苦闘
オリンピックイヤーとなるはずだった2020年。張本選手にとって、苦しい日々が続きました。1月の全日本選手権。「頭ひとつ抜けている」と優勝の大本命と見られ、張本選手自身も「日本で一番になることが世界につながる。日本で一番になれない人は世界で一番になれない。そのために優勝したい」と強い決意で臨みました。
決勝は同じ高校生だった宇田幸矢選手との対戦。
張本選手は速いタイミングで思い切りよく積極的に打ち込んでくる宇田選手の攻撃に受け身となり、自分から攻めにいくことができませんでした。
本来の強気の攻めが影を潜め、フルゲームの末に競り負け、優勝を逃しました。
表彰式を待つ待機エリアでは、ほかの選手が談笑する中、誰とも言葉を交わさず、ひとり頭を抱えてうつむく張本選手の姿がありました。
当時の心境を本人はこう語りました。
張本智和選手
「国内の大会は優勝が当たり前だったので、それができない時の気持ちの落ち込み方はふだんより大きかった」
自分が一番自分を知っている
それでも「悲しんでいる暇はない」と気持ちを奮い立たせ、1週間後、ことし最初の国際大会となったワールドツアーのドイツオープンに臨みました。
1回戦の相手は2連勝中だった世界ランキング34位(当時)の台湾の選手。
ゲームカウント2対1とリードしたものの、捨て身で攻めに来た相手の勢いに押され3ゲームを続けて奪われ、逆転負けを喫しました。
張本選手はその後、丸2日間、ホテルの部屋に閉じこもり、人との接触を避けるように予定を早めて帰国しました。
いつもなら負けた後も試合会場に残り、練習していた張本選手とは明らかに違う姿でした。
4月下旬、私たちの取材で苦しかった胸の内を初めて打ち明けてくれました。
張本智和選手
「自分が一番、自分のことを知っていて、今は絶対に金メダルを取れないというのを知っている。そんな中で周りからは取れると言われ、気持ちは複雑だった」
苦しみを力に
オリンピックが近づく中、日に日に高まる周囲の期待と結果を残せない自分。
世界のトップクラスへと一気に駆け上がった16歳は、そのギャップに苦しんでいたのです。
決まった東京オリンピックの1年延期。あまり弱音を吐かない張本選手が、決定直後の率直な気持ちを話してくれました。
張本智和選手
「東京オリンピックの代表と言われることがまた1年続くのかという、つらい気持ちがあった。早く東京オリンピックをやって楽になりたいという気持ちもあったので、またこの状況が続くんだなって」
それでも延期決定から時間がたつにつれ、少しずつ気持ちに変化も生まれてきました。
張本智和選手
「2020年、自分はたぶん失敗していたと思うので、時間をもらったことによって、2021年が成功できたと言えるようにしたい。まずは強くなるという気持ちで練習している」
期待と現実の間で苦しんだ経験もすべて力に変えようと、16歳のエースは再び、スタートを切りました。