八冠独占を終わらせた男 将棋界の新星・伊藤匠叡王

八冠独占を終わらせた男 将棋界の新星・伊藤匠叡王
「藤井さんがいなかったらタイトルは取れなかったと思う」

初めての戴冠を果たした直後の会見で、藤井への思いを何度も口にした新叡王・伊藤匠。

同い年なのに、プロ入りも、初タイトルも先を越された。
「雲の上の人」と憧れながらも「ふがいない」と悔しさを抱いていた。
11連敗しても、藤井に追いつくことをあきらめなかった。

“藤井一強時代”といわれる将棋界に、新たなヒーローが誕生しようとしている。
(科学文化部記者 堀川雄太郎)

新叡王・伊藤匠が語った

2024年6月20日、叡王戦最終局。その時はついに訪れた。
中学2年生で鮮烈なデビューを果たしたのち、わずか7年で史上初の八大タイトル独占という将棋界の頂点に駆け上った藤井聡太。

圧倒的な強さで、これまで戦ってきたタイトル戦すべてを制してきた藤井から、初めてタイトルを奪ったのは、同い年の伊藤匠だった。

将棋界の歴史を動かした戦いから1週間。伊藤新「叡王」が、NHKのインタビューに応じた。
伊藤匠叡王
「ずっとタイトルを目指して十何年もやっていたところもあり、いろいろな方にお祝いしていただくことも多くて、うれしさが少しずつこみ上げています。将棋界全体として藤井八冠相手にほかの棋士がどう戦っていくかというところが焦点になっていたと思うので、今回結果を出せたことはうれしく思っています」
言葉を選びつつ、素直に喜びを表した伊藤叡王。

藤井に続く期待の新星として注目されていた伊藤のタイトル奪取は、将棋界のだれもが期待していたことではあった。

しかし、タイトル奪取までの道に立ちはだかっていたのは、藤井だった。

“3度目の正直”で…

去年、八冠を独占した直後の藤井に「竜王戦」でタイトルに初挑戦したものの4連敗でストレート負け。

さらにことし2月に開幕した「棋王戦」でも挑戦権を獲得して藤井と対戦したが、第1局の持将棋による引き分けのあとは3連敗だった。

ほかの対局を含めると、公式戦で11連敗を喫し、苦杯をなめ続けた伊藤。

藤井との対局後、感想戦で圧倒的な読みを披露されてダメージを受ける棋士も多いという。

伊藤はどうだったのだろうか。
伊藤匠叡王
「やっぱり実力差はけっこうはっきりしていたところなので、それほどダメージというのも多くはなかったのかなと思います。やっぱりタイトル戦ですと多くの方に見てもらう舞台なので、おもしろい将棋を指さないといけないなと思っていました」
伊藤の心は折れなかった。

4月に開幕した「叡王戦」五番勝負。

開幕局は落としたものの、第2局で藤井からタイトル戦での初勝利をあげて連敗を止めると、第3局でも逆転勝ちで連勝し、藤井を角番に追い込んだ。藤井がタイトル戦で先に角番に追い込まれるのは、初めてのことだった。

これまでのタイトル戦では、タイトルを獲得しようという思いが強かったと振り返る伊藤。今回の叡王戦では気持ちを変えて臨んでいたという。
伊藤匠叡王
「このまま1つも勝てないということも考えられるわけで、(第2局に勝って)まずはほっとしたという気持ちが強かったです。今まで結果だけでなく内容でもそれほど熱戦にできていなかったので、(叡王戦は)まずはいい内容の将棋を目指してというふうに少しハードルを下げて考えていました」
第4局では藤井に敗れたものの、勝負は最終局にもつれ込んだ。

序盤、中盤とAIの形勢を示す評価値は藤井が優勢を示していたが、伊藤は正確な読みで持ちこたえる。

形勢が変わったのは104手目。伊藤が歩を突いて反撃に出た局面だ。この時点で伊藤は藤井に持ち時間で30分近く差をつけられていたが、逆に藤井の長考を誘った。

髪を何度もかきあげて悩む藤井。この長考で持ち時間が逆転し、藤井のミスを誘う。

互いに1分将棋となった最終盤、勝利が見えても伊藤は冷静さを失わなかった。
伊藤匠叡王
「最後はもうこちらの玉が詰むか詰まないかという勝負でした。藤井さんは詰め将棋の名手で、そういう怖さはもちろんあったのですが、自分の中では詰みは発見できなかったので、ここは踏み込んでいこうかなと思いました。対局中は時間もないので全く(タイトルについて)考える余裕がなくて、局面のことに集中できたと思います」
そして午後6時32分、藤井が伊藤に告げた。

「負けました」

同い年の天才を追い続けてきた伊藤が、ライバルの背中をついにとらえた瞬間だった。
伊藤匠叡王
「大きな一番なので感情的なことは表に出る可能性もあるかなと思っていましたが、実際そのようなことはなく、ふだんと変わらず指すことができました。かなり難しい将棋だったので、終局直後も局面のことで頭がいっぱいだったかなと思います」

“藤井を泣かせた男”

伊藤が将棋に出会ったのは5歳の時。

父親からプレゼントされた将棋盤と駒で将棋を始めると、めきめきと実力をつけていった。

12年前、NHKの番組に出演した当時小学4年生の伊藤の映像が残っている。
子どもらしい笑顔で「プロ棋士になって、タイトルをとるのが夢です」と語る伊藤。

ところが、指す将棋は子どもらしくなかったようだ。

このころ伊藤が通っていた東京・三軒茶屋の将棋教室の主宰者で、師匠の宮田利男八段は、当時の伊藤の将棋について「おじさんぽい将棋」と振り返った。
宮田利男八段
「顔はかわいらしい少年なんですけど、態度は子どもらしくないというか、妙にしっかりしていました。将棋も普通は小さい子どもだと自分のやりたい手や攻めを中心にしていくわけですけど、はっきり攻めと守りのバランスがとれていて、どちらかというとおじさんぽい将棋でした」
伊藤が藤井と初めて戦ったのは、このころだ。

小学3年生を対象とした将棋大会で撮影された写真には、2人がともに収まっている。
賞状を掲げる3人の少年のうち、右はこの日3位だった藤井。左にいるのが、この日藤井に勝って2位になった伊藤だ。

伊藤に負けたとき、藤井は号泣したという。伊藤の異名「藤井を泣かせた男」の由来となったエピソードだ。

ただ、当時のことを伊藤はあまりはっきりとは覚えていないという。
伊藤匠叡王
「同い年で強い子がいるという噂は聞いていました。(対局したことも)本当にうっすらとは覚えています。(藤井が泣いたことは)人づてに聞いたという感じでした」
この日優勝したのは、写真の真ん中で賞状を掲げている、伊藤と同じ将棋教室に通っていた川島滉生。当時の伊藤のライバルだ。

伊藤と違い、川島はこの日のことをはっきり覚えていた。
川島滉生さん
「(12年前の大会で)藤井さんが会場に現れたときに、伊藤少年が『あの子すごい強いんだ』と言っていました。伊藤少年がそういうことを言うのはあまりなかったのでよく覚えています。伊藤少年って集中するとほっぺたが赤くなるんですよ、そのころは。藤井さんとの準決勝も結構ほっぺたが赤くなっていたので、これは相当気合い入れてやらなきゃいけない大変な相手を目の前にしているんだ、相手も相当なレベルだなって」
伊藤と同じ将棋教室に入ってすぐ、「ボコボコにされた」という川島。

必死で将棋に打ち込んだが、伊藤には自分とは違うものを感じていたという。
川島滉生さん
「彼は将棋に向かう姿勢がほかの生徒と違うというか、本当に『盤上没我』でよそ見しない。考えることに対する抵抗がないし、将棋というゲームに対する飽くなき探究心も感じられました。子どもながらに『実力が全然違うな』と感じましたし、将棋にささげる情熱や姿勢を見ていても、プロになって活躍するだろうと当時から予測できました」

“同い年なのにふがいない”

小学5年生で棋士養成機関の「奨励会」に入った伊藤。将棋に集中するため高校も退学した。

ほかの道は考えず、目の前にあるのはプロ棋士になるという目標だけだった。
そんな中、伊藤は2018年の朝日杯で記録係を務めることになった。

当時の将棋界は「5人目の中学生棋士」藤井フィーバーに沸いていた。

中学生だった伊藤が担当した対局は、まさにその藤井が当時の羽生善治二冠(現・将棋連盟会長)を破った一局だった。

藤井はそのまま大会で優勝。伊藤は、それを傍から見守るだけだった。
伊藤匠叡王
「目の前で羽生先生や広瀬(章人)先生といったトップ棋士を倒されて優勝されて。同い年でこれだけ差をつけられてしまって、自分はふがいないなといったそういう気持ちもありました」
伊藤が四段に昇段してプロになったのは、藤井に遅れること4年、17歳の時だった。
伊藤匠叡王
「ずっと将棋をやっていて、あまりほかの道を考えることなくというか、自然とプロの道を目指すようになったと思います。高校も辞めていましたし、退路も切っていたので、まずはプロになれてほっとしたという気持ちでした」
しかし、その伊藤の前にはまだ藤井がいた。

17歳でのプロ入りは十分以上に早いが、藤井はすでに「棋聖」「王位」の2つのタイトルを保持する雲の上の存在。そんな藤井に、伊藤は憧れと悔しさを抱き続けてきた。

悔しさを胸に、伊藤も快進撃を見せる。プロ入りの翌年には棋士の中で勝率トップとなり、新人王も獲得した。
伊藤匠叡王
「やっぱり同学年ということでずっと藤井さんを意識していました。本当に雲の上の人という感じではあったんですけど、自分もいつかタイトル戦に出たいという思いは持っていました。ずっと目標にして、自分ももっと強くならないといけないというか、そういう気持ちにさせてくれたのかなと思います」

“2人だけの世界”

21歳で念願のタイトルを手にした伊藤。これまでを知る棋士と、これからに期待する棋士に話を聞いた。

定期的に伊藤と練習将棋を指し、伊藤のことを「たっくん」という愛称で呼ぶ間柄の三浦弘行九段。28年前、当時タイトルを独占していた羽生から棋聖のタイトルを奪取し、独占に終止符を打った棋士だ。

伊藤は藤井から「強さを吸収した」という。
三浦弘行九段
「伊藤さんは序盤の研究が深く、そのまま押し切るというのを得意とされていて、私が練習対局で負けるパターンがそうなんです。ですが、伊藤さんが藤井さんとタイトル戦を指すようになってから、私が逆転負けをするようなことも多くなって。しかも一瞬の切れ味で逆転されるという、藤井さんが得意とされる将棋を指されるようになったんです。伊藤さんはマイペースで自分の独自の勉強を貫く方ですから何かを変えたということでもないと思います。藤井さんと対峙して『こんな深い読みがあったのか』、『こんな手があったのか』と、藤井さんの強さを吸収したのではないかと思っています」
伊藤が勝利した叡王戦第2局の立会人を務めた谷川浩司十七世名人。

藤井と同じ「中学生棋士」「最年少名人」として、トップ棋士との激戦を繰り広げてきた大棋士は、感想戦での2人の表情に未来を感じていた。
谷川浩司十七世名人
「感想戦が始まってしばらくすると、負けた藤井さんもとても楽しそうなんです。先輩棋士とのタイトル戦だと感想戦にも遠慮があると思うんですけど、伊藤さんであれば小学生のころからしのぎを削ってきていますので、2人だけの世界が感想戦でも築かれていて。本当に将棋の真理を追究する、将棋の無限の可能性を追求する、そういう喜びがあったのではないかと思います。タイトル戦の同一カードの記録は私と羽生さんの22回ですが、まだ21歳の2人はこれから20年くらいは戦い続けると思います。私たちの22回は軽く超えてくれるのではないでしょうか」

“最善を追究する棋士に”

“藤井時代”とも言われる将棋界。藤井は伊藤をどう見ているのか。
藤井聡太八冠(※当時、年始の記者会見で)
「序盤の知識が非常に深くて、戦略も巧みです。伊藤七段とは子どものころに将棋大会で対戦したこともあったので、(タイトル戦という)最高の舞台で対戦できるのはうれしく思っていました」
今回の「叡王戦」最終局で立会人を務めた深浦康市九段によると、終局後にファンヘのあいさつのため大盤解説会場に入る際、伊藤に対してほほえみながら「先に入場されてください」と促していたという。
深浦康市九段
「たとえ敗れてもタイトル保持者が先に入るのが慣例ですが、藤井さんが伊藤さんを心から認め、また戦いたいという気持ちが表れたのではないか。ライバル関係が生まれたと感じました」
一方の伊藤は、「ライバル」という言葉を聞くと、苦笑しながら否定した。
伊藤匠叡王
「自分としてはまだまだライバルという意識はなくて、今回はたまたま結果が幸いしました。対戦成績ではかなり分が悪いですし(伊藤の3勝12敗1分)、まだまだ実力は藤井さんの方が上なのかなと感じています。これだけタイトルを獲得されていても、目の前の1局で最善を尽くすというか、そういう姿勢を変わらず続けておられるのは一番尊敬するところかなと思っています」
今後の抱負を語るときも、口にしたのは藤井の名前だった。
伊藤匠叡王
「現状、藤井さんがずば抜けて強いという状況は変わりないと思うので、藤井さん相手にどう戦っていくかという構図は前と変わらないのかなと思います。またタイトル戦の舞台で熱戦をお見せしたい」

これからも続く盤上の物語

初タイトルを手にした伊藤に、師匠の宮田はおよそ100年前に作られたという将棋盤を贈った。
宮田利男八段
「(叡王戦では)いけるかもしれませんと言いつつも、大丈夫かなとヒヤヒヤして。勝った瞬間、教室にずいぶん人がいたんですけど、バンザーイって。あれうれしかったですね。25歳まではお酒を飲まずに将棋1本でやってほしい。二冠、三冠を目指して」
「来年(叡王を)取られたら返してもらうからな」という宮田の冗談に笑みを浮かべ、伊藤は少し背筋を伸ばしながら将棋盤を感慨深げに見つめていた。

将棋盤とともに託されたのは将棋界の未来。

2人の若者が紡ぐ盤上の物語に、熱い視線が注がれている。

(7月4日「おはよう日本」で放送予定)
科学文化部記者
堀川雄太郎
岡山市出身、2014年入局。
山形、鹿児島を経て22年から科学文化部。
現在は将棋のほか出版やロケットも担当。