レスリング女子 新時代 “最古の格闘技”をUpdate

レスリング女子 新時代 “最古の格闘技”をUpdate
“最古の格闘技”と言われるレスリング。近代オリンピックでは1896年の第1回アテネ大会から実施されている伝統ある競技だ。

7月26日に開幕するパリオリンピック。吉田沙保里さんや伊調馨さんらがけん引してきた日本女子の栄光の歴史に、新たな1ページが刻まれようとしている。

平均年齢22歳、“新時代”の代表選手6人は、新たな技術を取り入れようと貪欲に強さを追い求め、みずからをアップデートし続けてきた。

オリンピックで史上初となる全階級制覇という偉業達成はなるか。大きな期待を背負う6人を取材した。

(NHKスペシャル取材班)

太古から続く探求

専門家によると、紀元前3000年にまでさかのぼると言われているレスリングの歴史。人々はまわしや胴着など、つかめるものを身につけず、いかに相手を組み倒すかを競ってきた。
その様子は、エジプト中部の村から5キロほど離れた丘陵地でも見いだすことができる。

そこにある墓の中。壁一面に、さまざまな姿勢で組み合うレスリングの壁画が描かれている。

その数、220組。1つとして同じ構図はない。
古代オリンピック競技を研究 アテネ大学 ソティリア・ヤナキ教授
「レスリングは古代オリンピックでも競技の1つとして行われ、いかなる器具も使用せず、2人で勝敗を競い、引き分けがないことから特に親しまれてきました。結果だけでなく技が持つ独特の美しさも重要視されていました。時代を越えて、人間の戦いを思い起こさせるこの競技には不変の価値があります」

史上初全階級制覇なるか!?新世代の6人

太古から探究が続けられてきたレスリング。近代オリンピックで、日本はその実力を世界に示してきた。

特に女子は正式種目として採用された2004年のアテネ大会から金メダルを逃したことがない。オリンピック3連覇の吉田沙保里さんや4連覇の伊調馨さんらを筆頭に世界を席巻してきた。

その吉田さんらも成し遂げることができなかった偉業を期待されているのが、パリ大会の代表となった“新時代”の6人の選手だ。

平均年齢は22歳、5人が初出場というフレッシュな顔ぶれになっている。
【女子日本代表】
▽50キロ級 須崎優衣選手(25)2大会連続2回目
▽53キロ級 藤波朱理選手(20)初出場
▽57キロ級 櫻井つぐみ選手(22)初出場
▽62キロ級 元木咲良選手(22)初出場
▽68キロ級 尾崎野乃香選手(21)初出場
▽76キロ級 鏡優翔選手(22)初出場
その偉業というのが「全階級制覇」。

レスリング女子では、1つの国や地域の代表選手が、1つのオリンピックで金メダルを独占したことがまだないのだ。

レジェンドたちも強い期待を寄せている。
オリンピック3連覇 吉田沙保里さん
「レスリング女子はどんどん進化しています。今の世代は全階級金メダルを狙えるところにいるし、このチームの強さを私も誇りに思います。みんな金メダルで笑顔で帰ってきてくれる、世界に日本の強さを見せつけてくれることを期待しますね」
オリンピック2大会連続銅メダル 浜口京子さん
「ことしの女子は最強。全員金メダルって私は信じています。それだけの練習をしてきたし、それだけの道のり、それだけの熱い思いがあると思います」

“傑出”の軽量級:2連覇狙う須崎 多彩な技の藤波

特に傑出した実力を持つとされるのが、軽量級の2人だ。持ち味はともに攻撃力。オリンピック3連覇の吉田さんも金メダル獲得に太鼓判を押す。
最軽量、50キロ級の須崎優衣選手は、6人の中で、ただ1人オリンピックを経験している。スピードあふれるタックルや寝技を軸に、前回の東京大会では4試合すべてでテクニカルフォール勝ち。1ポイントも奪われないという「完勝」ぶりは、今も語り継がれている。

パリに向けて掲げたテーマは「史上最強」。得意のタックルだけでなく、組み手や投げ技なども鍛え上げた。さらに上積みした圧倒的な攻撃力で2連覇を誓う。
東京五輪 50キロ級金 須崎優衣選手
「すべての面でひとまわり大きくなったようなイメージです。オリンピックで金メダルを取るという事はそんなに簡単なものではないと思うし、人生を懸けた人こそ最高の喜びを手にできると思っています。自分の攻めて勝つスタイルで絶対に金メダルを獲得して2連覇できるように人生を懸けて頑張ります」
“新時代”の選手の「これまでにない強さ」。その謎を解く鍵を握る1人が、こちらも軽量級、53キロ級の藤波朱理選手だ。
6人の中では最年少の20歳。中学生のときから公式戦では負け知らずで、高校生のときには1年生ながらインターハイを制した。

大学3年生となった現在までの連勝記録は「133」。吉田さんの「119」をも超え、海外メディアからは「ワンダーガール」と称される。

持ち味は「多彩な技」。長い手足を生かした得意のタックル。そして、相手の手足を巧みにつかんだり、固めたりしながらコントロールして、背後に回る攻撃。相手のタックルをかわしてのカウンター。さまざまな技を立て続けに繰り出して、圧倒する試合を続けてきた。
試合を研究すると、藤波選手の強さを支える大きな特徴がわかった。

それは「相手に触れている時間の長さ」だ。

藤波選手が去年9月の世界選手権で戦った5試合を分析したところ、試合時間全体の93%で、手が相手の体に触れていた。

一方、離れた位置からの“高速タックル”を武器とする吉田さんが金メダルを獲得したロンドン大会の4試合では、全体の54%。藤波選手が相手に触れている時間が大幅に長いことがわかる。
圧倒的な強さを誇った吉田さんのタックルを警戒して、距離を詰める対策を講じた海外勢を子どものころから見てきた藤波選手は、相手と組み合った状態から、どう技を出すか突きつめてきたのだ。

4歳のころから父・俊一さんの指導を受けて、基礎や基本を徹底的に体にしみこませる一方、時間を見つけては海外選手の動画を見て、新たな技術も盗んでいった。この貪欲な姿勢が藤波選手の強さの源になっていた。
藤波朱理選手
「手のひらで相手の動きがわかるくらい重きを置いてやってきました。すごいなと思ってそれをマネしようと思ってやってみたら割とすぐにできるというのが多いですね。強くなるのに限界はないと思いますし、吸収できるものは吸収していきたいなと思っています」

中量級:櫻井と元木 育英大で培った“一撃必殺”

パリオリンピックに臨む“新時代”の6人は、エリート街道を歩んできた選手だけではない。

中量級の2人、57キロ級の櫻井つぐみ選手と62キロ級の元木咲良選手は群馬県にある創部わずか6年の育英大学で、一撃必殺の得意技を鍛え上げて代表の座をつかんだ。
育英大学が特殊なのはその練習環境にある。率いる柳川美麿監督は動画での技の研究を重視。参考になりそうな動画はグループチャットで共有し、選手たちは練習中も頻繁に手を止めて、スマートフォンをのぞきながら、技の習得にいそしむ。レスリングの練習ではこれまであまり見られなかった光景だ。

選手たちは動画を分析したり、まねしたりしながら、自分に合った技を見つけだそうとしていた。
こうした練習環境を生かして、頭角を現したのが2人。

このうち、57キロ級の櫻井選手が得意技として磨いたのが「腕取り」と呼ばれる技術。相手の片腕を両腕で引くなどしてバランスを崩す技で、この技を駆使した粘り強い試合運びで世界選手権を3年連続で制している。
57キロ級 世界選手権3連覇 櫻井つぐみ選手
「自分に合ったレスリングを目指したいと思ってこの大学を選びましたが、ここに来なかったら今の自分はないと思いますね。いろんな技を教えてもらってここまで来ることができたので、その恩返しをするためにもオリンピックでは絶対に金メダルを取りたいです」
一方の元木選手。実は決して運動は得意ではない。

高校3年生のときに出場したインターハイで、当時、高校1年生だった藤波から1ポイントも奪えずに完敗した。
62キロ級 元木咲良選手
「小さいときから不器用で、運動神経だけが関係するスポーツだったら間違いなく自分は勝てないと思います。こんな自分でも勝つ方法、やり方を模索すれば勝てるというのがレスリングの魅力だと思います」
元木選手が極めようとしたのが東京大会の銀メダリストで、アゼルバイジャンの選手が編み出した「アリエフ」と呼ばれる技だ。
片方の手で相手の頭を押し下げ、その反動で相手の頭が上がったところに攻撃に入る高度な技だが、腕が長く、手も大きい元木選手は離れた位置からでも相手の頭に手をかけることができたという。

そして、間合いや腕の角度などを研究し、タックルにつなげていく練習を徹底。その試行錯誤を書き留めたノートは大学時代だけで20冊以上にのぼる。
ことし3月には出稽古に訪れた藤波選手と実戦形式のスパーリングで成果を試す機会があった。

1ポイントも奪えなかった高校時代から5年、鍛え続けた技、アリエフを攻撃の起点として足首にタックルに入り、藤波選手をマットにはわせることができた。
元木咲良選手
「どんどんやっていく中で自分流に変化していって今はすごく、自分の武器になってきたと思います。でも自分のレスリングは完成させたくないですね、ずっとアップデートし続けていきたいです」

海外が日本の優位を脅かす

ところが、元木選手を含む、軽量級と中量級の代表選手たちが、思いもよらない結果となったのが、4月に中央アジアのキルギスで行われた国際大会だった。
元木選手は決勝で対戦した、地元キルギスの選手に敗北。アリエフからの攻撃を完全に読まれていた内容だった。

櫻井選手も初めて対戦する中国の選手に、開始早々、不意を突かれて敗れ、東京大会金メダリストの須崎選手も初戦で北朝鮮の選手に押される展開となった。
大会に参加した中国のコーチは「日本は戦術を考えるだろうが、中国もほかの国も同じく考えるので、パリでどうなるか楽しみだ」と不敵に笑った。

研鑽を積んでいるのは日本だけではない。海外勢も日本を脅かそうと錬磨を重ねていることを再認識させられる大会となった。
選手たちはさらなるアップデートを誓い、パリに向かう。
須崎優衣選手
「レスリングが大好きだから自分の競技を心から愛しているからやっぱり頂点の頂点まで極めたいと思いますし、突き詰めたい、極めたい、強くなりたいです」
櫻井つぐみ選手
「がむしゃらに行くんじゃなくて、冷静に相手の動きとかを見て、自分のレスリングスタイルを、もっともっと高めたいです」
元木咲良選手
「負けをすごい糧にできる。自分の糧になるような試合だったと思っている。私は負けてからが強いのかなって。今までもたくさん負けてきたので、そのたびにいろいろなことを学んで、いろいろなことを吸収して、ちょっとずつ強くなってきたと思っています。リベンジしたいっていう気持ちが本当に強くて、弱かったり駄目だったりした過去の自分も乗り越えていきたいです」

重量級:スピード自慢の尾崎と鏡 鍵は最重量級

日本の女子が、海外勢の後塵を拝してきたのが重量級だ。

特に最重量級はこれまで一度も金メダルを取ったことがない。

この難関に挑むのが、国際大会で優勝を重ねてきた68キロ級の尾崎野乃香選手と76キロ級の鏡優翔選手だ。
尾崎選手はこれまで62キロ級の選手だったが、今回、階級を上げて代表の座をつかんだ。

もともとスピードのある選手だったが、階級を変えたことに伴い筋力の強化にも励んできた。
68キロ級 尾崎野乃香選手
「重量級だから難しいとは思っていないので、私ならできるというただそれだけを目指してやっています。レスリングは美しいんだというところを見せたいので、力強いパワフルなレスリングで、かっこいい、攻めるレスリングをしたいですね」
そして、史上初となる全階級金メダルの鍵を握るのが最重量級の鏡だ。

この階級は力自慢どうしががっぷりと組み合いじっくりと重さをかけ合う戦い方が特徴で、タックルを仕掛けるのも簡単ではない。あの浜口京子さんらですら、タックルを投げ返されたり、つぶされたりするなど、厳しい戦いを強いられてきた。

しかし、リスクを取ってでもタックルで頂点を狙おうとしているのが鏡選手だ。去年の世界選手権で、浜口さん以来20年ぶりとなる金メダルを獲得したときにも全ポイントの7割以上を、スピードあふれるタックルを起点に奪った。
76キロ級 鏡優翔選手
「タックルで勝つ人が少ない中で、タックルで勝つという今までにない挑戦というか、私にはタックルしかないし、タックルが武器なので、タックルで勝ちたいです」
俊敏で力が強い男子選手を相手に足元に飛び込むタックルの練習を何度も何度も重ねている。ハードな筋力トレーニングで体作りにも余念はない。

過酷な練習中に、自分を鼓舞することばには、鏡選手のこだわりがにじむ。

繰り返し繰り返し口にするのは「かわいい」。

誰もたどりつけなかった最重量級の金メダルという、厳しい道に挑む中でも苦しい表情は見せない。
76キロ級 鏡優翔選手
「女の子が道具を使わずに体だけで戦っている姿って本当にかっこいいと思うんです。世間一般では細い人がかわいいとか言われることが多いと思うんですけど、レスリングを頑張ってトレーニングをしてムキムキになってもそれは“かわいい”し、そういうかわいいもあるんだということを広めたいし、そうやって強くなりたいんです」

アップデートは止まらない

偉大な先輩たちも成し遂げることができなかった、史上初の全階級制覇へ。

“新時代”の6人はパリオリンピックに向かって最後の1秒までアップデートを続けている。
スポーツニュース部記者
持井俊哉
2014年入局
北九州局を経て20年から現所属
大相撲担当をした後、パラリンピックの競泳なども担当
剣道五段
スポーツ情報番組部ディレクター
齊藤耕平
2014年入局
沖縄局、おはよう日本を経て20年から現所属
他にはスピードスケートや大相撲を担当
社会番組部ディレクター
藤原拓也
2017年入局
長野局・ニュースウオッチ9を経て現所属
現在は主に『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』を制作
柔道黒帯