空手女子形 清水希容が長いトンネルの先に見た“光”

ポイントの差はわずか0.18。新競技の空手女子形で清水希容選手は金メダルに届かなかった。それでも「苦しかった」という長いトンネルの先に確かな光を見ていた。

目次

    優勝を義務づけてきたエース

    技の正確さやスピード、力強さなどを競う「形」。複数の敵を想定し、数分間1人で攻撃や守りの技を出す。

    清水選手は突きや蹴り、ジャンプなどが繰り返される激しい形でも体の軸がほとんどぶれない正確で流れるような美しい演武が持ち味。世界選手権2連覇を果たした第一人者だ。

    清水選手を初めて取材したのが2年前。当時から、東京オリンピックでの金メダル獲得が期待されていた。とても丁寧に、時には笑顔でインタビューに応じてくれたが、オリンピックでの意気込みについて質問した時は一瞬で顔つきが変わった。

    清水希容選手

    「どの大会でも常に勝たないといけない。日本代表として、負けはあってはならない。オリンピックでも絶対優勝する」

    空手発祥の地、日本の代表として世界の第一線を長年にわたって走り続けてきたプライドが、みずからに優勝を義務づけさせていた。

    優勝から遠ざかり苦しい時期が続く

    しかし、このことばとは裏腹に国際大会では勝てない試合が続いていた。

    決勝でライバルのスペインのサンドラ・サンチェス ハイメ選手に敗れ、おととし10月以降は2位にとどまった。去年1月の大会では2年ぶりに決勝進出自体を逃した。

    「日の丸を背負っているのに勝てないのは、悔しいだけでなくこのままでいいのかと思った。オリンピックまで自分と向き合っていく」

    次こそは優勝する。そう思っていたやさきに新型コロナウイルスの感染拡大。東京オリンピックは1年延期になり、毎月のように開催されていた国際大会も中止が相次ぐ想定外の事態が続いた。

    それでもオリンピックへのモチベーションは消えることなく、空手とじっくり向き合う時間に充てた。長年の癖がついていた突きや蹴りなどの基本動作を見直し、1日長いときで12時間の稽古に励んだ。

    「ぶっつけ本番でオリンピックを迎えてもいいように取り組んでいく。稽古だけにこれだけ打ち込めるのは、自分の競技生活の中で初めてと言ってもいい。自分が成長できる貴重な時間だなと思った」

    およそ1年ぶりの試合となった去年12月の全日本選手権。8連覇を狙ったこの大会を、オリンピックへの弾みにしようと清水は考えていた。

    しかし、ある感情が…。

    「また負けるんじゃないか」

    稽古を積み重ねて「自分は強くなった」と信じる気持ちを抱いていた一方、実戦で負けが続いた以前のイメージを払拭できないでいたのだ。

    最後まで弱気な心の声を消すことができず、演武にも影響を与えた。ほとんどの大会の決勝で演武してきた得意の形、「チャタンヤラクーサンクー」。ダイナミックな動きが特徴だが、正確に演武しようと思うあまり重心が高くなるなど、審査項目の1つの「力強さ」が表現できなかった。結果はまさかの2位。日本一の座すら明け渡し、完全に自信を失った。

    全日本選手権で8連覇を逃した清水選手(左、2020年12月)

    「このままでは勝てない。負けるんじゃないかという気持ちをオリンピックまでにしっかり払拭して強いところをしっかり出せるように頑張っていきたい」

    立て直すために向かったのは

    喜友名諒選手(右)と稽古する清水選手

    どのように精神面を立て直すのか。担当コーチと話し合い、オリンピックまで大会には出場しないことを選んだ。オリンピックの一発勝負にかけることにしたのだ。

    ことし2月。活路を見いだそうと向かったのは空手発祥の地とされる沖縄。男子形の喜友名諒選手と一緒に稽古するためだった。圧倒的な力強さを持ち味に世界選手権3連覇を果たした絶対王者だ。

    流派が違うため、試合で演武する形も違う2人。強化合宿で一緒に稽古することはあったが、このように清水選手から出向くのは異例のことだった。

    5月まで毎月2泊3日で沖縄へ。2人同時に違う形を演武することもあったと言う。清水選手にとって喜友名選手と稽古することは前を向くきっかけになった。

    「最初は全日本選手権のときの悔しい気持ちや迷いがあったが、喜友名先輩の横で練習することで、先輩の爆発力・力強さ・圧を感じながら、それに負けないぐらいこっちも力を振り絞るので、競争みたいな練習になった。もっと、もっとと思いながら練習できるのでありがたかった」

    課題の気持ちの弱さについても解決の糸口を見つけていった。

    「喜友名先輩は勝ち負けよりも、そのときの演武がどれだけしっかりできるかに重きを置いて取り組めているからこそ強い。悔しい経験であったりいろんな経験をしたが、すべてがむだでなかったと言えるよう、いい演武をしたい」

    勝ち負けを意識するから弱気になる。もがき続けてたどりついた境地は、勝ち負けにこだわらずシンプルに「最高の演武をすることに集中すること」だった。

    オリンピックでの演武の先には…

    オリンピックの当日。「イメージトレーニングを繰り返していたので思ったより体が動いた」と自然体で臨んでいた。

    予選から最高の演武をすることだけに集中した。だからこそ、予選と準決勝、モニターに表示される自分の得点を1度も見なかった。もはや得点は気になっていなかったのだ。

    順当に勝ち上がり、決勝の相手は最大のライバル、スペインのサンチェス ハイメ選手。2018年の世界選手権で敗れて3連覇を逃したあと、9試合で3勝6敗と負け越している。

    2人の形は「チャタンヤラクーサンクー」。最も得意な形を決勝で披露することにこだわった。

    先に相手が演武。

    清水選手はいつもどおりライバルの演武は見ずに、自分の演武に備えて集中した。

    清水選手の番。

    予選と同じく自信を持って、最高の演武をすることだけに集中したが、前半、わずかに焦りが出てしまったという。

    「予選より足場がふわついていた部分があった。完璧とは言えなかった」

    ライバルとのポイントの差は、0.18。

    わずかな気持ちの乱れが演武に出てしまっていたのかもしれない。

    清水選手の目からは涙があふれ出ていた。

    「決勝はもっといい演武をしたかった。もっとできたんじゃないかと心残りがある」

    それでも競技人生で初めて勝ち負けを考えず演武できたことは大きな収穫だった。

    「オリンピックの舞台でそれができたのは本当によかったと思う。ある意味自分はその気持ちで舞台に立てるとわかった。これからの試合でもそういう気持ちで立てるように頑張っていきたい」

    そして、ここまでの道のりをこう振り返った。

    「この5年間、すごく苦しかったし、つらかった。負けることも多くなって、すごく自信を失ってしんどかったけど、でもこの舞台に立てたことは財産だった」

    空手は次のパリ大会で実施されないことが決まっている。長い間、トンネルに入っていた清水選手が苦しみを乗り越え、勝ち負けを超越した領域での演武というオリンピックの大舞台でしか感じることのできないであろう心の持ちようや経験を得たのは確かだ。

    試合直後は、涙がとめどなく流れていた日本のエースが、再び笑顔で表彰台の真ん中に立つ日は、遠くはないだろう。

    (スポーツニュース部 記者 猿渡連太郎)

      最新ニュース

      もっと見る