パラリンピック 陸上 高田千明 恐怖心に打ち勝つための“力”

静まりかえったスタジアムに響く手拍子とかけ声。真っ暗闇の中、その音に導かれて走り、砂場に向かって全力で跳躍する。それがパラ陸上、視覚障害のクラスの走り幅跳びです。
全盲のジャンパー、高田千明選手(36)は地元、東京で開催されたパラリンピックで自己ベストを更新する跳躍を見せました。見えない世界で跳ぶ恐怖心と向き合い続け、前回のリオデジャネイロ大会からの5年間で29センチも記録を伸ばした背景には2人のオリンピアン、そして最愛の息子の支えがありました。

目次

    “その恐怖は一生消えないと思う”

    暗闇の中、コーラーと呼ばれる先導役の手拍子とかけ声を頼りに走って跳躍する視覚障害のクラスの走り幅跳び。
    高田選手はアイマスクをつけて15歩の助走。距離にして20数メートルを全力で走る。そして、思い切り踏み切って、見えない砂場に着地します。

    こともなさげに跳躍を見せていますが、競技歴10年近い高田選手も恐怖は完全には消えないといいます。

    高田千明選手

    「一歩間違えると大けがになるので。その恐怖は一生消えないと思う。恐怖に打ち勝って走っているところを見て欲しい」

    フォーム改造へ壁「理想のフォームがわからない」

    初出場となった前回のリオデジャネイロ大会では8位。
    東京パラリンピックでのメダル獲得のためにはフォームの改造が必要だと考えました。助走のスピードをロスなくジャンプに生かせるように踏み切りのタイミングや空中での姿勢の改善に取り組みました。
    しかし、フォーム改造に向けて立ちはだかる壁がありました。
    それは「目が見えないから何が理想のフォームかわからない」ということです。

    そこで高田選手のコーラーでコーチも務める大森盛一さんは伝え方を工夫しようと考えました。陸上短距離で2回のオリンピックに出場経験があり、陸上クラブでの指導経験が豊富な大森さん。ユニークな表現でフォームの説明をしていきます。

    「踏み切った時はマリオが土管を飛び越えるように」
    「空中に跳んだら携帯電話を折りたたむように体を閉じて」
    「着地はズボンをはくように下から上に手を上げる」

    18歳で視力を失った高田さんがかつて見たものに例える指導方法です。

    大森盛一さん

    「はっきりしたイメージを頭に植え付けるため、ことばの使い方を常々、気をつけている。あやふやな言葉を使うとあやふやなイメージになってしまうから」

    “恐怖心” どう乗り越えるか

    本番のおよそ1か月前の7月。理想のフォームを目指す中で高田選手はどうしても克服できない課題に直面していました。
    それは踏み切りの直後に左のひざが伸びて前に出てしまうことです。

    ひざを高く上げなければ飛距離は伸びません。このフォームの乱れの原因は“恐怖心”からくるものでした。

    高田千明選手

    「怖いと思っていないつもりでも、地面が見えないから無意識に足が前に出てしまう。いつ着地するか分からないからやっぱり恐怖心があるのかな」

    大森盛一さん

    「転んだときにとっさに手が前に出るのと同じで、人間の回避行動として足が出てしまう」

    東京パラリンピックまで残された時間がない。無意識に出てしまう癖をなんとしても直そうと8月上旬、高田選手の姿は三重県鈴鹿市にありました。

    そこはもう1人のオリンピアン、井村久美子さんの練習場。井村さんは北京オリンピックに出場した走り幅跳びの第一人者で、15年前に出した6メートル86センチの日本記録はいまも破られていません。
    5年前から定期的に高田選手の指導を続ける井村さんが注目したのは踏み切りの姿勢です。恐怖心から腰が引けてしまうことで、左ひざが伸びて高く上がらないと考えました。

    井村さんは1本1本の跳躍を動画で撮影して、フォームを細かく分析。高田選手の腕や足を触って動かしたり、特に自分の体を触らせたりして、目が見えなくてもわかるようにまさに手とり足とり、修正点を伝えていきます。

    この指導法について井村さんはー
    「触れ合いながら表現することが健常者に見本を見せるというのと同じと考えている」

    練習場にこだまするかけ声と手拍子。大会まで1か月を切った中、4日間で200本以上の跳躍を繰り返した高田選手。
    本能から来る恐怖心を完全に消すことは難しいが正しいフォームを、少しでも体に覚え込ませようと、大会ギリギリまで練習を積み重ねました。

    高田千明選手

    「最終的に血だらけになってもいいので、怖がらず思い切り跳びたい」

    息子の存在が強くさせる

    けがをも恐れない競技にかけるこの強い思いを支えているのは2人のオリンピアンだけではありません。最愛の息子、諭樹さん(12)の存在が恐怖心と戦う原動力となっています。

    「世界で戦うママは目が見えなくても最高のママ」という諭樹さん。この言葉を支えに高田選手は「世界一のママになる」と誓いました。
    東京パラリンピックに向けて歌舞伎のくま取りをイメージした赤と黒の太いラインがあしらわれた派手なアイマスクを新調した高田選手。

    その内側には無観客のためスタジアムで直接、声援を送ることができない諭樹さんのメッセージがありました。

    「金メダル 1位とって!!」

    諭樹さんからのエールをアイマスクで受け取った高田選手は「本当にうれしくて勇気をもらったし、なんとしても金メダルを取りたいと強く思った」と言います。

    恐怖心を超えられるか

    その約束を果たす大舞台。競技の開始前、アイマスクに両手を当てている姿がありました。メッセージを読むことはできない。でもアイマスクに触れることで力をもらっているかのようにも見えました。

    1本目のジャンプ。
    高田選手は大森さんのかけ声と手拍子の鳴る方へ、1歩ずつ加速して助走していきます。 そして、踏み切りの15歩目。踏み切った後の左ひざは高く上がりました。

    記録は4メートル74センチ。
    「恐怖心は一切なかった」という言葉どおりの思い切りのいい跳躍で自身が持つ日本記録を5センチ更新しました。

    しかし、その後の5回の跳躍で記録は伸びず、結果は5位。高田選手は悔しさをかくしませんでした。

    高田千明選手

    「金メダルや目標の記録に届かずに悔しい。諭樹にはアイマスクのメッセージと昨夜も電話で『メダルを持って帰ってきて欲しい』と言われていたのにお土産なしで帰ることになり申し訳ない」

    「世界一のママになる」という約束は果たせませんでしたが、前回のリオ大会から記録を29センチ伸ばし、これまでの努力に確かな手応えも感じています。

    高田千明選手

    「記録が悪ければ引退も考えたが、毎年自己ベストを更新できているのでメダルが取れるようになるまで頑張りたい」

    2人のオリンピアン、そして最愛の息子に金メダルをかけるその日まで。
    高田選手は恐怖心と戦い続けます。

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