現れ始めた影響 代表選手らの不調
1月に行われた卓球の全日本選手権で波乱が起こった。
オリンピック代表に内定している張本智和選手がベスト4を前に姿を消したのだ。
卓球男子日本代表の倉嶋洋介監督は「(張本選手は)コロナ禍で半年以上、実家で自粛生活をしていたので、本来の動きが戻ってきていない」と話す。
オリンピックが半年後に迫る中で直面する代表選手の不調。
柔道では1月、代表内定の原沢久喜選手が1年1か月ぶりとなる国際大会に臨んだが、初戦で一本負けを喫し、右脇腹付近を痛めた。
レスリングでも、去年12月の全日本選手権で樋口黎選手などオリンピック予選を控えた代表選手の敗戦が相次いだ。
感染拡大を受けて水球や、レスリング、ソフトボールなどで予定されていた全体合宿は次々に中止を余儀なくされている。
バドミントンの桃田賢斗選手、空手の喜友名諒選手など、代表選手自身がコロナに感染するケースも後を絶たない。
コロナ禍の中でどうやってトップコンディションを維持していくのか、すべての選手が難しい現状に直面している。
全競技団体にアンケート 浮かび上がった現状
NHKは東京大会で実施される33競技団体すべてにアンケートを行い、部門が分かれる競技を加え、合わせて42の強化担当者などから回答を得た。
◎質問:東京大会に向けた強化計画において最も新型コロナの影響を受けた点は?(複数回答)
・「実戦経験・練習の不足」・・・74%
・「ライバル選手との比較ができない」・・・43%
・「選手のモチベーションの低下」・・・38%
・「内定選手の選考」・・・33%
・「強化に向けた資金面」・・・24%
・「選手のけがや調整の遅れ」・・・14%
・「その他/無回答」・・・26%。
さらに、2020年1月、すなわち本来、オリンピックが開催されるはずだった2020年7月の半年前の時点と比べた選手の調整状況を聞いた。
◎質問:去年1月時点と比較しての選手の調整状況(重複回答あり)
・「進んでいる(状態がいい)」・・・29%
・「遅れている(状態が悪い)」・・・45%
・「変わらない」・・・36%
・「その他/無回答」・・・5%
「調整が遅れている」という回答が45%。
実戦経験不足や練習環境の変化など多くの競技が難しい調整を強いられている現状が鮮明となった。
開催賛否に揺れる世論 選手や競技への影響は
選手たちが直面している厳しい現状は技術面だけにとどまらない。
感染拡大によって大きく揺れ動く、この夏の大会開催への賛否という世論だ。
アンケートではこうした声が選手たちに少なからず影響を与えていることも浮き彫りになった。
◎質問:開催に世論の賛否が分かれていることが選手や競技に影響を及ぼしているか?
▼「わからない/無回答」・・・55%
▼「影響がある」・・・26%
▼「影響がない」・・・19%
「影響がある」の具体的な理由では「開催可否が不透明で選手に不安を与えている」という声が最も多く、「オリンピックに期待されていないと感じる」「五輪を目指すことで人目が気になる」といった受け止めもあった。
選手の心も揺れる
“逆風”を受ける現状に、複雑な思いを率直に語るのが陸上女子10000メートルで代表に内定している新谷仁美選手(32)だ。
新谷仁美選手
「アスリートとしては(ことし大会を)やりたい。人としてはやりたくないです。アスリートとしては賛成だけど、一国民としては反対という気持ちです。命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」
新谷選手は「走るのは仕事」と常々語る高い“プロ意識”の持ち主で、応援してくれる国民がいてこそ競技が続けられると考えているから、国民の不安がある中での開催については慎重な姿勢を貫いている。
だからといって手をこまねいているわけでもない。
みずからの走りや生き方を積極的に発信することで、開催に前向きになる人たちが増えることを期待するアスリートとしての信念は忘れていない。
新谷仁美選手
「見ている人たちが夢を持ち元気をもらえることがスポーツの魅力。そこをもう一度思い出して私たちがそれに対して応えていきたい」
東京大会への思い ひときわ大きいソフトボールは
選手たちの精神的なケアに乗りだそうとしているのが、アンケートで「影響がある」と回答した競技の1つ、ソフトボールだ。
金メダルを獲得した北京大会以来3大会ぶりに東京大会で復活するが、次のパリ大会では実施されないだけに、選手たちが東京にかける思いはひときわ大きく、不安の声も上がっているという。
代表メンバー全員が週1回オンラインで話せる場を作ったり練習内容に加え不安や心配なことを書いて提出してもらったりして、選手のメンタル面をフォローすることも検討している。
ソフトボール日本代表 矢端信介 選手強化本部長
「不安を抱えている選手たちとコミュニケーションを取って前向きな気持ちを育てていくしかない」
選手が安心できるよう きめ細かな情報提供を
技術面と精神面、ともによりよい状態で選手が大会に臨めるような環境は、どうすれば整備できるのか、専門家に聞いた。
早稲田大学スポーツ科学学術院 間野義之教授
「“無観客”はあっても“無選手”のオリンピックはあり得ない。開催までにこういうステップで進んでいくということを明示することで選手は安心して競技に専念できるので選手に必要な情報をきめ細かく出す必要がある」
大会支える医療関係者からは悲痛な声
一方、開催のために重要な役割を担っている医療関係者からは悲痛な声が上がっている。
競技会場や周辺で選手・観客の救護にあたることになっている医師や看護師などだ。
今、医療現場は新型コロナウイルスの感染拡大により深刻な影響を受けている。
東京都医師会 “今も大会の計画が見えない”
強い危機感を抱いているのが東京都医師会だ。
今も大会の計画が見えていないことに困惑している。
大会期間中、東京都医師会は、都内の各競技会場から最寄り駅までの「ラストマイル」と呼ばれる区間と、国立競技場や東京スタジアムなど3つの競技会場で観客の救護を担当することになっている。
延期が決まる前の計画では、救護所は、早朝から深夜まで開設するところもあり、必要となる人員は、およそ30日間の「のべ人数」で、医師およそ1000人、看護師およそ1500人、事務職およそ1000人と試算していた。
主に熱中症患者の処置などを想定していて、地区の医師会と連携して割り当てを行い、対応することになっていたが、コロナで状況は一変してしまった。
東京都医師会 新井悟理事
「当初の計画を作るときも、医師や看護師が日常の業務がある中で、夜間まで対応するとなると次の日の仕事に影響が出るので、協力を得るのとその調整が非常に大変だった。大会がどういう形で開催するのか示されておらず、今は具体的な計画について、検討段階にも入っていない」
東京都医師会は、第2波が収まりかけていた去年秋に、3つの競技会場で救護を担当する予定の医療機関にアンケートを送ったところ、「協力が可能」と回答したのはおよそ3分の1で、残りの3分の2は、その時点では「回答できない」という答えだったという。
東京都医師会 新井悟理事
「アスリートのことを考えると予定通り開催したいが、今の医療はギリギリの状態で、観客を半分に減らしても対応は大変で、非常に難しいミッションになる。組織委員会などでどういった話が出ているのか、なかなか聞く機会もないのでわからない。観客数の見込みなどもっと具体的なことを聞かないと私たちも答えを出せない。開催するならその規模についていくつかのプランを示してもらって、実現可能かどうかをお互いに話すことが大事だと思う」
悲痛な声は現場の医師からも
現場の医師からも悲痛な声が聞こえてきた。
今回、NHKでは各競技会場を担当する予定の複数の医師を取材した。
匿名を条件に応えてくれたある医師は「通常の医療を続け、新型コロナの治療も続け、そして、新型コロナのワクチンの接種も始まる。そこにさらにオリンピックの対応をする、そこまでの余裕はない」と話す。
この医師が勤務する医療機関では、大会期間中、競技会場に医師や看護師、のべ数十人規模の派遣を求められている。
しかし、現在、新型コロナウイルスの患者を受け入れていて、すでにほかの病棟からも看護師などをかき集めて治療に当たっている。
一瞬も気が抜けない院内感染対策や次々と入ってくる救急患者の受け入れ要請への対応など、スタッフたちの疲労は最大限に達していて、オリンピックの準備を始める余裕はない状況だという。
医師は「今でも医療スタッフたちにさんざん『頑張れ』と言っているのに、オリンピックのために『もっと頑張れ』とは言えないと感じている。すでに150%、200%働いているのにさらに負荷を加えることは避けて欲しい」と苦しい胸の内を吐露した。
取材を受けてくれた医師たちはつい1年前までオリンピックに出場する選手たちを最高の舞台で輝かせたい、そう願って準備に取り組んできた。
しかし、そんな医療関係者たちの願いはコロナへの不安で覆いつくされてしまったかのように感じられた。
医療資源が乏しい地方会場は
東京より医療資源が乏しい地方の競技会場でも、懸念の声が上がっている。
自転車競技の競技会場と選手村が設けられる静岡・伊豆地方。
地元の基幹病院、順天堂大学医学部附属静岡病院(伊豆の国市)は会場と選手村の医療を担う予定になっている。
大会期間中、病院から医療スタッフを派遣することになっているが、例年、夏は観光客が増え救急医療の出番が多くなるため、コロナ前から組織委員会にかけあってスタッフの派遣予定日数を「最低5日間」から「3日間」に減らしてもらっていたという。
東京など県外から応援のスタッフを受けながら、ぎりぎりの体制でなんとかやりくりする計画だった。
ところが、コロナによって状況は一変し、県外からの応援が期待できなくなってしまった。
大会に向けて協力したいという気持ちはあるが、今後の見通しに関する情報がなく、困惑しているという。
順天堂大学静岡病院救命救急センター 柳川洋一医師
「最近の感染状況をみると東京から医師を派遣してもらえるか不透明になっている。観客の有無などなかなか決まらないこともあると思うが、議論の経過など組織委員会は情報を届けてほしい」
大会組織委「医療体制の安定が何より重要」
大会に関わる医療関係者からの声に組織委員会はどう応えるか。大会運営局の山下聡局長に話を聞いた。
記者
「医療関係者から『このままでは開催は難しい』という声が聞かれるが?」
山下局長
「このままではというのがポイントだと思うが、日々、治療に従事している医師たちは非常に忙しくなっていて、大会のことを考える余裕もないと思われるので、当然、そういった意見は出てくると思う。大会開催の前提として、医療面では、新型コロナウイルスが一定の状況にコントロールされ、医療が安定的に提供されている状況が重要だと考えているので、日本社会として1日も早くそうした状況に持って行く必要がある。医師や看護師たちに円滑に大会に参加してもらえるよう、さらに仕組みを工夫していきたい」
記者
「今後のスケジュール感が現場に伝わっていないという声が聞かれるが?」
山下局長
「そういう指摘があれば早急に変えないといけない。これまではメールで準備状況などを折に触れてお知らせしてきたが、そういう意見があるならばもう少し積極的に情報提供に努めていっていろんな不安を解消する必要があると思う。工夫していかないといけない」
記者
「大会の詳細が分からないと医療スタッフの人数など具体的な準備が難しいという声も出ているが?」
山下局長
「昨年のテストイベントなどを元に相談を進めていたが、中断している状況だ。現在は、準備の再開に向けて組織委員会として、個別の会場ごとにどれだけの医療スタッフが必要だという案を作り込んでいる段階だ。例えば、無観客になれば、医療体制としては比較的ハードルが低いのは間違いないが、私たちとしては一番、困難な想定で準備をすすめ、仮に政府から無観客という判断があればその時点でその部分を除けばいい。医療界の意見には真摯(しんし)に向き合わないといけないが、今は、できる限りの準備をしていきたい」
取材の中で、山下局長は、医療側への情報提供を工夫する以外にも医療機関がスタッフを派遣しやすくなるよう、金銭的な支援も検討していることを明かした。その上で、大会の開催に向けては、新型コロナウイルスの感染が、一定の状況にコントロールされ、そして医療体制も安定することが、何より重要だという認識を何度も強調したのが印象的だった。
半年後の五輪は
医療関係者の一部からは「まずは感染者を減らし、それを維持できれば光は見えてくるかもしれない」という声も聞かれた。
半年後。オリンピックはどんな形になるのだろうか。
(スポーツニュース部 取材班 清水瑤平 / 科学文化部 山下由起子 / 首都圏局 浜平夏子 / 社会部 植田治男 / 静岡局 原岡裕太)