メダル。自分がすべてをかけて追い求めてきたものを、ライバルに否定されたような気持ちになったのです。
木村敬一選手
「金メダルを心の底からほしいと思ってるわけじゃないやつと、戦っているのって何なんだろうって思っちゃったんですよ。僕が金メダルをとることによって社会が変わるっていうことよりも、僕が金メダルをとってうれしいことの方が大事なんです」
アスリートとして金メダルを追い求める木村選手と、パラ競泳を通じて、社会に変化をもたらしたいと考える富田選手。2人の考え方の違いが鮮明になるにつれて富田選手はパラアスリートとしての在り方に悩むようになりました。
こうした中で迎えたことし5月の東京パラリンピック代表選考会。富田選手は、この大会で派遣標準記録を突破し、初めてのパラリンピック出場を決めました。レース後、富田選手のもとには100を超える祝福や期待のメッセージが寄せられました。
パラアスリートはどうあるべきか悩んでいた富田選手。アスリートとして全力を尽くす姿こそが、見る人々の心を動かすことにつながり、社会を変えていく原動力になっていくということに、改めて気付きました。
“この日”にすべてをかける
迎えた東京パラリンピック。
富田選手は400メートル自由形で銀メダル、200メートル個人メドレーで銅メダルを獲得しました。そこで改めて手応えを感じていました。
富田宇宙選手
「パラアスリートとして活動するうえで、障害を持つ1人の人間として、障害の多様性を受け入れることに価値があることを伝えたいとやってきた。そういう活動ばかりやって結果が出なければ届くものが届かない。いちばん大きな舞台で結果を出すことで初めてたくさんの人にメッセージが届くと感じた」
競泳最終日の3日。2人が金メダルを争う100メートルバタフライが行われました。予選を1位と2位のタイムで通過した2人は、そろって「この日」という言葉でレースにかける決意を語りました。
木村敬一選手
「この日のために頑張ってきた。最高のレースができるように頑張る」
富田宇宙選手
「この日がいちばん盛り上がるレースだと思いずっと準備してきた。よい勝負ができたら」
泳ぐ理由は異なる2人ですが「いちばん大きなパラリンピックの舞台で結果を出す」という同じ目的に向かってスタート台に立ちました。
4レーンに木村選手、隣の5レーンに富田選手。
スタートから飛び出した木村選手は最後まで先頭を譲りませんでした。
富田選手は得意の後半に追い上げを見せてワンツーフィニッシュ。パラリンピックの競泳で史上初となる日本勢のワンツーフィニッシュでした。レースのあとコースロープを挟んで抱き合った2人は「結果を出す」という同じ目標に向かって戦ったライバルの健闘をたたえ合いました。
すれ違ってきた2人の思いはこのレースで1つになったように見えました。
木村敬一選手
「世界中の誰1人として負けたくなかった。きょうものすごくプレッシャーがあったけど、宇宙さんが近くで戦い続けてくれたからこそ、きょうの決勝で潰されなかったと思う。宇宙さんの存在は、僕が戦っていく上でなくてはならないものだった」
富田宇宙選手
「ここに来るまで本当につらくて、木村くんのライバルとして木村くんを超えようと努力してきて、最後は自分の力がすべて出しきれたとは言えないかもしれないけど、この瞬間を目指してきたのでこんなにうれしいことはない」
視覚に障害がある選手は、表彰台で君が代を聴いて初めて金メダルを獲れたことを実感するといいます。
表彰式で涙が止まらなかった木村選手。富田選手の目にも光るものがありました。それぞれの譲れない思いを抱えて泳ぐ2人のライバルの物語はこれからも続きます。
(スポーツニュース部 記者 島中俊輔)