オリンピック 池江璃花子 涙ににじんだ「喜び」と「悔しさ」

1度は諦めかけた大舞台で、池江璃花子選手は最後のレースを終えると、こぼれおちる涙を拭った。それは、泳ぐことができた「喜び」。そして、1人のアスリートとして感じた「悔しさ」。池江選手にとって、分けることはできない感情が混じり合った涙だった。

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    8月1日 戦いを終え、あふれた涙

    4人で手をつないで入場ゲートにあらわれた女子400メートルメドレーリレーの日本チーム。池江選手にとっては今大会3種目めで初めて進んだ決勝のレースだ。世界のライバルチームは2日前(7月30日)の予選とはメンバーを入れ替えてエース級が並ぶ。

    池江選手

    「私たちは予選からフルメンバーで全力を尽くして決勝に残ることができた。順位はどうあれ、楽しもう」

    互いに声を掛け合いながら、プールサイドで観客席を見上げると、日本代表としてともに戦ってきた仲間たちの姿が目に入った。一瞬、ほほを緩めた池江選手はすぐに表情を引き締めた。

    レースは日本が序盤から厳しい戦いを強いられる。背泳ぎで泳ぐ第1泳者の小西杏奈選手が6番手で引き継ぎ、第2泳者、平泳ぎの渡部香生子選手が戻ってきた時には最下位の8番手に沈んでいた。

    続く池江選手の泳ぎはバタフライ。100メートルの個人種目のメダリストがそろうなか、前半は少し抑えて入った。しかし、後半も思うようにペースを上げられず、逆に差を広げられてしまった。

    第4泳者の五十嵐千尋選手がフィニッシュした時にはトップと6秒以上、7位とも1秒以上の差がついていた。結果は完敗だったが、プールサイドに上がった4人は笑顔で抱き合った。

    そして、取材エリアに向かう途中、池江選手の目から涙があふれた。

    池江選手

    「この数年間は本当につらかったし、人生のどん底に突き落とされてここまで戻ってくるのはすごく大変だった。1度は諦めかけた東京オリンピックだったけど、リレーメンバーとして決勝の舞台で泳ぐことができてすごく幸せだなと思った」

    けっして諦めなかった日々

    去年3月、池江選手は病院を退院して初めてプールに入ることができた。まだ水に顔をつけることはできなかったが、ビート板を使ってバタ足をした。1年以上感じられなかった水の感覚を堪能した。

    「ことばに表せないくらい、うれしくて、気持ちがよくて、幸せ」

    徐々に練習を再開したものの、体重は一時15キロ以上落ち、筋力も大きく低下していた。その影響で、最初は練習でチームメートについていけない日々が続いた。練習後に1人、涙を流したこともあったという。
    それでも、池江選手が泳ぐことを諦めることはなかった。そして1年後、東京オリンピックの切符をつかんだ。

    7月24日 帰ってきた大舞台で

    東京オリンピックが開幕した翌日から始まった競泳。池江選手の出番もすぐに訪れた。5年ぶりの大舞台の最初のレースは女子400メートルリレーの予選だった。

    プールに入ってきたとき、「周りがすごくキラキラしたように見えて、“ああ、この舞台で泳げるんだ”と思った」と池江選手の心は震えた。

    レースではチームトップのタイムで泳いだものの、全体9位で決勝進出にはあと一歩届かなかった。
    それでも池江選手の表情から、この舞台に帰ってきた喜びを感じていることが伝わってきた。

    池江選手

    「試合は楽しいだけではダメだということは、十分、承知のうえではあったが、楽しみの中に自分の全力を尽くすという思いが自分の中にあった」

    7月26日 世界からの刺激を力に

    この日、2種目めのレースに向けて準備を続けていた池江選手はテレビ中継に見入っていた。流れていたのは女子100メートルバタフライの決勝、池江選手が最も得意としてきた種目の世界一が決まる瞬間だった。レースは55秒59のタイムでカナダの21歳の選手が優勝した。

    池江選手の自己ベストタイムで2018年にマークした56秒08の日本記録より0秒49速いタイムでの優勝、さらに1位から4位までが55秒台をマークするハイレベルなレースになった。
    今大会は体力面などを考慮してリレー種目に専念していた池江選手は、そのレースを見て、やる気が湧いてきたという。

    池江選手

    「3年後にこの舞台で泳げるんだという自信や楽しみな気持ちが勝手にあふれ出てきて、すごく自分を奮い立たせてくれた。まだまだ速くなりたいと、強く思った」

    7月29日 戦友との再会

    2レース目の混合400メートルメドレーリレーのレース前、「1番楽しみにしているくらい」と話すほど待ち望んだ瞬間が訪れた。
    それはライバルであり、親友でもあるサラ・ショーストロム選手との再会だった。

    女子100メートルバタフライの世界記録保持者で、池江選手が「この種目でこの世でいちばん速い人」と尊敬する存在と、ウォームアップなどを行うサブプールでおよそ3年ぶりの対面を果たした。
    思わず涙がこぼれた池江選手を彼女はいつも通り、優しくハグをしてくれた。

    ショーストロム選手がインスタグラムに投稿した写真

    闘病が始まる前の2018年、池江選手は東京で開かれたパンパシフィック選手権の女子100メートルバタフライで、当時世界ランキング1位のタイムをマークし、主要国際大会では初めて優勝を果たした

    世界の頂に着実に近づいたその年の10月、さらに強くなるきっかけをつかもうと、ショーストロム選手に出稽古を申し入れ、彼女の練習拠点だったトルコまで押しかけた。

    自分よりも7歳年上で身長も10センチ以上高い世界女王に、「最初は怖かった」と恐る恐る握手を求めた池江選手だったが、ショーストロム選手は気さくに受け入れてくれた。すぐに打ち解けた2人。練習ではショーストロム選手がその力を見せつけるが、池江選手も簡単には引き下がらない。

    「バタフライでは自分が近づいていることをアピールできた」と手応えをつかんだ部分もあり、頂点に1歩1歩迫っている実感があった。

    池江選手が白血病の診断を受けたのはその4か月後のことだった。世界の頂点に挑もうとしていたバタフライは一から作り直さなければならなくなった。

    「クロールより楽。きついと思ったことがなかった」というかつての得意種目はパワーや筋力が欠かせない。復帰直後はまともに泳ぐことさえできなかったが、「この種目で活躍したいという気持ちがモチベーションになっている」とバタフライにこだわり続けた。その思いはショーストロム選手との再会を機にさらに強固になっていった。

    8月1日 「喜び」と「悔しさ」とともに

    池江選手は「泳ぎたくてうずうずしていた」。今大会3種目めの女子400メートルメドレーリレーでバタフライを任されたからだ。
    念願の決勝のレース。しかし、池江選手のタイムはバタフライを泳いだ選手の中で最も遅かった。

    大舞台で泳げる幸せを感じてうれし涙を流したあとには、「自分はまだ世界に通用しないことが改めて分かった」と悔しさをにじませた。

    世界との距離は自分自身がよく知っている。それでも、この場所に帰ってきたからにはてっぺんを目指さずにはいられない。それが池江璃花子というスイマーだ。その目に見える光はすでに涙ではなく、世界を見据える力強いまなざしに変わっていた。

    池江選手

    「この試合が終わった後、自分がどう過ごしていくかが次のパリ大会につながる。いまはタイムが速いわけでもないし、自信があるわけでもない。ただ未来は自分で変えていくものだと思っている。1日1日、悔いの無いようにトレーニングをして自信をつけて、また次のオリンピックの舞台に立てるようにしたい」

    (スポーツニュース部 記者 安留秀幸)

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