7人の男たちに売り買いされた女性の約束

7人の男たちに売り買いされた女性の約束
「いったい私たちが何をしたというのですか」

16歳の時、突然妹などとともに連れ去られ、7人の男たちの間で売り買いされ、繰り返し性暴力を受け続けた26歳の女性は私に訴えました。

10年前、彼女のように連れ去られた女性や子どもは、およそ6500人。
そしていまもおよそ2000人の行方が分かっていません。

地獄のような日々を生き抜いてきた女性や、彼女たちの帰還のため命をかける人。
10年がたっても人々は、奪われた生活を取り戻すため、闘い続けていました。

(ドバイ支局長 スレイマン・アーデル)

「私たちが何をしたのか」

「なによりも男たちの間で売り買いされるのが、屈辱でつらかった。
 いったい私たちが何をしたというのですか」
言葉に詰まりながらも、つらい過去を語ってくれたのは、イラク北部のドホークに暮らす、トゥラッヤさん 26歳です。

彼女は10年前、世界を震かんさせた過激派組織IS=イスラミックステートの被害者です。

世界を震かんさせた過激思想

シリア内戦の混乱などに乗じて勢力を一気に拡大したIS。

2014年6月には、イラク第2の都市モスルを掌握し、いわゆる”国家の樹立”を宣言しました。

シリアとイラクにまたがる広大な地域を支配下に置き、極端なイスラム教の解釈で、イラクやシリアで住民を次々と殺害。日本人2人を拘束して命を奪うなど、各地で残虐な行為を繰り返しました。。

迫害された少数派の“ヤジディ教徒”

その中でもISは特に、少数派のヤジディ教徒を迫害。

ヤジディ教は現在のイランで誕生したとされるゾロアスター教などの流れをくむ宗教で、主にイラク北部に住むクルド人の一部が信仰しています。

ISはヤジディ教徒を「悪魔を崇拝している」として迫害。1万人以上を殺害し、女性や子どもおよそ6500人を連れ去ったとされています。

ISは女性たちを“性奴隷”として売り買いの対象にし、凄惨な性暴力を加え続けました。

16歳だったヤジディ教徒の少女

ヤジディ教徒のトゥラッヤさんの町にも、2014年8月、ISが襲撃。父親や親族など多くの男性は集団で処刑され、母親は目の前で殺害されました。

ISは住民たちを選別し、“売れる”女性や少年だけを残し、それ以外の人はその場で殺害したのです。

そして、当時16歳だったトゥラッヤさんは、10歳の妹、9歳の弟とともに“売れる”と判断され、シリアに連れ去られました。
弟とはすぐに引き離され、女性たちおよそ80人は、農場にある倉庫のような場所に運ばれました。

その倉庫はいわゆるヤジディの女性たちを売買する、「市場」でした。ISの戦闘員たちは、その倉庫を訪れては、好みの少女を買っていったのです。

トゥラッヤさんと妹は恐怖に震えながら、選ばれないことを祈りました。しかし捕らわれてから18日後、1人の戦闘員が妹を選びました。
トゥラッヤさん
「妹と引き離された時は叫び追いかけましたが、どうしようもありませんでした」
その日から、妹の行方も、すでに引き離されていた弟の行方も分かっていません。

トゥラッヤさんは髪をボサボサにしたり、汚れを顔につけたりして、選ばれないように努めましたが、妹が連れて行かれた次の日には、1人のIS戦闘員に選ばれ、自宅へと連れて行かれました。

その日から、繰り返し性暴力を受ける地獄のような日々が始まったといいます。

そればかりか、トゥラッヤさんは3年以上にわたり、7人の戦闘員たちの間で何度も売り買いされ、そのつど凄惨な性暴力が繰り返されました。
トゥラッヤさん
「本当につらかったです。なぜこんな仕打ちを受けるのか分からなかった。もう耐えられないと何度も自殺を考えました」
繰り返される性暴力でトゥラッヤさんの精神はとうに限界を迎えていました。

出産という新たな試練

追い打ちをかけるように彼女を追い詰めたのが、妊娠の発覚と娘の出産です。

もともと子どもが好きだったトゥラッヤさんにとって、本来であればうれしかったはずの出産。

しかし、自分の家族を殺害したISの血を引く子どもを愛せるのか。複雑な感情の中、日々自問自答を繰り返したといいます。

それでも毎日娘と接するなかで、トゥラッヤさんの中では、確かに娘への愛情が芽生えていました。
トゥラッヤさん
「娘には母親として接していました。彼女も私の隣で寝て、私よりも先に起きてはキスをしてくれました」

ヤジディ教徒の厳しい掟

娘を愛する気持ちが大きくなればなるほど、トゥラッヤさんを苦しめたのがヤジディ教徒の掟です。

少数派であるヤジディ教徒は、自分たちの宗教や文化を守るため、異教徒との結婚や性交渉を厳しく禁止してきました。まして、ISはヤジディ教徒を虐殺した集団。

このまま娘を連れて帰っても、コミュニティーに受け入れられるどころか、ISの娘として迫害されるのではないか。

どうすれば、娘の安全と幸せを確保できるのか。

トゥラッヤさんは葛藤のすえ、知人の女性を介して、娘の父親であるサウジアラビア人の男に娘を託す決断をしました。

実際、娘はその後、父親の親族がいるサウジアラビアに無事渡ったと知人の女性から知らされました。

しかし娘を知人女性に引き渡すその日。1歳になったばかりの娘が初めて発した「ママ」ということばが、いまでも脳裏から離れないといいます。

「何日も眠れなかったです。本当につらい経験です」

逃れても忘れられないトラウマ

すべてを失ったトゥラッヤさん。

2017年11月、IS戦闘員の目を盗み、イラクの知人の助けでなんとか親族の元へ逃げ戻る事ができました。ISに連れ去られてから、3年以上の月日がたっていました。
無事イラクに戻ったトゥラッヤさん。

しかし、IS戦闘員とともに暮らしたトラウマ。愛する家族を失った喪失感。心に残った傷はいまも癒えていないといいます。

それでも殺害された両親や行方不明のきょうだいのためにも、前を向いて生きなくてはと、日々自分に言い聞かせています。
トゥラッヤさん
「こんな経験を抱えて、生きていくのはとても困難です。何が私を生き続けさせるのか、それはあの日見た父の涙、おじの涙、みんなの涙です。
父たちは『娘たちが無事なら死んでもかまわない』と泣きながら言ってくれました。それが私を強くさせているのです」

10年間闘い続ける男性

トゥラッヤさんのようにISに連れ去られ、行方が分かっていないヤジディ教徒は、いまもおよそ2000人いるとみられています。
こうした女性たちの救出に10年間携わっている男性が、ヤジディ教徒のアブドラ・シャリムさんです。

10年前、自らもISの迫害にあい、着の身着のまま逃れたシャリムさん。しかし、きょうだいや友人など多くの人はISに殺害され、めいや妹などがISに連れ去られました。

失望の中にいたシャリムさんですが、2か月後突然かかってきた1本の電話が、その後の人生を大きく変えることになりました。
その電話は、ISに連れ去られた当時14歳のめいからで、自分はいまISの戦闘員の監視のもと、シリアのラッカにいると伝えてきたのです。

めいを救出する覚悟

シャリムさんらが暮らしていたイラクの町ドホークから直線で260キロも離れたシリアのラッカ。

シャリムさんは、すぐさまめいの救出を計画。

シリアにいる知人たちの協力を得て、戦闘員が礼拝で出かけている隙をねらい、ひとりで自宅にいためいをイラクに連れ戻すことに成功しました。
シャリムさん
「めいは連れ去られた仲間を取り返せるという、私たちの”希望”となりました」

全員を連れ戻すことが私の使命

連れ去られた女性たちを自分たちの力で取り返せると確信したシャリムさん。

その後、シリア国内で協力者を増やし、パン屋やゴミ収集といった事業を展開します。従業員には多くの女性を採用。

その理由は、ISの戦闘員が「家族以外の女性と同じ空間にいることは“教義に反する”」と信じていたことでした。

協力者の女性たちは、パンの配達やゴミの収集などを口実にIS戦闘員たちの家を訪れます。戦闘員が家を出るのを確認してから、連れ去られた女性たちに接触し、イラクにいる親族に連絡をしていったのです。

シャリムさんはこの方法で次々に女性たちを救出し、この10年で400人以上を助け出しました。

ISからなんども殺害予告を受け取ったシャリムさん。しかし、最後の1人を連れ戻すまでやり遂げる覚悟です。
シャリムさん
「女性たちが無事に帰ってきて、家族と再会する時の感動は何にも代えがたい幸せです。私はこの救出活動を死ぬまで続けるつもりです」

関心の低下が一番の懸念

侵攻から10年。

今、最も求められているのがトゥラッヤさんのように、ISの悪夢を生き抜いた女性たちへのサポートです。しかしそれも国際社会の関心の低下で支援は年々先細っているといいます。

帰ってきた女性たちの心のケアなどに当たってきた医師は、傷ついた女性たちへの心のケアや仕事探しなど、これからも息の長い支援が欠かせないと訴えます。
ハサン医師
「ISの衰退で国際的な支援は減っているが、こうした支援は重要です。虐殺が二度と起こらないような国際的な保障も必要だと考えます」

取材後記

2018年のノーベル平和賞は、みずからもISによる性暴力を受けた経験を世界に訴えた、ヤジディ教徒のナディア・ムラドさんが受賞しました。

ナディアさんがISによる性暴力の実態を克明に記した著書のタイトルは、“Last Girl”、「最後の少女」。

「このような経験をする少女は、私で最後にしたい」という思いが込められていました。
ノーベル賞の授賞式でムラドさんは「同情ではなく行動を」と強く訴えていたのを覚えています。そして、国際社会もノーベル賞を授与することで、その勇敢な彼女に応えようとする気概のようなものも感じました。

しかし現場で取材をすると、ISの衰退とともに次第に国際社会の関心が減っていることや、いまだ女性たちが深い心の傷を負ったまま生活していることは明らかでした。

今回イラクで私たちの取材に応じてくれたトゥラッヤさんも、過去のつらい経験を語ってくれましたが、その際何度も言葉に詰まり、涙しながらも詳細にその経験を語ってくれました。

取材中、何度も「つらければ、答えなくてもいいです」と言いましたが、その都度「二度と同じ事が起きないため、風化させないためにも話したい」と語るトゥラッヤさんの姿を覚えています。

さらに彼女は、日本の少女たちに対し、「あなたたちは強い。なにがあっても決して屈してはいけない。必ず乗り越えられるから」というメッセージをくれました。

トゥラッヤさんのような性被害に苦しむ人を減らすため、その加害者である、過激思想に流される若者を増やさないため、私に何ができるのか。今後も自問自答しながら取材を続けたいと感じました。

(2024年6月29日 おはよう日本などで放送)
ドバイ支局長
スレイマン・アーデル
2015年入局 神戸局 カイロ支局を経て2023年より現所属
中東・アフリカ諸国の取材を担当