体操 内村航平 “着地をした瞬間、笑っていたい” たどり着いた境地

着地は止まった。

だが、表情は硬い。得点が出るのを待つ間も、視線の険しさは変わらなかった。
やがて得点が表示され、厳しい顔つきのまま控え室に戻ろうとする。その途中、代表の座を激しく争った米倉英信から声をかけられ、ようやく少し笑ってことばを交わした。
直後のインタビュー。

「代表を争っていた米倉(英信)選手に申し訳ない思いだ。これでは“キング”とか“レジェンド”とか言えないし、もっともっと練習しないといけない-」

みずからと向き合いながら“完璧な演技”を追い求め続ける内村航平。4回目のオリンピックとなる東京大会でも、その姿勢は変わらない。

目次

    最後の試練

    4月から続いた体操の東京オリンピック代表選考会。6日に行われた全日本種目別選手権 決勝、その最後の種目となった鉄棒で、内村は最後の演技者だった。
    前日の予選でほぼ完璧な演技を見せた内村。同じようにこの日も演技をこなせば、代表内定は確実といえる状況になっていた。

    鉄棒にぶら下がり、勢いをつけた車輪からH難度の大技「ブレットシュナイダー」、G難度の「カッシーナ」、そしてE難度の「コールマン」。
    落下した場合に大きな減点のリスクがある手放し技をこれまでのように次々と成功させ、この日もミスのない演技を見せるのだと思われた矢先だった。しかし-
    アドラー1回ひねりをこなした後、予定していた方向に回りきれず、回転が戻ってしまった。
    得点は「15.100」。代表選考会の5回の演技で最も低い点数だった。
    代表に内定した後、語った。

    「オリンピックで完璧な演技を出すための最後の試練なんじゃないか。ここで完璧が出てしまうと、オリンピックまでに、それを超えるのが難しいのではと思ってしまう。ミスがあった方が、オリンピックに向けて強い気持ちで練習していける」

    “体操が好き”

    思えば、2つの金メダルを獲得した2016年のリオデジャネイロオリンピックの後、内村の体操は試練の連続だった。
    「日本で開かれるオリンピックに絶対に出たい」と東京オリンピック出場を目標に掲げながら、2017年の世界選手権では、左足首を負傷し、個人総合の連勝が40で止まった。
    慢性的な肩の痛みから満足に練習できなくなった。

    美しい演技を支えてきた圧倒的な練習量に限界が見え、30歳で迎えた2019年の全日本選手権では予選敗退を味わった。本来の演技とはほど遠い内容で、鉄棒の着地ではひざをついた。

    「東京オリンピック?いまじゃダメ。夢物語ですね」

    一時は、東京オリンピックをあきらめかけた。言うことを聞かない体に、どうしたらいいかわからなくなった時期もあった。

    「もう、どうでもいいや」

    次々とマイナスの感情が出ながらも、自分をじっと見つめた。
    心の中の一番奥にあるものは何か。
    そして気づく。小さい頃から変わらない思い。

    “体操が好き”という思いだった。

    体操に夢中になった幼い時、技を細かく分析してノートに絵をかきなぐった。どうやったらうまくなるのか、どうやったらあの技ができるのか。誰よりも長く練習し、誰よりも自分と向き合った。

    「幼い時、蹴上がりができた時ほどうれしかったことはない。まだ、あの喜びを超えたことがない」

    一つの技ができた時の喜びを思い出し、もう一度、奮い立った。
    なぜうまくいかないのか、なぜ失敗するのか。一つ一つをクリアして、一歩ずつ前に進んだ。
    自分の体ととことん向かい合った結果、6種目ではなく、体への負担が少ない種目別の鉄棒に専念することも決断した。

    「体操と言えば、個人総合」

    かつては6種目の王者であることに、プライドを持っていた内村。代名詞だった個人総合をやめてまで東京オリンピック出場にこだわった。

    「目標を実現するために、自分のプライドはいらない」

    家族、コーチ、仲間。“自分の夢”は、“自分だけの夢”ではなくなっていたことに気づく。
    練習方法や調整の仕方、試合本番でのピークの合わせ方。個人総合で出場していた時とは、何もかもが違い、手探りで前に進んだ。

    東京へ たどり着いた境地

    鉄棒と向き合っていく中で習得した大技の「ブレットシュナイダー」。
    体操への探究心をよりかき立てるのには、もってこいの技だった。

    内村選手のブレッドシュナイダーの合成写真(左下から時計回り。代表撮影)

    “オリンピックに出るために”と“体操を追求するために”が交錯するなか、おのずと“自分が満足する演技”を目指すようになった。
    それが自分のたどり着きたい「終着地」だとわかってきた。

    東京オリンピックの代表選考が本格化した4月の全日本選手権。
    オリンピック本番で金メダルが確実といえる、「15.466」の高得点をマークしたにも関わらず、笑顔はなかった。自己採点は60点。理想にはほど遠かった。
    5月のNHK杯。ミスのない演技で、「15.333」をマークしたものの、淡々としていた。

    「自分が目指していたものとは違う。人から“すごく良かった”と言われても、自分が満足しないと納得できない」
    「そのとき、そのときの満足いく演技を求めることが、オリンピックや金メダルにつながる」

    代表選考は、跳馬の米倉と激しい争いとなったが、その差も気にならなかった。
    最も高い得点を出したのは、5日の全日本種目別の予選だった。
    「15.766」
    だが内村の表情は緩まなかった。

    「自分の演技に満足できない。終わった瞬間に良くないところが浮かんできた」

    そして6日の決勝。
    代表内定は決まったが、開口一番、厳しい表情で話した。

    「だめです」
    「満足した演技ではない、こんな演技でいいのか。今すぐにやり直したい」

    最大の目標としていた、東京オリンピック出場よりも満足のいく演技ができなかった悔しさが勝った。
    笑顔はほとんどなかった。

    東京オリンピックの目標を聞いた。

    「着地をした瞬間、笑っていたい。笑顔でいたい。この代表選考では、それができなかったから」

    内村が4回目のオリンピックのスタートラインに立った。

    (スポーツニュース部 記者 田谷亮平)

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