パラリンピック 射撃 水田光夏 母とともに3年後へ

東京パラリンピック、射撃の混合エアライフル伏射の「SH2」のクラスで、水田光夏選手は32位でした。今回はいつも試合に付き添ってサポートする母親が同行できない中での初めての試合。本来の力を発揮できずに終わり「母がこれまで気遣ってくれたことに気付いたし、また母と一緒に頑張りたい」と3年後のパリ大会を見据えました。

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    “居場所を作らなければ”

    24歳の水田選手は、髪の色をピンクに染め、道具もピンクのものを多く使っていることから、海外の大会でも注目を集める存在です。東京パラリンピックの開会式の直前には、ネイルにピンク色が特徴のマスコット「ソメイティ」が車いすでライフル銃を構えている様子も施しました。

    そんな水田選手がパラリンピックを目指すようになった裏には「娘に新たな居場所を作りたい」という母の光美さんの思いがありました。
    水田選手は、3歳のころからクラシックバレエを習い始め、踊ることが大好きな女の子でした。しかし、中学2年生の時に筋肉が萎縮していく神経の難病「シャルコー・マリー・トゥース病」と診断され、趣味のダンスを踊るのも難しくなりました。そばに寄り添っていた光美さんは、当時の様子についてこう振り返ります。

    母 水田光美さん

    「それまでとにかく前を向いて生きてきた娘が、病気をきっかけに下を向くようになり、自分を卑下するような感じが見受けられました。なんでもいいので彼女の確固たる新たな居場所を作っていかなければいけないなと思っていました」

    転機は高校生の時に訪れました。東京大会の招致が決まった後、日本パラリンピアンズ協会が開いた勉強会に、光美さんは17歳の水田選手を連れ出したのです。講演したのは、射撃でアテネ大会から3大会連続でパラリンピックに出場した、田口亜希さん。パラリンピックの経験を明るく話す田口さんの講演を聴いた水田選手は、「私も撃てるんだったら撃ってみたい」と小声でつぶやいたといいます。
    この言葉を拾うしかない。光美さんは競技の知識が全くありませんでしたが、情報を集め、まずは水田選手にビームライフルを体験させました。

    水田光夏選手

    「『当たった、わー楽しい』という感じで、週1回、月に数回、やりたいときに練習に行って撃って帰ってくる。趣味として楽しんでいました」

    水田選手に新たな居場所が見つかった瞬間でした。

    母とともに日本のトップへ そして母から離れて

    2017年、水田選手は全日本選手権に初めて出場。トップとわずか0.5点差の2位となり、パラリンピックを目指す気持ちが高まっていきます。
    それからは国内でも海外でも、大会に出場する水田選手の隣には、30キロもの重さの競技用具を持ち運ぶ光美さんの姿がありました。
    そして2019年の世界選手権で24位の成績を収めて、東京パラリンピックの出場枠を獲得しました。パラ射撃の全日本選手権では、2019年、2020年と連覇し日本のトップ選手となりました。

    ただ、今回のパラリンピックでは、日本障害者スポーツ射撃連盟のコーチが水田選手のアシスタントを務めることになりました。水田選手は病気になってから初めて母親の元を離れ、選手村で過ごしながら最終調整を続けてきました。

    苦しい戦いで気付いたこと そして3年後へ

    迎えた東京パラリンピック。
    水田選手が出場したSH2のクラスはライフルを乗せる支持スタンドの使用が認められていて、60分の制限時間内に10メートル先の標的に60発を撃ち、上位8人が決勝に進みます。

    右手のひじから先の感覚がほとんどなく、わずかな握力しかない左手で引き金を引く水田選手。14発目から高得点を連発しましたが、中盤以降は呼吸が苦しくなりました。

    「途中から呼吸の管理がうまくできず、苦しくて涙も出てしまった。40発目の前から覚えていない」

    最後の最後まで、0.1点でも高い得点を出そうと集中を続けた水田選手。本来の安定感を出せず上位8人で争う決勝進出はなりませんでしたが、会場では多くの関係者がその様子を見守りました。

    いつも付き添ってサポートする母親が同行できない中での初めての試合。苦しい試合を経験したことで気付いたことがありました。

    水田光夏選手

    「3年後のパリ大会を目指すのなら、環境が違ってもパフォーマンスを発揮しなければいけない。母がこれまで気遣ってくれたことに気付いたし、また母と一緒に頑張りたい」

    会場に来られなかった母の光美さんは次のように話しました。

    母 水田光美さん

    「苦しみながらも時間内に打ち終えたことはすばらしかったと思う。貴重な経験になったはずだし、今後も全力でサポートしていきたい」

    射撃という居場所を見つけた娘と、それを全力で支える母親。
    3年後のパリ大会に向けて二人三脚はまだまだ続きます。

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