オリンピック エース上野 “葛藤と重圧”乗り越え13年越し連覇

金メダルを獲得した北京オリンピックから13年。再び歓喜の輪の中心に上野由岐子投手の姿があった。夜空に向かって「1番」を示す人さし指を突き上げた。39歳となったエースは、心の葛藤とのしかかる重圧を乗り越え、使命としていた“ソフトボール界への恩返し”を金メダル獲得で果たした。
(スポーツニュース部 記者 沼田悠里)

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    “上野の413球”からの葛藤

    2008年の北京オリンピックで当時26歳の上野投手は2日間で行われた準決勝から決勝までの3試合、実に413球を1人で投げ抜き日本に金メダルをもたらした。

    北京大会のあと、ソフトボールがオリンピックから消えることは決まっていた。決勝を終えると、グラウンドでライバルのアメリカ代表の選手たちと復活を呼びかけた。

    その一方で子どもの時から夢見てきた金メダルを実現し、競技との向き合い方がわからなくなっていた。

    上野投手

    「ずっと追っていたものが達成して『じゃあ次なに』みたいな。モチベーションが上がってこないので、練習をやりたくないと思っていた。頑張っていない自分がいやだったんですよ。こんな思いでやるくらいなら、もうやめたいなと」

    所属する実業団のチームで現役は続けていたが、何よりそんな気持ちでプレーする自分自身がいやだった。

    北京大会から8年後の2016年8月、ソフトボールが東京大会で復活することが決まった。それでも上野投手は日本代表のユニフォームに袖を通すことに戸惑いがあった。

    そばで支えた宇津木麗華監督

    気持ちが揺れる上野投手をそばで見守ったのが、日本代表の宇津木麗華監督。

    宇津木監督は現役時代、日本代表の主軸としてシドニーとアテネの2大会に出場。現役引退後は上野投手がプレーする実業団のチームで監督を務めた。上野投手とはチームメートであり、師弟関係でもある。

    宇津木監督は当時の上野投手への思いをこう振り返る。

    宇津木監督

    「とにかく続けてほしかった。自分のためにではなく、人のためにソフトボールをやるということであれば彼女にとってプレッシャーがないのではないか。気づいたら金メダルが取れていたということで十分」

    宇津木監督は上野投手に「これからは頑張るんじゃなくて、ソフトボールに恩返しをするつもりでやればいいのよ」とことばをかけ続けた。

    そのことばが上野投手を少しずつ前向きにさせた。

    燃え尽き症候群のようになっていた自分を支えてくれた宇津木監督が日本代表を率いることが決まり、「麗華監督の力になりたい、恩返しをしたい」という気持ちが強まった。

    第2のソフトボール人生とは

    私は3年前に初めて上野投手を取材した。東京オリンピックへ再び歩みを進めた上野投手が何を考えているのか、率直な思いを聞いたことを覚えている。

    上野投手の答えは「第2のソフトボール人生を送っている」だった。

    上野投手

    「すごく気楽にソフトボールを続けられているし、それがすごく居心地よくて頑張れている。北京の時とは違う第2のソフトボール人生を送っている」

    そんな第2のソフトボール人生は困難の連続でもあった。

    2019年4月には、日本リーグの試合でピッチャーライナーが顔面に直撃。左あごを骨折する全治3か月の大けがを負った。しばらくは流動食しか口にできない生活で体重は5キロほど落ちた。

    当時、オリンピックの延期は決まっておらず、大会までおよそ1年。それでも上野投手はけがをマイナスだけに捉えていなかった。与えられた期間を「上野由岐子をもう1つ進化させるために神様が与えた時間」とコンディショニングなどを見直す時間にした。

    さらに新型コロナウイルスの感染拡大によるオリンピック1年の延期。当時37歳だった上野投手にとって、1年という年月はあまりにも長いはずだ。

    それでも「現状で満足するなよ。もっと探究心、追求心を持っていろいろな意味で進化しないとだめなんだ」と考えた。ヨガを始めたり、新しい球種の習得に取り組んだりとチャレンジすることをやめなかった。

    競技の枠を越えて影響与える

    ソフトボール界を長年引っ張る上野投手のことばと姿勢は、競技の枠を越えて多くのアスリートに影響を与えている。

    シーズンオフに合同自主トレーニングを行ったプロ野球・巨人の菅野智之投手やソフトバンクの千賀滉大投手もそうだ。合同自主トレーニングを主宰し日本代表のトレーナーも務めた鴻江寿治さんは「上野さんは来年も再来年も衰えることのない状態にある。千賀君と菅野君は上野さんの取り組みを見て、あんな風になりたいと思っている」と話す。

    山田恵里選手(北京オリンピック)

    またソフトボール界では北京大会からキャプテンを務める37歳の山田恵里選手が影響を受けている。

    山田選手も北京大会後、モチベーションの維持に苦しんだ。上野投手の存在が大きな道しるべになっているという。

    山田選手

    「もっと頑張らなければ、上野さんの後ろで守る資格もないし、自分自身が上野さんの力になりたい。同じ時代を歩むことができて本当に幸せだし、最後、一緒にいい思いができればいい」

    13年越しのオリンピックで感じたものは

    7月21日、上野投手が13年ぶりにオリンピックの舞台に戻ってきた。

    待ち続けて、その時を迎えただけに「わくわくする感情があまりにも大きすぎた」と立ち上がりはコントロールを乱した。それでもベテランならではの修正力で2回以降は大胆に攻めるピッチングに切り替え、チームを勝利に導いた。

    宇津木監督はそれだけで込み上げるものがあったという。

    宇津木監督

    「20年間以上、上野に投げてもらった。いや、投げて頂いた、が正しいかもしれない。心の中ですごくうれしく涙もあって。自分自身が上野の成長を18歳からここまでずっと見てきた。感無量、うれしい」

    そして予選リーグで最も重要な試合と位置づけられた第4戦のカナダ戦。

    先発した上野投手は7回途中まで投げ、球数は110球を超えた。

    上野投手の存在が大きなモチベーションになっている山田選手が好投に応えてサヨナラヒット。

    上野投手は試合後の会見でこう話した。

    上野投手

    「ここまで積み重ねてきた努力だったり、年月を自分自身が裏切らないように残りの試合も戦っていきたい。もちろん相手も勝つためぶつかってくるので、白黒は試合をやってみないとわからない。最終的にはどれだけ強い信念もって戦えるかだと思う。きょうはそういう1戦で自分たち2人(上野と山田)で後輩たちに背中を見せられて本当によかった」

    “投げられなくなるまで絶対投げてやる”

    決勝は今大会7日間で4試合目の先発となった上野投手。

    力で押すピッチングではなく、緩急を使いながらコースを丁寧に突いて、6イニングをヒット2本無失点。ベテランらしい味のあるピッチングで13年ぶりの金メダルに導いた。

    上野投手

    「先発登板は自分が背負ってるものだと思っていたし、このマウンドに立つために13年間、いろいろな思いをしてここまで来られたと思う。そういう意味では“投げられなくなるまで、絶対投げてやる”と」

    加えてわかったことがあった。
    「投げることが好き。楽しかったからこそ(この先も)投げれるまで投げたい」

    試合後、上野投手は再びオリンピックの舞台に誘ってくれた宇津木監督、今後のソフトボール界について語った。

    上野投手

    「前回の金メダルと違って、地元開催でプレッシャーが大きかった。近くで麗華監督の姿を見ていて、日に日にプレッシャーに押しつぶされちゃうんじゃないかと思うくらいの姿だった。少しでも力になりたいと思ったし、最後にこうした恩返しができてよかった。13年という年月を経て、『最後まで諦めなければ夢はかなう』ということを、たくさんの方々に伝えられたと思う。ソフトボールはまた次のオリンピックからなくなってしまうが、また諦めることなく前に進んでいけたらと思う。(7年後に予定されているロサンゼルスオリンピックでソフトボールが復活した場合)もしかしてその時まで、私が投げていたら、再度マウンドに立つことがあるかもしれません」

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