ドクターイエロー 愛されてきた理由 そして引退の背景は

ドクターイエロー 愛されてきた理由 そして引退の背景は
先月引退が発表された「ドクターイエロー」。そのニュースは、鉄道ファンのみならず多くの人たちの関心を集めました。

なぜ、これほどまでに人をひきつけてきたのか。理由や引退の背景をひもときながら、もう一度、その魅力に迫ります。

(大阪局 吉田幸史記者・大津局 光成壮記者・経済部 米田亘記者)

「新幹線のお医者さん」

引退が発表されたドクターイエローは、現在、JR東海とJR西日本が1編成ずつ保有し、東海道・山陽新幹線の東京・博多間、およそ1100キロを2日間かけて往復しています。

JR東海が保有する車両は来年(2025年)1月に、JR西日本が保有する車両は2027年をめどに引退することが発表されました。

走行中は、センサーなどでレールのゆがみや架線の摩耗などの状況を測定しているほか、走行時の揺れや衝撃を記録し、保線作業などを行うための基礎データを集めています。
「新幹線のお医者さん」の歴史は、新幹線と重なるように紡がれてきました。「初代」が運行を始めたのは、東海道新幹線が開業した1964年。夜間でも目立ちやすいよう、当時から車体は黄色でした。
その後、新幹線のダイヤに影響が出ないようさらなる高速化が必要となり、1974年に投入された「2代目」には、日本で最初の新幹線「0系」(ゼロ)をベースにした車両が使われ、当時の営業車両と同じ210キロで走行しながら検査することができるようになりました。今回、引退が発表されたのは、「700系」をベースにした4代目と5代目です。

“引退”発表に惜しむ声相次ぐ

6月13日の朝、ドクターイエローの引退のニュースが報じられると、SNSでは、引退を惜しむ声や、引退までに見たいという声が相次いで投稿されました。
「今までお疲れ様でした」

「うちの子も大好きです。初めて覚えた電車の名前かも」
列車の引退発表やラストランの際に、鉄道ファンの間で大きな盛り上がりを見せることはよくあること。

ただ、検査専用車両で、乗客として利用はできないにもかからず、今回は幼い子どもや、その親からも惜しむ声が聞かれました。

時刻表が公表されておらず、“レア”感があることや、「お医者さん」としての役割が愛される理由かもしれません。

引退を予想する声もある中、JRは…

一方、鉄道ファンの間では、「ついにこの時が…」という投稿も見られました。

実際、ドクターイエローをめぐっては、専門メディアで引退時期を予測する記事が出されたこともありました。理由は、車両の老朽化。そして後述する新技術の登場です。

現在の車両は、JR東海が2001年に、JR西日本の車両は2005年に投入したもので、耐用年数のような明確な期限があるわけではないといいますが、後継問題を検討せざるを得ない時期にさしかかっていました。

引退の発表時期などは、反響の大きさを見越して、JR東海やJR西日本の間で厳重に管理されてきたといいます。
6月上旬、引退の発表が近く予定されていることを聞いた私は取材を始めましたが、想定を超えるJR関係者の反応に驚きました。

ふだん取材を受けてくれる人でも「それだけは、あるかないかも含めて、絶対に言えません」と口を閉ざすほどでした。

その後も取材を進めると、舞台裏も見えてきました。
車体の導入時期の違いで、先に引退の時期が訪れるのはJR東海所有の車両。

このため、当初、JR東海は単独での引退を発表する方向で調整が進められていました。

ただ、JR東海の車両が引退すると、残るのはJR西日本所有のものだけになります。
メディアや鉄道ファンなどから「西日本のドクターイエローはいつ引退するのか」という問い合わせが殺到することを察したJR西日本も同じタイミングで発表することになったのです。

引退公表の翌日はドクターイエローが東京から博多に運行するタイミング。コアな鉄道ファンから「子鉄」にまでファンが多い特別な列車だからこそ、両社の内部で調整が重ねられてきたことを感じさせました。

亡き友人と撮影した”奇跡の1枚”

多くの人をひきつけてきたドクターイエロー。「撮影を通じて得たつながりは、私の宝物です」。そう話すのは、滋賀県東近江市の写真愛好家、西村勲さんです。

西村さんが撮影を始めたのは、18年ほど前。もともと電車や新幹線に強い興味があったわけではありませんでしたが、ふと思い立ってドクターイエローを撮影しに行った西村さんは、撮影が成功したときの高揚感にはまり、以来、撮影してきた写真は2000枚以上にのぼります。
その中でも、西村さんが「宝物」だというのが、2017年に撮影した写真です。

ドクターイエローと東海道新幹線、それに地元を走る近江鉄道の車両がちょうどすれ違う瞬間が写っています。写真仲間の親子2人と一緒に撮影しました。

親子のうち父親とは、長年、地域の祭りや風景を一緒に撮影していた仲で、撮影もたびたび共にしていました。その姿に興味を持った息子も、撮影に付いてくるようになったということです。

どこで撮影するかを相談するなかで「3つの車両がすれ違う瞬間があるかもしれない」と話題にあがり、このポイント(※甲良町)で撮影することを決めたのでした。

何度も挑戦して撮影に成功したときには、拳を振り上げたり、飛び上がったり、3人で喜びを爆発させたといいます。その友人親子は、撮影の翌年(2018年)に父親が亡くなり、息子もことし亡くなってしまったため、西村さんにとってかけがえのない写真になりました。

幸せ 多くの人に

いつ走行するか公表されていないドクターイエローを確実に撮影したいと考えた西村さんは、2016年ごろから独自の時刻表を作り始めました。

まず、西村さんは県内各地でドクターイエローが走った日にちや時刻を、現地に行ったり、インターネットやSNSの目撃情報などで確認したりして記録していったのです。

JRの時刻表が改正されるたびに、その記録から計算して独自の時刻表も改正しています。当初は予測が外れることもありましたが、今ではほぼ確実に予測できているといいます。
独自の時刻表は、近所の幼稚園や公民館など10か所以上で配布していて、新幹線の線路が見えるこども園の子どもたちも時刻表に沿ってドクターイエローが見られる日を楽しみにしています。

車両の老朽化などで、引退は近いのではないかと感じていた西村さんですが、発表を聞き、残念に思っています。

滋賀県北部では、毎年、冬に雪が積もるので、西村さんは「白い雪原の中を真っ黄色な列車が走り抜ける最後の姿を撮りたい」と笑顔で話していました。

引退後 検査どうなる?

長年、安全運行に貢献してきたドクターイエローの引退後、線路の安全をどう確保するのか?JR東海は引退発表の翌日、今後の検査体制を明らかにしました。

ドクターイエローが行ってきたレールのゆがみやパンタグラフの挙動で異常を検知する検査は「のぞみ」や「ひかり」などとして運行されている「N700S」と呼ばれる車両が担います。
車両に専用の機器を取り付け、乗客を乗せて営業運行をしながらデータを収集します。

これまでのような検査専用の車両ではありませんが、従来と同様の検査が可能だということで、新たな車両は2026年度以降、4編成導入し、2027年以降、新たな検査体制に切り替える方針です。

ドクターイエローが行っていた検査は、ただ引き継がれるだけではありません。ドクターイエローの運行は10日に1回程度でしたが、営業用の車両を使うことで、より頻繁に検査を行うことができます。
また、上部にカメラを新たに搭載することで、架線の金具の破損なども自動で検知できるほか、車両の下の部分に取り付けたセンサーなどでレールやボルトの状態も詳細に把握できるようになります。

こうした項目はこれまでドクターイエローでは検査しておらず、人が目視で行ってきました。新たな技術の導入で安全性を高めながら省力化も図る考えです。

取材後記

ドクターイエロー引退へ。記事を書いたときに想像していたものよりはるかに大きい反響が私(吉田)のもとに寄せられました。

同僚の記者から「大ファンの息子に引退をどう説明したらいいのか」と相談されることもありました。

実は私自身、ドクターイエローを見たのは今回の取材が初めてでした。

引退公表の翌日、新大阪駅のホームに列車が滑り込んで来ると、一斉にカメラが向けられ、子どもたちの大きな歓声が聞こえました。「いいことがあるかも」とうれしそうに話す人たちの笑顔も印象的でした。
ドクターイエローの引退というニュース自体は、ファンにとっては寂しいものですが、JR東海は自社で保有する車両が引退する来年1月までの間、体験乗車イベントなどを企画するそうです。

そして来年1月以降は、JR西日本の車両だけとなり、ドクターイエローはより貴重な存在になります。

引退までの残された時間で会えたときは、これまで以上に“幸福感”に浸れるかも知れません。
大阪放送局記者
吉田 幸史
2016年入局
メーカーや鉄道業界を担当
大津放送局 記者
光成 壮
2017年入局
盛岡局を経て現所属
滋賀県内の経済など幅広く取材しています
経済部記者
米田亘
2016年入局
札幌局、釧路局、新潟局を経て現所属
国土交通省を担当