“最強”であり続けるために~レスリング女子 苦悩と成長の5年

「最強」。前回のオリンピックでそう称賛された日本のレスリング女子。チームを引っ張ってきた吉田沙保里と伊調馨という2人の絶対女王はいなくなった。そんな中で起こったたび重なる不祥事。「最強の座」を守るため選手やコーチは悩みながら歩み続け、それでも東京オリンピックで金メダル4個という結果を残した。苦悩と成長の5年間を見つめた。

目次

    “最強女子”の異変

    おととし9月のカザフスタンで行われた世界選手権。東京オリンピックの代表選考を兼ねて行われた大会で、私は目の前の光景にことばを失った。

    女子が出場した10階級のうち、金メダルを獲得したのは川井梨紗子選手ただ1人。レスリング女子がオリンピック正式種目となった2004年以降では過去最少に並ぶ結果だった。試合を見ていた吉田沙保里さんの指摘は厳しかった。

    吉田沙保里さん

    「もう1回、立て直して強化していかなくてはならない」

    2枚看板なきあとに

    レスリング女子はオリンピックに正式採用されたアテネ大会以降、長く吉田・伊調の2枚看板が引っ張ってきた。

    リオデジャネイロ大会はその集大成とも言えるかもしれない。6階級のうち、金メダル4個。日本選手団の主将も務めた吉田さんは銀メダルに終わったが、最後まで勝利を信じて攻め続けた戦いぶりは私たちの心に強く残った。

    その2人を欠く日本が「最強」であり続けられるのか。おととし、カザフスタンの地で私は強い危機感を覚えた。

    パワハラ問題 逆風の中での再出発

    このとき、レスリング界は強い逆風の中にあった。

    手腕が高く評価されていた当時の栄和人強化本部長が2018年にパワハラ問題のため辞任に追い込まれた。

    オリンピックまで2年という段階で選手強化のトップが交代し、チームは一から出直しとなる。思わぬ形で役職を引き継いだ西口茂樹強化本部長の戸惑いは大きかった。

    西口茂樹 強化本部長

    「何をしたらいいのか、すべてが手探りだった。前の強化本部長のようにはできない。選手に対しても遠慮があった」

    ジャカルタ・アジア大会(2018年8月)

    体制変更の直後に行われた2018年のジャカルタ・アジア大会は史上初めて、女子の金メダルがゼロ。

    当時パワハラ問題を取材していた私は、西口強化本部長が悩みながらも選手とどう向き合っていくべきか、試行錯誤していた様子が印象に残っている。

    西口強化本部長

    「選手に対して厳しく指導しないわけではない。でも言葉づかいの一つ一つに気をつけたり、なぜこういう練習が必要なのか丁寧に説明したりする努力をしなくてはならない」

    コーチ陣は選手と話し合う機会を意識的に設けるようになった。時代の変化に合わせて、チーム作りの在り方も変化を求められていた。

    研究された日本のタックル

    翌年の世界選手権も金メダルは1個だけと、苦戦が続く。
    現地でその様子を見ていて感じたのは、日本の強みである「スピード」と「タックル」が通じなくなりつつあることだ。

    吉田沙保里さん(2012年ロンドンオリンピック)

    日本は吉田沙保里さんに象徴されるように高速タックルで攻めに攻め抜くレスリングで結果を残してきたが、世界も研究を進めている。タックルを防がれ、カウンターで背後に回られたり力ずくで投げられたりしてポイントを奪われる試合が相次いでいた。

    もう1つは精神面の粘りが欠けていたことだった。
    逆転勝利の連続だったリオデジャネイロ大会から一転、いったんリードを許すとそのままずるずる差を広げられる。

    吉田さんも、この点を厳しく指摘していた。

    吉田沙保里さん

    「簡単にやられたり、すぐに諦めたりするなど、粘りが見られなかった」

    “攻め”を貫くために

    立て直しに着手した日本代表。
    まず力を入れたのが「筋力トレーニング」だった。それまでは「スパーリングでとにかく追いこんで筋肉をつける」という選手が多く、器具を使った筋力トレーニングは最小限だった。

    しかし多くの選手が海外勢とのパワーの差を実感し、国立スポーツ科学センターのトレーナーに相談するなどして計画的なトレーニングを始め、肉体改造に取り組んでいった。

    さらに「タックル対策」を乗り越えるため海外選手の映像を繰り返し分析した。やみくもにタックルに飛び込むだけでなく、組み手やフェイントでしっかり相手を崩すことやディフェンスをより意識することも必要だった。

    選手とコーチともに悩みながら

    ただ、こうした方針を首脳陣は選手に無理強いすることはなかった。できるだけコミュニケーションを取り、選手と話し合いながら強化を進めていった。時間はかかったかもしれないが、私は選手たちも少しずつ変化しているように感じた。

    土性沙羅選手

    「リオのときはタックルに入って相手を倒すことが頭のほとんどを占めていたんですけど、今はどうやれば勝てるのか考えてレスリングをしている」

    川井梨紗子選手

    「レスリングの幅がすごく広がってるし気持ちの作り方もリオのときよりたくさん追求してきた」

    レスリング女子の強化合宿(2020年10月)

    どうすれば強くなれるのか、みずから試行錯誤を続けることそのものが成長につながっているように思えたのだ。

    1年間の延期も追い風だった。
    試合のない期間が続いたことでそれぞれの選手が自分のレスリングと向き合い、筋力トレーニングや新たな技術にじっくりと取り組む時間が生まれた。

    西口強化本部長の表情には覚悟が見て取れた。

    西口強化本部長

    「私は前任者のようなスペシャリストじゃない。ただ、誰にも恥ずかしくないやり方でやろうと思って、やれることをやってきた。あとは結果がすべてです」

    圧倒的な成長見せた選手たち

    苦しんだカザフスタンの世界選手権からおよそ2年、迎えたオリンピック。選手一人一人の成長ぶりを私は目の当たりにする。

    皆川博恵選手(上)と土性沙羅選手

    序盤に登場した重量級の2人は苦戦した。76キロ級の皆川博恵選手と68キロ級の土性沙羅選手の2人はメダルに届かなかった。
    共にけがに苦しみながらもオリンピックの舞台にたどり着き、3位決定戦まで進んだことを考えると大健闘と言えるがそれでも世界のレベルが上がっていることを改めて思い知らされた。

    その中で、チームに勢いをつけたのは62キロ級、川井友香子選手だろう。
    体つきが明らかに大きくなり、海外勢にパワー負けせず、別人のような安定感と落ち着きぶりで金メダルを獲得した。
    いちばん近くで見ていたはずの姉・梨紗子選手が「こんなに強くなったんだってびっくりした」と驚くほどだった。

    53キロ級で金メダルの向田真優選手もパワーが増したのは同じ。
    それ以上に、「後半に弱気になり、逆転されることが多い」という精神面の課題を克服したことが大きかった。2年前、厳しく指摘した吉田沙保里さんも「今まで弱気だった部分が強気に変わってすごく成長を感じた」と後輩の努力をたたえた。

    吉田・伊調に代わるエースとしてチームの柱になった57キロ級の川井梨紗子選手の存在も大きかった。
    前回大会の金メダリストとして圧倒的な実績を残し、周囲からのマークが強まる中で2連覇を達成した。

    そして驚異的だったのは50キロ級の須崎優衣選手。
    研究されているタックルをほとんど使わず、組み手や投げ技、それに寝技で勝負を決めた。
    4試合すべてで1ポイントも失わずにテクニカルフォール勝ちという完璧な試合運びだった。

    日本代表コーチの吉村祥子さんが須崎選手の強さについて語った言葉が、日本が歩んできた道のりを象徴している。

    吉村祥子コーチ

    「今の時代、研究されるのは当然で、研究されたらその一歩先を行くことをしなければいけない。そういう試合になることを想定して練習してきた」

    リオを超えるメダルに

    東京オリンピックのレスリング女子は6階級中、金メダル4個。前回大会と同じ数の金メダルを獲得し、「最強」の座に返り咲いた。

    西口強化本部長は重い荷物を降ろしたように心からほっとした表情を見せた。

    西口強化本部長

    「本当にみんなよく頑張った。さまざまなことがあって本当につらくてつらくてしかたなかった。でもきょう、すべてが報われました」

    パワハラ問題を経験した日本は世間の厳しい視線の中で「選手と信頼関係を築くこと」、そして世界に研究される中で「最強の座を守ること」の2つを両立させるという難題に取り組んできた。

    一人一人と対話し、どうすれば勝てるのか選手とコーチが共に考え、歩み続けてきた。結果を出したから、そのやり方が正しかったと言うのは乱暴だろう。

    ただ、私には悩みながら進んできたこのチームの軌跡が金メダル4個という結果以上に意味のあるものに思える。

    東京オリンピックを目指したこの5年間の日々は、次の時代への確かな道しるべを残した。

    (スポーツニュース部 記者 清水瑶平)

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