命があることに意味がある
2020年12月。退院から1年となった池江璃花子さんがインタビューに応じてくれました。この1年の自分自身の成長をどう捉えているのかという質問を投げかけました。
池江璃花子さん
「正直、退院してからのほうがきつい時期もあったりしたので、うーん、まあ、ちょうど1年っていうこともあるんですけど、なんだろう、ほんとにすごく順調にここまで来ているし、なんだろう、こういう環境、コロナになっちゃって、全然自由に身動きが取れない状況の中でも泳ぐことができて、それは、すごく幸せを感じているというか、今までだったらそういうのをいちいち考えることもなかったと思います。なんか気持ち的な強さっていうのは、あんまり病気する前とは変わらないとは思うんですけど、なんだろう、自分の中では、人に対してどうあるべきか、というか、もちろん自分のことも大切にしなきゃいけないと思うし、なんだろう、なんか、そのひとつの命があること自体に意味があるっていうふうに捉えるようになったから、考え方はだいぶ変わったと思いますね」
新しい水泳人生を歩み始めた池江さん。2020年は2回のレースに出場。白血病からの復活は“奇跡的”とも言われました。しかし、この間、さまざまな苦しみがあったことを話してくれました。
葛藤
池江さんが再びプールに戻ることができたのは、2020年3月17日。退院しておよそ3か月。免疫力などに一定の回復が見られるという医師の判断のもと、顔を水につけないという条件でした。それでも泳いでいる間、池江さんの笑顔が消えることはありませんでした。

それから間もなくチームの練習に合流。病み上がりとあって、泳ぐ距離は他の選手の半分に設定されるなど別メニューが組まれました。
「泳ぐことを楽しみたい」と話していた池江さん。しかし、プールでは裏腹な行動を見せます。チームメートと張り合うよう泳ぎ始めたのです。
「(病気になる前は)練習でも、試合でも、敵がいない状態で、他の選手と一緒に泳いでいても、他の選手よりも飛び出て、一人で独泳状態っていう感じの練習が多かった。今は逆にすごく置いていかれる立場になって、自分がみんなを追いかける立場になって、なんだろう、みんなよりも飛びぬけていた時と、逆に今はダントツに遅れている自分のギャップっていうのが、なんだろう、受け入れられなかったというか…。1年以上休んでいたから仕方ないと思いながらも、そういう、他の人に、どんなに頑張っても勝てない悔しさというか無力さというか、そういうのがすごくしんどくって、そういう状況になっていました」
ほんの1年ほど前まで、池江さんは東京オリンピックのエースとして期待されていました。その頃の自分とは違うということは、もちろん頭ではわかっていました。入院生活で落ちた体重は10キロ以上。筋力もすっかり無くなりました。それでも仲間と張り合うことを止められませんでした。
当時の取材中、池江さんは練習途中で泳ぐのを中断。「気持ち悪い」ともらしながらプールサイドで横になってしまうほど追い込むこともありました。
「たぶん病気になる前の練習でもそうだったんですけど、追い込みすぎちゃうところがあって。自分の限界がきても、それ以上いく泳ぎをしていて。なんだろう、それが身についちゃっているんで、たぶんもうそれは変えられないんですけど。頑張りすぎて。(今まで)自分に限界はないって言ってきた、言ってきていると思うんですけど、限界がないからこそ、その自分を追い込みすぎちゃうところもあって。今はあんまり無理しすぎない方がいいのかなっていうのもありながら、だけど、みんなに追いつくためには、そうしていたいっていう自分もいるし、結構難しいところですね。だから、比べないでほしいです。前の自分と、今の自分。もちろん自分も比べたくなる時もあるけど、でも、比べちゃだめだって逆に思っているし。なんか『前はすごかったけど』っていうふうに周りから思われるのもあんまりうれしくないし」
「もし病気になっていなくて、ずっと水泳を続けていたらもっと早く強くなれたのになって考えることもなくはなかったです。正直(過去に)戻りたいっていう気持ちもある。ずっと水泳を始めてから積み上げてきたものは、この1年ちょいで完全に失われた気がしたというか、今までの努力の意味がわからなくなった。今はその、やっぱり、なんだろう、仕方ないことだなってすごく思うけど、でも、戻れないなって。これからどうなるかわからないけど、今の自分の状況や自分の泳ぎとかを冷静に見ると、ちょっと厳しいんじゃないかなって思っているところがすごく大きい」
前に進む力
病気から回復し、泳げるようになった自分。前のように泳ぎたいと思っても泳げない自分。焦っても仕方がないと思いながらも心と体がかみあわず、ひとり苦しんでいました。
7月4日、池江さんの20歳の誕生日。チームメートたちがサプライズでお祝いしてくれました。用意されたモニターに映し出された映像には、日本代表選手や水泳部のチームメートなどからのさまざまな言葉。そして最後に、池江さんへメッセージが贈られました。
つらくても笑える
りかこが好きだけど
つらいって泣いている
りかこも大好きだから
いつでも頼ってください
そしてまた一緒に
大笑いしよう!
涙があふれ出ました。病床で過ごした1年前を思い出すとともに、今、一緒に目標に向かって進む仲間たちがそばにいることを心強く感じていました。
「もうシンプルに、わざわざ時間を割いて自分のためにやってくれたっていう思いと、あとは、1年前は自分の誕生日を体調よく過ごせず、なんだろう、絶対来年はいい誕生日にしてやるっていう気持ちだったので、本当に、こんなに幸せな二十歳を迎えられて自分は本当に幸せだなって思いながら、泣いていました」

7月23日。池江さんの姿は国立競技場にありました。新型コロナにより延期となった東京オリンピックの開幕1年前となったこの日、白血病を体験した池江さんだからこそ伝えられる言葉がある、イベントで世界に向けてメッセージを発信してほしいと依頼されたのです。池江さんは1か月以上かけてことばを考え、一人ピッチに立ちました。
池江璃花子さんのメッセージ(抜粋)
思っていた未来が、一夜にして、別世界のように変わる。それは、とてもきつい経験でした。
スポーツは、人に勇気や、絆をくれるものだと思います。
私も闘病中、仲間のアスリートの頑張りにたくさんの力をもらいました。今だって、そうです。練習でみんなに追いつけない。悔しい。そういう思いも含めて、前に進む力になっています。
もちろん、世の中がこんな大変な時期に、スポーツの話をすること自体、否定的な声があることもよく分かります。
ただ、一方で思うのは、逆境からはい上がっていく時には、どうしても、希望の力が必要だということです。
希望が、遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても、前を向いて頑張れる。
私の場合、もう一度プールに戻りたい。その一心でつらい治療を乗り越えることができました。
世界中のアスリートと、そのアスリートから勇気をもらっているすべての人のために。
1年後のきょう、この場所で希望の炎が、輝いていてほしいと思います。
「悔しい思いも含めて前に進む力になっている」 と思いを述べた池江さん。焦り、もがき苦しんでいた心に少しずつ変化が生まれていました。
「今までずっと水泳しかやってこなくて、スポーツでここまで結果を出してこられたけど、正直速く泳ぐのが当たり前っていう感覚になっていたけど。でも今は速く泳ごうと努力する気持ちが大事だと思っていて、だから、アスリートとはずれた視点で見られる自分もいるから、そういう自分を、そういう自分で、何て言うんだろう、どんどんこのまま強くなっていきたい。そういう気持ちを忘れずに、ずっと、ですね」
変化
8月、池江さんは実に1年7か月ぶりにレースに復帰。その後、入院生活で10キロ以上落ちた体重もだいぶ戻り、泳ぎ込みでは、少しずつ仲間に追いつけるようになりました。10月の復帰2戦目、日本学生選手権を前に池江さんは、「楽しみ」という言葉を口にしました。

「1回目の試合があまりにも緊張したせいか、だいぶ、なんだろう、落ち着いているし、1回目で自分の状態がわかったので、もうそれから下がることは絶対ないと思うから、あとは、どんどん上っていくだけなので、逆に楽しみでもあるし、次はどれくらいで泳げるんだろうみたいな、楽しみなほうが強くあります。
こないだの試合が終わったあと、練習で長水路のコースをしっかり泳ぎ込みをした時に、なんだろう、みんなと一緒だったり、別メニューでやったりした時に、ちょっとずつみんなに追いつける練習が増えていって、その時にだいぶモチベーションも上がってきて、みんなに追いついてきたから、このままあとは追いつくだけだな、追いついて追い抜くだけだ、みたいな気持ちになったから、そこからめちゃめちゃモチベーション上がって、前回の初めての試合の時はめちゃめちゃ不安で怖いっていう気持ちだったけど、今は、そういう気持ちも全部なくなって、すっきりポジティブモードになっているから、今は楽しみですと言える」
10月1日、東京辰巳国際水泳場。池江さんは、女子50m自由形に出場しました。予選は25秒87で全体の6位で決勝進出。そのおよそ2時間後に行われた決勝は、予選よりタイムを縮め25秒62。表彰台には届かず4位でしたが、レース後のインタビューでは「感情がわき上がってきた」と時折、声を震わせました。

「思ったよりも速いタイムだったので驚きでした。今シーズンのベストなので、第2の人生の自己ベストを出したという満足感もすごくあります。今、やることは泳ぎ込んで自分の実力を戻していくことなので、次の目標にとらわれずに一つずつやっていきたい」
胸の中にあった“迷い”は消えていました。
新しい池江璃花子

大会のあと池江さんは、距離を伸ばし100mに挑戦すべく練習を重ねています。
退院から1年。池江さんはそれまでの歩みを振り返りこう話しました。
「いろんなこと、物事に対して、あの、ネガティブに捉えないで、もう『これこそが自分の人生だ』っていうふうに、捉えるようにしたら、すごく気持ちも楽になったし、もうすべてが楽しいなって思うようになりました。できるなら、病気せずにあのままの自分でいたかったっていうのがもちろんありますけど、だけど、こうなったからこそ学んだこともすごく多いし、なんだろう、自分が生きている意味っていうのを感じられた1年だった、まあ入院してからでいうと2年、って思えるので。こうやって泳いでいる自分、普段の自分っていうのが今の池江璃花子だと思っているので、もちろん、新しい自分っていう風にも捉えますけど、私は前しか見てないよっていうことは、わかっていただきたいというか、感じていただきたいなと思います。ネガティブになっていても仕方ないなってすごく思うようになったし、好きな水泳をやっているんだったら楽しんで水泳をやりたいなっていうふうに思ったので、そこからは、ほんとに気持ちも切り替えられたし、今は今でやれること、できることを自分が全力でやることっていうのがいちばん大事だというふうに思います」
白血病と向き合いながら、水泳選手として歩み続ける池江さん。「悔しさを前に進む力に変える」という強さを、この1年の取材を通して感じました。選手としての次の目標を聞くと池江さんは、あえてはっきりとは口にしませんでしたが、そこには新たな「楽しみ」を見つけたような笑顔がありました。

「スイマーとして、まずは本気で楽しむこと、水泳を。泳いでいるのが楽しくないって思った時点で、私は泳ぐのをやめたほうがいいって思う時だと思っているので、それまでは本当に全力でやり続けたいなっていうふうに思っているのと、誰もやったことがない、誰もなしえたことのないことをやってみたいっていう、何かとは言わないですけど、そういうことをやりたいなっていう自分もいます。
(東京オリンピックは?)運が良ければって感じじゃないですかね。本格的に考えているかって言われたらそうでもないですし。ただ、そういうチャンスがあるんだったらやるべきなんじゃないかなとも思うし、だけど、うーん、ちょっとまだ微妙なところではありますね。自分の体力的な部分でもっと自信がついていけば、もう絶対出たいと思うかもしれないですし、今は、まだ中途半端な時期。気持ち的にも中途半端な気持ちなので、オリンピックに本気で行きたいって思えるようになってから、またその目標は発表すればいいんじゃないかなと思います」
(札幌放送局 ディレクター 宮内亮吉)