トランプ氏のいら立ち

アメリカ大統領選挙の候補者どうしによる初の直接対決となったテレビ討論会。民主党のクリントン候補と共和党のトランプ候補は、それぞれ自分が勝利したと主張しました。今回の討論会をどう見ればよいのか。アメリカ政治が専門の中山俊宏慶應義塾大学教授に聞きました。

Q:今回の討論会をどのようにご覧になりましたか?

中山教授:トランプ氏は、これまでの予備選挙では、対立候補の嫌がることを言い続けて相手をつぶす「パーソナル・ディストラクション」とも言うべきやり方で勝ち抜いてきましたが、今回の討論会ではそれが見られず、少し予想外でした。

トランプ氏としては、クリントン氏が相手ではそれができないと判断したのか、むしろリーダーとしての資質を問われかねないと考えたのか、「クリントン財団」をめぐる疑惑には触れず、また、「メール問題」への突っ込み方もいまひとつの印象でした。逆にクリントン氏に結構攻め込まれて、それを振り払うのに精一杯で、有効なパンチを打てなかったと思います。

逆に、クリントン氏は政策的な面で攻め込み、トランプ氏の政策的な知見の甘さをハイライトさせました。特に討論会の後半は、トランプ氏にとって、だいぶきつかったという印象を受けました。クリントン氏は、討論会のテーマのすべての領域において、安定的な知見を披露したと思います。

また、クリントン氏は、トランプ氏の確定申告書をめぐる議論の中で、「トランプ氏は実際には自身が主張するほどお金を稼いでいないんじゃないか」と発言しましたが、トランプ氏の癇に障ったでしょうね。わざと言ったと思いますが、その辺りはきちんと組み立てられていて、クリントン氏は相当、準備したのだと思います。

全体を通じて、「トランプ氏はさえない。政策的な知見がない。イライラしている」という様子が見え、トランプ氏が攻め込まれた印象でした。しかし、トランプ氏の弱さや奇抜さを徹底的に浮き彫りにするまでにはならず、決定的に記憶に残るシーンはなかったと思います。

討論会の結果、トランプ氏が新たな有権者を獲得することはないでしょうし、クリントン氏も、安定感と政策的な知見で選択に迷っている有権者を惹きつけたにしても支持者を多く増やしたとまでは言えないでしょう。

10年前なら“冗談”

Q:過去の大統領候補者討論会と比較して特徴的だったことは?

中山教授:10年前に「これが大統領候補の討論会ですよ」と言われたら、「それは冗談でしょ」と誰も信じなかったでしょう。

クリントン氏はありえたかもしれませんが、相手がトランプ氏だというのは10年前なら信じられない話ですよね。歴史的な場面を目にしたと思います。選挙戦の勝負は最後までわかりませんが、後に「コミカルだが危険な候補者が大統領選挙を最後まで戦って、ディベートまでした」と、挿し絵や写真付きで振り返られるかもしれない歴史的なワンシーンだったと思います。

討論会の前から、舞台に立つ共和党候補がトランプ氏ではなく、ジェブ・ブッシュ氏だったらどうだっただろうかと考えていました。ただ、しかし、今回はブッシュ氏が共和党内の候補者選びでは勝ちようがなかったのだと思います。

 

ある人が面白いことを言っていました。「トランプ氏を生んだのは、ブッシュ氏だった」というんです。ジェブ・ブッシュ氏は、父も兄も大統領になり、自身も州知事を経験。あまりにもエスタブリッシュメント色が強すぎました。今のトランプ氏を支えている白人労働者階級からしてみると、ジェブ・ブッシュ氏は最も嫌悪すべき存在に映っていたのだと思います。私に話をしてくれた人は、「ブッシュ氏が意図的にそうしたわけではないにせよ、非常に罪がある」と言っていました。「ブッシュで決まり」、という雰囲気がトランプを生み出したというわけです。

そういう意味では、クリントン氏にも似たところがあります。確かに生まれながらに裕福だったわけではなく、夫のビル・クリントン氏とともに二人で権力の階段を上がってきたわけですが、すでにアメリカン・エスタブリッシュメントの一角を構成しています。民主党の大統領候補にこのような人物が出てきたことに対する“違和感”のようなものが有権者にあり、それが「トランプ現象」を失速させていない大きな要因になっていると感じています。

やはり、クリントン氏にとっての最大の弱みは、「トランプじゃ、まずいでしょ」の感覚です。クリントン氏の選挙運動のスローガンに「I‘m for her.(私は彼女を支持する)」というのがありますが、実際には「I‘m against him.(私は彼《トランプ氏》に反対する)」という雰囲気が強くあります。そこが、クリントン氏の選挙運動の物足りなさだと思います。

“討論会は音を消して見るのがよい”

今回の討論会について、アメリカのメディア、特に中道系のメディアは、クリントン氏が優ったと評価していますが、選挙戦の勝負がついたかというと、当然、そうとは言い切れないわけで、次回以降の討論会でトランプ氏が自身らしさを発揮する可能性はあると思います。

トランプ陣営にとって、今回の討論会は少なくとも勝ってはいない。したがって、トランプ陣営がどうやって立て直してくるかです。共和党の予備選挙では、まさに相手を〝人格的に壊す〟ことによって台頭しました。単純にそのやり方に戻すことはないかもしれませんが、このままでは駄目だという認識はあると思います。

「討論会は音を消して見るのがいちばんよい」。これはジェームス・ファローズというベテラン・ジャーナリストの言葉です。討論会では、ボディーランゲージなど候補者のしぐさやスタイルが決定的に重要になります。

そういう意味でいうと、候補者討論会のフォーマット(形式)は、とても重要です。次回の討論会は、タウンホール形式で行われるようですが、そうなるとトランプ氏とクリントン氏の2人が舞台上を歩き回ることになるんだろうと思います。今回の討論会は候補者が観客と交わることはありませんでした。会場の観客を巻き込める形式になったとき、果たしてクリントン氏とトランプ氏のどちらが生き生きしてくるかも注目点になると思います。

中山 俊宏
中山 俊宏
慶應義塾大学総合政策学部・教授/日本国際問題研究所・客員研究員
1967年生まれ 青山学院大学大学院国際政治経済学研究科国際政治学専攻博士課程修了 博士(国際政治学)
専門はアメリカ政治・外交、国際政治、日米関係

(取材・構成:ネット報道部 後藤 亨 山本 智)