「1分、1秒が宝物」あの日で時間が止まってほしかった

「1分、1秒が宝物」あの日で時間が止まってほしかった
昨日は、久々に仕事に行ってきました。

そして、自宅に帰ってきたら誰もいない家で涙が止まらなくなりました。

写真も選ぶことができなくて、投稿をさぼりました。今日はなんとか投稿します。

時間がたってもなんにも変わらない。だんだんきつくなってきたな。

飲めない酒飲んで明日に備えよう。みんな大好きだよ。

あの日、奪われた家族

上の文章は、大間圭介さん(42)のSNS(インスタグラム)の投稿です。

大間さんは、妻・はる香さん(38)と、長女の優香さん(11)、長男の泰介くん(9)、次男の湊介くん(3)を元日の地震で亡くしました。

金沢市の自宅から、珠洲市のはる香さんの実家に帰省中の被災でした。
警察官の大間さんは、最初の揺れのあと勤務先の珠洲警察署に向かうため、家を出て駐車場で車を出そうとしていました。

その時起きた、2度目の長く激しい揺れで家の裏手から大規模な土砂崩れが発生。中にいた家族が巻き込まれたのです。

直前まで一緒にいた家族との、突然の別れでした。

家族への思いをつづる

4人を失い、1人になった大間さん。家族への思いを、SNSで発信するようになりました。

1月の投稿では、妻のはる香さんについてつづっていました。

〈1月24日〉
今日は、妻の夢を見た。横向いて泣いていた。
僕はそっと頬に手を触れて目が覚めた。
いなくなって寂しいという涙ではないことはわかった。
夢だったけど会えて嬉しかった。この前は長女も夢に出てきた。
あとは、長男と次男。夜を迎えることは辛いけど、毎日夢を見れるなら悪くないかなって感じた。
妻や子どもたちを知る人たちに、1人1人を忘れないでいてほしい。

そんな願いから、思い出を抱きしめるように、家族に語りかけるようにメッセージをつづっています。

〈1月26日〉
長男です。なんでも作ることが大好きで将来は建物の設計をしたいと言っていました。
甘えん坊なところもあって、寝るときは「ぎゅーってして」って言っていつも甘えていました。
初めての男の子だったので、産まれてきたときは本当に嬉しかったよ。
〈2月1日〉
今日は、2月1日の月命日です。
妻の友達が持ってきてくれたケーキをお供えしたり、優香の友達が持ってきてくれたろうそくや線香をたいてお参りしました。
あっという間に1か月がたちました。それでも一日一日が本当に長いような気がします。
妻と子どもたちには感謝しかありません。最後は一緒にいれなくてごめんね。助けてあげられなくてごめんね。もう一度だけでいいからみんなに会いたいよ。
<2月7日>
優香は浴衣がよく似合っていました。以前、浴衣を着て踊った動画が今でもYouTubeに残っています。
よかったらみなさん見てあげてください。めっちゃ踊り上手なんですよ。親ばかですよね。これからも僕は親ばかのままです。
〈2月15日〉
湊介が産まれて、家族みんな本当にうれしかったよ。
はる香が産気づいて、早朝に病院に送り届けてすぐに産まれた。出発するときに優香も泰介も起きて、「がんばってきてね」ってはる香を応援していたな。外に出たら流れ星がヒューって流れて、はる香と「きっと、生まれてくる子はなんかもってるよ」と話していたな。
特別じゃなくていい、普通でいいからずっと一緒にいたかった。
〈2月17日〉
今日は、家族の四十九日法要でした。仏事としては一区切りになるのでしょうが、まだ本当に起こったことだということが信じられず、夢の中にいるようです。久々に遺骨を持って外出するのが辛かったな。
夜は、はる香の好きだった鍋を作って食べました。みんなのいないテーブルで写真に話しかけて食べるご飯ってこんなにも辛いんだなって感じました。

「今日はなんとか投稿します」

四十九日の法要を終えたあと、大間さんは警察官の仕事に復帰しました。
金沢市の自宅には、遺影とともに、妻や子どもたちからもらった手紙や写真が部屋の中に飾られています。

「おはよう」
「行ってくるね」
「ただいま」
「おやすみ」


大間さんは写真の中の4人に、声をかけるのが日課になりました。

「きょうも1日生かしてくれてありがとう」

家に帰ると必ずそう感謝を伝え、その日あった事を報告するようになりました。
地震のあと、大間さんは家で過ごすことが増えました。

家族連れでにぎわう場所や、妻や子どもたちとよく行った場所に近づくとどうしてもつらくなってしまうため、足が向かなくなりました。お酒を飲まないと寝つけない夜もあります。

〈2月20日〉
昨日は、久々に仕事に行ってきました。そして、自宅に帰ってきたら誰もいない家で涙が止まらなくなりました。
写真も選ぶことができなくて、投稿をさぼりました。今日はなんとか投稿します。
時間がたってもなんにも変わらない。だんだんきつくなってきたな。飲めない酒飲んで明日に備えよう。
みんな大好きだよ。
〈2月21日〉
6年前の年末、大好きなはる香の実家 毎年毎年帰るのを楽しみにしていた。
大きいじいちゃん、ばあちゃん、小さいじいちゃん、ばあちゃんと過ごすのが何よりの楽しみだった。
毎年成長していく子供たちとはる香と一緒に帰るのが何よりの楽しみだった。
この間の年末は幸せすぎてもう何もいらないって思えるくらい幸せだったのに。あの日で時間が止まってほしかった。
〈2月26日〉
近くの公園によく遊びに行ったな。湊介は公園で遊ぶのが大好きだったし、優香も泰介も小さい頃から大好きだった。いっぱいいっぱい遊んだ。
いまは近くを通るだけで思い出して辛くなる。
毎日写真を見てるのがやっぱり辛くて。投稿もとびとびになるかもしれません。夜は気持ちを保つのがいっぱいいっぱいになることがあるので、気長に見ていただけたらと思います。

1人1人に「ありがとう」

その後、3月は長男の泰介くん、4月にははる香さんと長女の優香さんの誕生日、はる香さんとの結婚記念日もありました。

家族と一緒に祝うはずだったイベントの日は、これからもできるだけ同じようにしてあげたい。

大間さんはお祝いをして、家族1人1人にメッセージを送ってきました。

<3月17日>
3月17日。今日は泰介の10歳の誕生日でした!
大好きだった焼き肉屋さんに行って、泰介の好物だったこりこりなどを食べて、自宅に帰ってきてからケーキでお祝いしました。
みんないたらもっと楽しかったのに。一人でバースデーソングを歌ったら涙が止まりませんでした。
これからもずっとお祝いしような!誕生日おめでとう泰介。
<4月26日>
今日は優香の12歳の誕生日。
東京の有名なケーキ屋さんが優香のためにケーキを作ってくれました。友達もたくさんお手紙やプレゼントを届けてくれました。優香、うれしいね。お父さんがみんなにありがとうを伝えておいたからね。優香の好きだったお寿司食べようね。
<4月29日>
今日は、13回目の結婚記念日です。あっという間だったね。一番の理解者は、はる香以外にいないだろうな。これからもずっと一緒にいられると思ってた。はる香がいなくて寂しいよ。
今まで本当にありがとう。これからもずっとよろしくね。

これからも、一緒に生きていく

一緒に行った場所や一緒に見たもの。生活のなかには家族との思い出があふれています。

ただ、楽しく幸せだった記憶ほど思い返すとつらくなり、悲しみに襲われ胸が張り裂けそうになります。

大間さんは写真や動画を見返すことができず、投稿ができなくなったことも何度もありました。
大間圭介さん
「自分の中では家族との楽しかった思い出とか、いい思い出ばかりが残っているので、そういう思い出がよみがえってくるというか、そうすると自分の心の中がまた沈み込んでしまうというのがあって、そういうことを極力自分のなかから遠ざけることはあります」
それでも大間さんは、SNSでの発信を続けようとしています。

家族と過ごしたかけがえのない日々を伝えていくことで、これからも妻と子供たちと一緒に生きていきたいと考えているからです。
「当然生きているときから家族は大切な存在だったんですけど、いなくなってこんなに自分自身の人生がつらいものだということがわかって、いま1人になって思うのは、本当に家族との時間というのは、1分、1秒が『宝物』だったということです」
大間さんのSNSのフォロワーは増え、家族と関わりのあった多くの人たちに写真やメッセージを見てもらえるようになりました。

寄せられる温かいコメントの数々が、大間さんの支えになっています。

そして大間さんもフォロワーに向けて、今、目の前にある何気ない日常の幸せに気づき、感謝して過ごしていくことの大切さを伝えています。
僕の宝物の子どもたちです。理由はいりません。とにかく宝物でした。もっとこうしてあげたかった、こうしてあげればよかったなどと後悔ばかりが頭に浮かびます。
当たり前のことを特別に感じることって普段なかなかできませんが、みなさんの何気ない今が間違いなく特別な瞬間なのだと思います。家族、友人、職場の方などにぜひ感謝を伝えてあげてください!

「次はお父さんの番」

今回の取材の最後、「今、ご家族に伝えたいことや、見ていてほしいことはありますか」と尋ねると、大間さんはこう答えてくれました。
「生前子どもたちには『やればできるよ』という話をよくしていたので、私としても言ってるだけではなくて自分自身も挑戦しないといけないという思いがあって。去年は本当に長女も長男も目標を決めて頑張って成し遂げたというのがあるので、次はお父さんの番だなっていうところで諦めんと頑張るし、応援しとってなと伝えたいと思います」
取材のあと、あの日から半年がたった7月1日の投稿です。

〈7月1日〉
今日は、地震から半年の月命日です。昨日から新聞、テレビで取り上げていただきました。半年が経ってもまだまだ辛い気持ちは変わりませんが、これからも家族のことを知ってもらえたらと思って色々やっていきたいと思います。思いを寄せてくださるたくさんの方々に感謝しかありません。本当にありがとうございます。
(7月1日 「ニュースウォッチ9」で放送)
金沢放送局 記者 
山崎里菜
2022年入局
名古屋放送局を経て現職
能登半島地震の被災地や遺族の取材を続ける