“わからないことだらけ” 突きつけられた試練
土性沙羅選手
「長いなって思います。あと1年4か月。どういう気持ちで1年やっていこうかなって考えますね」
土性選手が取材に答えてくれたのは3月31日。「2021年7月23日」という東京オリンピック開幕の新たな日程が発表された翌日のことでした。
この日から愛知県にある拠点の至学館大学での練習は、当面の間、休止となりました。
土性沙羅選手
「練習が休みって言われたのが、きのうの午後10時くらいだったので、いきなりどうしようかなって思いました。今後、オリンピックまで何の大会があるのか、試合があるのかどうか。わからないことだらけです」
新型コロナウイルスをめぐって、めまぐるしく変わる状況に戸惑いを隠せなかった土性選手。
練習場所の確保すらままならず、1年以上先の本番に向けて、国内外での大会に出られるかどうかもわかりません。
土性選手は、オリンピックへの切符を手にした直後に思ってもいなかった試練に直面することになったのです。
相次ぐけが 苦難の道のり
土性沙羅選手
「けがもあって、思うような成績が残せなくて、本当にいろいろあったと思います」
土性選手は苦笑いをしながらここまでの道のりを振り返りました。
4年前、リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得してからの土性選手は、その言葉どおり困難の連続でした。
土性選手の代名詞と言えば、重量級ではまれなほどのスピードに乗ったタックルです。
しかし、オリンピックが終わってからは、けがに悩まされ、そのタックルが影を潜めます。
おととしは脱臼を繰り返していた左肩を手術し、半年近くマットを離れました。
さらに去年11月にも左ひざを痛め、1か月ほど練習できない状態が続きました。
「練習の積み重ねで自信を持てる」という土性選手にとっては、大きな不安が残っていました。
去年12月の全日本選手権は、優勝すれば東京オリンピック代表に内定する大会でしたが、その不安が的中します。20歳の森川美和選手を相手に得意のタックルが決まらず、逆に返し技でポイントを奪われ、2対9で完敗したのです。
国内で7年ぶりとなる、まさかの敗戦に土性選手は自信を失いかけていました。
土性沙羅選手
「タックルに入ってもポイントを取りきれない。
今まで自分が積み上げてきたものがどんどん崩れていったイメージだった。
自分はこんなものなのかって思いましたね」
満身創痍 それでも譲れない
一時期は「レスリングをしたくない」と思うほどに落ち込んだという土性選手。
それでも周囲から励まされ、少しずつけがが回復していく中でもう一度、最後のチャンスに向けて練習を始めます。
そして3月の代表決定戦。森川選手と再び対戦し、勝ったほうが内定する一発勝負の試合でした。
痛み止めを打ち万全とはほど遠い状態の土性選手が選択した作戦は、「タックルに簡単に入らない」というものでした。
返し技のうまい森川選手にタックルをしかけることなく、じりじりと前に出てプレッシャーをかけたのです。
そして相手がタックルに来たところで、すかさずカウンターを決め、ポイントを奪いました。
タックルでどんどん攻めていく土性選手本来のスタイルではありませんでしたが、それだけに勝ちに徹する執念が感じられ、これまでになかった強さを示した試合でした。
土性沙羅選手
「オリンピックというのは、本当に簡単に出られる大会じゃないんだって感じましたね。
でも、そういうのを全部乗り越えてオリンピックに出て、金メダルを取れたら、うれしさも倍になると思うので、それに向けて頑張るしかない」
満身創痍でつかんだ代表の座だっただけに、どのような困難があろうと諦めるわけにはいかない、控えめな言葉の中に強い気持ちがにじんでいました。
この1年でもう一度“タックル”を
大学での練習が休止になった日の朝から、土性選手は自主トレーニングを始めていました。
土性沙羅選手
「けがを治す期間が延びたってプラスに捉えています。今は」
人生をかけて目指してきた目標が先延ばしになり、何もかもが不透明な今の状況でも前向きに受け止めようとする姿勢には、苦しみ抜いたこの4年間で培ってきた辛抱強さが見えました。
土性沙羅選手
「また前みたいにタックルで前に出られるレスリングを取り戻せるように頑張りたい」
オリンピック2連覇へ再スタートを切ったのです。
1年間でけがを癒やし、「タックルで攻める」レスリングを取り戻すことができれば、心技体ともに成長した姿をオリンピックで見せてくれるはずです。