車いすラグビー橋本勝也 “金”を取るためのキープレーヤーに

東京パラリンピック、車いすラグビー日本代表の最年少19歳の橋本勝也選手がたびたび口にすることばがあります。
「金メダルを取るためのキープレーヤーになりたい」
ある悔しさをばねに日本を引っ張る存在になろうと厳しいトレーニングを続けてきました。

目次

    わずか1年半で日本代表に

    生まれた時から両手と足に障害がある橋本選手。競技を始めたのは中学3年生の時です。相手を抜き去るスピードを武器にすぐに頭角を現し、わずか1年半で日本代表に選出されました。
    2018年には日本が初優勝した世界選手権にも出場。
    橋本選手も金メダルを受け取りましたが、この時の出場はあくまで“育成枠”としての参加だったと自己分析しています。

    橋本勝也選手

    「ヘッドコーチが経験を積んで今後に生かしてほしいという意味での選出だった」

    忘れられない“悔しさ”

    ”育成枠”から「日本を引っ張る存在」へ。
    そう気持ちが大きく変わったのは2019年、10月に日本で行われた国際大会に出場してからでした。

    この大会で日本は準決勝で世界ランキング1位のオーストラリアと対戦。東京パラリンピックで金メダルをめざすうえで、最大のライバルになると見られる強豪との対戦は激しい競り合いとなりました。

    日本の中心になったのは、チームの柱でもある3人。キャプテンで司令塔の池透暢選手(41)とエースの池崎大輔選手(43)、それに長年日本を支えてきた島川慎一選手(46)です。

    車いすラグビーでは、選手に障害の程度によって「0.5」から「3.5」まで7段階の持ち点があり、コート上の4人の持ち点が合計で8点を超えてはいけないというルールがあります。
    橋本選手と3人の先輩はいずれも障害のクラスが同じでしたが、この試合、橋本選手に出番はまわってきませんでした。
    交代して先輩たちを休ませることすらできず、32分間、ベンチで見守ることしかできませんでした。

    日本は1点差で敗戦。試合後、橋本選手は目を真っ赤にして答えました。

    橋本勝也選手

    「緊迫した試合で1つのミスが許されない試合だった。3人の先輩は体力的にもつらそうで最後はベストではなかった。でも、自分は見ているだけで、その疲れている先輩の代役にもなれず悔しかった。絶対に東京パラリンピックではキープレーヤーになりたいと強く思った。今の練習の量や質ではそれが無理だとわかって気持ちの面でも強くないと思った」

    課題と向き合う日々

    なぜ重要な局面を任せてもらえないのか。最大の課題と考えたのが「持久力」でした。疲労が重なる試合終盤にミスが出ていた自分のプレーを改善しようと新たな練習を始めました。「走り込み」です。
    地元、福島県の体育館で毎週、1セット10分を4回。ひたすら車いすをこぎ続ける単調で苦しい練習です。終わった後はしばらくことばも出せず、広い体育館には荒い息づかいだけが響きます。
    始める前は「いつもやりたくないと思う」というほどのメニュー。弱音を吐きそうになるたびに思い出すのがあの大会での悔しさでした。

    橋本勝也選手

    「つらいと思ったときは(2019年の)オーストラリア戦に出られずに悔し涙を流したときを思い返すと自然と力が出てくる」

    歯を食いしばってきた成果は少しずつ現れ始めています。当初は4セットの間に3キロほどしか走れませんでしたが、今では4キロ以上走れるようになりました。
    そして走り込みの後にはパスや車いす操作といった練習へ移行。疲れた状態でも質の高いパフォーマンスを維持できるようになってきました。

    東京パラへ揺るぎない思い

    悔しさをばねに鍛え続けて1年10か月あまり。
    日本の期待のホープはかつては無かったたくましさを漂わせながら、東京パラリンピックへ揺るぎない思いで臨もうとしています。

    橋本勝也選手

    「極限というか本当に追いこんだ。そこから技術練習ということで本当に試合で疲れているところを想定してトレーニングを積んできた。積み重ねてきた努力をコートで発揮し、1分1秒でも長くプレーする。そして、悔しい思いをしたオーストラリアを相手に活躍して金メダル獲得に貢献したい」

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