オリンピック 桃田賢斗 “逆境からはい上がる” バドミントン

バドミントン男子シングルスで金メダル最有力候補とされてきた桃田賢斗選手。

しかしいま、幾重もの逆境の末、万全といえない状態で初出場のオリンピックに臨もうとしている。

交通事故のケガで選手生命の土台がゆらぎ、大会の相次ぐキャンセルで実戦感覚を失った。苦難の末に桃田選手がたどりついた東京大会で成し遂げたいこと、その思いに迫る。

目次

    “絶対王者”だった日本のエース

    「ほとんど無敵」

    遠征先の海外の新聞が、そう表現して報じるほど桃田賢斗選手は圧倒的に強かった。

    勝負どころで利き手の左腕「サウスポー」から放たれる力強いジャンピングスマッシュ。どんなショットでも拾い続ける、鉄壁のように隙のないディフェンス。そして、正確なコントロールが可能とする難易度の高い数々のミラクルショット。

    桃田選手の試合の取材では、ハラハラさせられる場面も少なくない。相手にポイントをリードされて「もうだめかな」と思ったことは何度もある。

    それでも最後は“マジック”でも見ているようにゲームを立て直し、逆転勝ちを続けてきた。そこが見る側の心を揺さぶる。世界中のバドミントンファンも同じ気持ちを思ったはずだ。

    この3年近く世界ランキング1位に立ち続けてきた桃田選手。おととしは世界選手権を連覇し、国際大会で11回優勝する前人未踏の記録も成し遂げた。金メダルに最も近い日本の選手と言われるのも決して大げさではなかった。

    あの事故が起こるまでは…

    選手生命を脅かした事故

    2020年1月。

    オリンピックイヤーの幕開けとともに、桃田選手の運命は大きく変わることとなった。

    年明け最初に臨んだマレーシアでの国際大会。いつもと同じように大会で優勝した翌朝、帰国するため空港に向かう途中だった。

    桃田選手の交通事故による負傷を伝えるマレーシアの新聞

    乗っていた車が交通事故を起こし、後ろの座席に座っていた桃田選手は全身を強く打った。

    この時点では奇跡的に軽傷とされたのだが、帰国後状況は一変する。

    額に傷を負って帰国した桃田選手の表情には精神的なショックの陰が色濃く見られた。

    傷痕が残ったのは額と心だけではなかった。

    コートに復帰した最初の練習で、視界に捉えたシャトルの羽が端によると二重に見えることに気がついた。

    桃田賢斗選手

    「いざ羽を打つと二重の幅が全然縮まらない。というかずっと二重のまま。なんか変だなと思って再検査したら発覚した」

    精密検査の診断の結果は、眼か底骨折。

    右目の眼球がおさまるくぼみの骨が折れ、視神経を圧迫し視力に影響を与えていた。

    初速が300キロを越えるシャトルをミリ単位で操る桃田選手にとって選手生命を脅かす一大事だった。

    “引退”の2文字が頭をよぎるほどショックを受けたと、後に明かしてくれた。

    桃田選手

    「心が折れそうで、もういいかなと思ってしまった。いままで大きなケガをしたことがなかったから弱気になった」

    緊急手術は成功して引退は避けられたが全治には3か月かかると診断された。

    必死にリハビリに取り組んでいるさなかに今度は新型コロナウイルスの感染が世界で拡大した。

    そして、東京大会の延期が決定された。

    なりを潜めた絶対王者のプレー

    新型コロナの感染拡大は世界のスポーツシーンを大きく変えた。

    国際大会は軒並み中止や延期となり世界からスポーツが“消えた”とまでいわれた。

    バドミントンも例外ではなく、ケガが癒えた桃田選手はなかなか実戦に復帰できなかった。この年、出場できたのはわずかに年末の全日本総合選手権の1大会だけだった。

    11か月ぶりに戻ったコート。
    相手が打ったショットを拾えない、らしくないディフェンス。
    得意のヘアピンショットをネットに引っ掛けるなど、らしくないミスも目立った。

    なりを潜めた絶対王者のプレー、実戦経験のブランクの影響はそれだけ大きなものだった。

    不調の理由を打ち明けてくれた。

    桃田選手

    「自分は試合の中で臨機応変に対応しながら強さをものにしていくタイプだ。練習の成果も試合の中で再確認でき、次への自信と強さにつなげていた。試合こそが最も大事な練習だった」

    国内大会はエースの意地を見せて最後は粘って優勝を果たしたが、試合に勝ち続けることでさらにまた勝てるという、かつての好循環を失っていたことは明白だった。

    世界の舞台の厳しさ

    さらに桃田選手に試練が降りかかる。

    2度目のオリンピックイヤーとなった2021年1月。

    今度はみずからが新型コロナウイルスに感染したのだ。国際大会復帰戦として出場できたはずの2つの大会への出場はかなわず、ライバルたちに出遅れた。

    遅れて3月。

    ようやく出場できた国際大会では一足先に実戦を重ねたライバルたちが待ち受けていた。桃田選手は本領を発揮できないまま、3回戦でストレート負けを喫した。

    帰国直後に悔しさをかみしめながらも懸命に前を向いた。

    桃田選手

    「負けたものの課題がわかったし手応えはつかんだ。まだ東京大会までの残りの大会で巻き返しのチャンスは十分にある」

    ところが、変異ウイルスの感染拡大で、その後の大会はすべて開催されなかった。

    恩返しの約束

    実戦を積めなかったこの4か月間、桃田選手は手を緩めず全力で練習に取り組んだ。本人が「誰よりも練習を積んだという自信はある」とみずから言い切るほどだ。

    これまでに逆境を乗り越えてきた、かつての経験があるからだ。

    東日本大震災が起きた2011年3月、16歳だった桃田選手は福島県の高校に通っていた。原発事故から10キロの距離に学校があったため、生活と練習の拠点を一度に失った。

    それでも地元の大人たちの支えを受けて、1月後には避難先で練習を再開できた。

    結果で恩返ししたいと練習に打ち込み、翌年、世界ジュニア選手権で日本選手初の金メダルをつかんだ。「次はオリンピック」と人々の期待を集めた。

    ところが5年前、21歳で臨むはずだったリオデジャネイロ大会の直前、違法賭博に手を出した過去が発覚し、出場を断念せざるえなかった。

    桃田選手

    「前回大会は本当にいろいろな人やファンに迷惑をかけて期待を裏切った。でもう一度バドミントンをするチャンスをもらった。そこから自分は本当に変わることができた」

    謹慎は1年余りに及んだが、腐ることなくトレーニングに励み続けた。

    苦手としていた走り込みは、その時以来、いまも毎日欠かさず続いている。そのスタミナが、おととしまでの大活躍の基礎を築いた。

    どんな逆境が襲いかかっても、桃田選手は振り子のように強くなって立ち上がってきた。

    「支えてくれた人々とファンに、感謝の気持ちを結果で恩返ししたい」

    桃田選手がこの4年、繰り返し語ってきた約束だ。

    立ち返った原点は

    東京大会開幕まで1か月を切った先月末、2人だけで話せる最後の機会に八方塞がりのような現状について率直にたずねた。

    桃田選手

    「納得がいくことはこの1年ほぼなかった。それでも自分の中ではできることは全部やったつもりだ。金メダル獲得に、正直、自信がめちゃくちゃありますとは言えないけど、なんとかなるんじゃないかな」

    開き直ったかのようにも聞こえたが、これまでのように覚悟をにじませたり背伸びをしたりするようなそぶりは全くない。かといって何かを諦めた様子でもない。ありのままの自分を受け入れた、そう映った。

    桃田選手

    「どんな格好でもいいので、泥臭く1ポイントをあげていきたい。形は気にせず自分らしくプレーしたい」

    頭に浮かんだのは、実戦復帰で臨んだ全日本総合選手権の決勝だ。

    華麗なプレーやミラクルショットで奪った優勝ではなかった。飾らずに終盤まで1ポイントを競り合い、どんなシャトルも諦めずに追っていた。初心に立ち戻ったような粘りのプレースタイルだ。

    桃田選手

    「逆境の場面でも初心だったり感謝の気持ちを忘れなければ、はねのけるパワーは生まれるのではないかと思う。本当につらいことがたくさんあったが、本気になれれば、どん底からだってはい上がることはできるということを証明したい」

    晴れやかな表情を見せて、最後にそう語った。

    その思いを全部ぶつける舞台は東京オリンピック。
    いよいよ、25日、桃田選手がオリンピックのコートに立つ。


    (スポーツニュース部 記者 酒井紀之)

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