池袋暴走死亡事故 遺族と加害者が向き合った40分

池袋暴走死亡事故 遺族と加害者が向き合った40分
最愛の家族との幸せな日々が奪われた。
事故を起こしたその相手が目の前にいる。

「冷静に。怒らない。面会の目的を見失わない」

自分を落ち着かせるためにとメモのいちばん目立つ場所にそう書き留め、面会室に入りました。

東京・池袋で起きた暴走事故で妻と娘を亡くした松永拓也さん。義理の父親とともに、加害者である高齢の受刑者と対面しました。

ことばを交わした40分。深い葛藤のなか、それでも加害者と向きあう決意をした遺族の心の軌跡を追いました。

(社会部 田畑佑典記者 / 沖縄放送局 上地依理子記者)
池袋暴走死亡事故
2019年4月19日午後0時23分ごろ、東京・豊島区東池袋で当時87歳のドライバーが運転する乗用車が暴走し、横断歩道を自転車で渡っていた松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(当時3歳)が死亡したほか9人が重軽傷を負った。
この年の免許返納件数が過去最多となるなど高齢ドライバー問題が改めて注目されるきっかけの1つとなった。

2年8か月ぶりの対面

飯塚幸三受刑者(93)は、刑務官に車いすを押されながら面会室に入ってきました。

刑事裁判の判決から2年と8か月あまり。

その姿は、松永拓也さんと義理の父親の上原義教さんが想像していた以上に衰えていました。

松永さんは、事前に準備していたメモを手に、質問を始めました。

しかし、高齢の受刑者はことばを発するのが難しい様子でした。

問いかけてから3、4分たっても答えは返ってきませんでした。

隣に座った上原さんは、困惑した表情で受刑者を見つめていました。

十分なやりとりができないことに、松永さんも戸惑いを感じたといいます。

「面会を受け入れた受刑者の覚悟をむだにしない」

“はい”か“いいえ”で答えられるような質問に切り替えると、ようやく答えが戻ってくるようになりました。

遺族と加害者の40分間の対話が始まりました。

面会のきっかけは

面会の2か月前、松永さんは受刑者が収容されている刑務所を初めて訪れました。

去年12月に始まった心情等伝達制度を利用するためです。
心情等伝達制度
刑務官などを通じて被害者や遺族の心情などを加害者に伝える制度。被害者側が希望すれば、心情を伝えられた際の加害者の様子や発言を知ることができる。
「あなたの経験や苦悩をむだにしたくない。人と人として向き合い、ちゃんと話がしたい」

受刑者に対する気持ちを、刑務官に伝えたといいます。

3年にわたる刑事と民事の裁判が終わり、松永さんの闘いはひとつの区切りを迎えていました。

松永さんはこの事故を1つの事故として終わらせてはいけない、今後の社会に役立てるヒントを見つけなくてはいけない、と以前から考えていました。

「受刑者と直接会って話がしたい」

刑務官にそう伝えた一方で複雑な思いも持ち合わせていたといいます。
松永拓也さん
「真菜と莉子の命をむだにしないためには再発防止が一番大切で、そのために加害者と話したいというのは本音で思っていたのですが、やっぱり彼に対する悪い感情はどうしても拭えません。『一番大事な目的のために自分の感情は押さえ込まなければ』『ちゃんと割り切らなければ』というせめぎ合いが心の中であって、複雑な感情でした」
後日、刑務所から伝達の結果を伝える文書が松永さんのもとに届きました。

そこには受刑者が面会を受け入れる意向を示したことが記されていました。

受刑者から届いた手紙

松永さんが受刑者との面会への思いを強めた理由は、もう1つありました。

受刑者から届いた便せん2枚の手紙です。
「ただただお詫びの言葉を繰り返すばかりです」

そこには謝罪とともに、一貫して無罪を主張した裁判とは異なる贖罪の思いが綴られていました。

受刑者は「車に何らかの異常があったと考えられる」として、裁判で無罪を主張。裁判所は「ブレーキとの踏み間違いに気付かないまま、アクセルを最大限踏み続けた」と判断し、禁錮5年の実刑判決が確定しました。
手紙には、事故の原因については、踏み間違いの記憶がなかったため裁判で無罪主張をしたこと。

提出された証拠や判決文を読み、自身の勘違いで車が暴走してしまったと理解していることが記されていました。

目が悪くなり、手の自由もきかなくなる中で、おわびが伝えられなくなってしまうことをおそれ、いま手紙を書き記すことにしたと、書き添えられていました。
末尾の日付をみると、刑事裁判が終わって1年ほどたった時期に書かれたもののようでした。

最後は「もっと早くに車の運転を止めていれば今回の事故を起こさないで済んだと思いますので、運転を続けていたことについては今も後悔し反省しております。本当に申し訳ございませんでした」と結ばれていました。
松永拓也さん
「裁判での彼の無罪主張は、遺族全員を絶望させました。でも、すでに判決は出ていて手紙を書く必要もないのに、書けるうちにしたためたいということばは本当だと思いました。誠意をすごく感じたし、面会したいと、より強く思うようになりました」

手紙をきっかけに面会を決意 でも…

松永さんが面会への思いを強める一方、沖縄に住む真菜さんの父親の上原義教さんは、面会に後ろ向きな思いでいました。
娘と孫を同時に失った悲しみ。

事故を起こした受刑者への憎しみは、月日がたっても薄らぐことはありませんでした。

上原さんは事故の前にも、自身の妻と真菜さんの姉にあたる娘を病気で亡くしていました。

家族を亡くし、ただただつらい日々を過ごしていたといいます。
上原義教さん
「最初のころは憎しみばかりでした。彼を許せないという思いはずっと持ち続けていました。そういう気持ちで日々を過ごしていくというのは本当につらかったです」
松永さんもそんな上原さんを気遣い、事故から5年の命日であることしの4月19日までは受刑者から届いた、あの手紙を見せずにいました。

上原さんが手紙を受け取ったのは命日から数日後でした。
上原義教さん
「最初は読んでもつらいだけでしたが、『自分が悪かった、すみませんでした』と、ちゃんとした文章で書かれていて、彼もようやく反省したんだと思い、私も少し会ってみたいという気持ちになりました。手紙をもらっていなかったら会っていなかったと思います」
上原さんも受刑者と対面する決意を固めました。

しかし、面会当日まで眠れない日々が続きました。

最後の最後まで、自問自答を繰り返したといいます。

「会っていいものだろうか。会わなくてもいいんじゃないか」

迎えた面会の日

刑務所の敷地に足を踏み入れると、複雑な感情がこみ上げてきました。

受刑者に会ったところで、最愛の家族は戻ってこない。

かえって憎しみが募るだけかもしれない。

ただ、事故をなくす目的のためには会わなくてはいけない。
松永さんが面会で手元に置いていたメモです。

冒頭にはみずからの気持ちを落ち着かせるためのことばが記されていました。

それを自分に言い聞かせるようにして、面会室に入りました。

松永さんは、ことばに詰まる受刑者の気持ちを確かめながら、丁寧に、二者択一の質問を投げかけていきました。

「病院に行ける支援サービスが国や行政にあればよかったと思いますか?」
「運転免許返納後の高齢者の方々を支援してあげてほしいですか?」

受刑者はいずれも「はい」と返しました。

40分間の面会は、こうした短いやりとりで進みました。

その中で、受刑者が自分のことばで、はっきりと口にしたことがありました。
「免許を早めに返すよう世の中に伝えてください」
世の中の高齢者やその家族に伝えたいこととして、免許返納の必要性を語ったのです。
松永拓也さん
「1つだけ明確にご自身のことばでしゃべりました。私は免許返納だけが高齢ドライバー問題の本質だとは思いません。高齢者や家族の決断だけに頼るような社会にするのではなく、国や自治体が返納したあとのサービスを充実してほしいです。ただ彼のことばはしっかりと世の中に伝えようと思いました。彼が勇気を出して伝えてくれたことを私はむだにしたくないです」
最後まで面会を悩んでいた上原さんは、受刑者とのやり取りをほとんど松永さんに任せていました。

それでも、面会の終盤にこれだけは伝えたいと声を振り絞りました。
「真菜と莉子のことを忘れないでください」
「はい」
受刑者の様子や松永さんとのやり取りを見ているうちに、上原さんは自然と次のことばを口にしていました。
「もうしばらくしたら刑務所から出られると思います。刑務所を出たら家族と過ごしてください、安らかに過ごしてください」

面会を終えて

受刑者の反省の気持ちを確かめたいと面会に臨んだ上原さん。
面会を終えた翌月、今どのような気持ちなのか話を聞きに行きました。

これまで見せたことのない穏やかな表情で振り返り、以前よりも少しだけ前を向けるようになったと話してくれました。
上原義教さん
「面会して初めて『会ってよかった』と思いました。彼が反省して手紙もくれていたので、彼もつらい思いをしただろうというのはよくわかっていました。100%許したかと聞かれたら許せたという自信はないですが、会って話ができて、気持ちの整理が少しできたかなって」
“出所したら家族と安らかに過ごしてほしい”ということばが、どうして出てきたのか。上原さんはこう答えました。
上原義教さん
「自然に出てきて自分でも驚きましたし、タク(松永さん)も横で聞いていて驚いていました。なんで言えたかというと、自分でもなんとも言えません。話をしたくて話をしたわけではなくて、これまでの何年間かの積み重ねでたぶん出てきたことばだと思います。向こうの家族の人も大変だったと思うんですよね、いろいろなバッシングも受けて。刑務所での彼の姿を見たり、ひとつひとつしぐさを見たりいろいろなことをしているうちに、高齢だし出所して家族と過ごしていいんじゃないかと思ったんですよね」
松永さんは、受刑者にことばをかけた上原さんに、自分よりも人のことをいつも気遣っていた妻の真菜さんを重ねていました。
松永拓也さん
「すごいなって。あれだけ苦しんだのに加害者に対してそう言えるお義父さんの力、心の強さはすごいなって。やっぱり真菜のお父さんなんだなと。ああいうお父さんだからこそ真菜がああいう人間になったんだろうなと感じました」

加害者と対話する意味は

再発防止のため、社会のためと走り続ける松永さん。

その原動力となっているのは真菜さんの存在だといいます。

「僕が妻の影響を大きく受けているから。真菜の生きざまが私の道しるべとなっているから」とかみしめるように語ってくれました。
人とのつながりを大事にし、友達も多かった真菜さん。

上原さんと同じく家族との死別を経験しながらも、松永さんや周囲に対して愛ある優しい言葉を欠かさない人だったといいます。

松永さんはそんな妻を1人の人間として尊敬しているからこそ、身近な人や社会に向けて優しくありたいと話しました。
松永拓也さん
「彼女が生きていたころを思い出して、彼女ならどうするかなといつも考えるんです。だから彼女だったら飯塚さんにどういうことばを言うかなって考えたんですよ。もちろん悔しかったと思うし、もっと生きたかったと思うし、せめて莉子は生きててほしかったと言うかもしれません。ただ彼女だったら、自分と同じような思いをほかの人にしてほしくないから、『あなたの後悔を世の中に向けて伝えてくれませんか』って言う気がするんです。だから面会は彼女の意思でもあると勝手に思っています」
加害者と対話する意味とは。松永さんと上原さんに尋ねました。
上原義教さん
「とても勇気がいることで、自分も本当に苦しくて会いたくないと思い続けていました。でも会ったことで自分が思っていた以上に心が平穏になりました。完全に許したのとか質問されると、許したという自信はないし、心の葛藤は今でもあります。面会した夜は真菜と莉子はどう思うだろうと、そればかり考えましたが、真菜は『お父さんもういいんじゃない、大変だったね』って語っているような気がして。悲しみや苦しみはずっとこれからもあると思うけれど、面会して話をしたことで一区切りというか、ちょっと今までとは違う気持ち、前を向けるようになりました」
松永拓也さん
「遺族や被害者が何に重きを置くかは1人1人違って正解も不正解もないと思います。正直、彼と出会わない人生が真菜と莉子にとっても、私にとっても、お義父さんにとってもよかったと思います。ただ、時は戻せないし、命も戻せません。そのなかで対話したかったし、対話ができてよかったと思います。対話によって未来は少し変えられるかもしれないから」

取材後記

今月10日、松永さんは刑務官などを対象にした研修で講師を務めました。研修は心情等伝達制度が始まったことを受けて行われ、制度を利用した遺族として感想などを語りました。制度は被害者の心の回復や加害者の立ち直りが目的で、法務省によりますと、去年12月に制度が始まってから半年で42件の伝達が行われたということです。

研修で松永さんは「受刑者の心情を知ることができ、面会で直接話せたことは、自分にとってはよかった」と話しました。

一方で、制度の課題として「自分にとっては心の回復につながったが、被害者によっては加害者が反省していないと受け止めることもあるかもしれない。加害者の更生がかなわないことを知る機会になる可能性もある」と指摘し、被害者支援センターと連携するなど利用後の心のケアの必要性を提言しました。

加害者は刑期を終えたあとには社会に復帰します。しかし、被害者や遺族にとって事件事故の前の日常が戻ることはありません。今回の取材を通じ、強い覚悟を持って加害者と向き合った被害者が、さらに傷つかないために何が必要か、考え続けることが大切だと感じました。
(7月12日 おはよう日本で放送)
社会部記者
田畑佑典
2012年入局
発生時からこの事故を一貫して取材
事件・事故の被害者支援も取材
沖縄放送局 記者
上地依理子
2021年入局
入局以来この事故を取材
戦争や平和問題も担当