選挙で過半数目指すのがなぜ罪に?香港の街頭で訴える妻

選挙で過半数目指すのがなぜ罪に?香港の街頭で訴える妻
たった1人、ぽつんと、香港の街頭に立ち、声をあげている女性がいました。

「夫の有罪判決について、政府に説明してほしいのです」

長年連れ添っていた夫は“国家政権の転覆をはかった”として有罪判決を受けました。
街頭に立つ彼女の周りには、10人ほどの警察官の姿も。

私だって、逮捕されるのは怖い。
女性はそう語りながらも、毎週のように、街頭に立ち続けています。

(香港支局長 西海奈穂子)

「夫を釈放して」 立ち上がった妻

陳宝瑩(ちん・ほうえい)さんは、ことし5月30日、香港の裁判所を訪れていました。この日、夫の裁判が開かれるためです。
陳さん
「意見を言いたいだけなのに、どうして邪魔するんですか」
夫は無罪で、釈放されるべきだ。陳さんが裁判所の前で声をあげようとしたところ、すぐに警察官に囲まれました。そのまま警察署に連行されました。
陳さんが裁判を傍聴することはできないまま、この日、夫に有罪判決が言い渡されました。反政府的な動きを取り締まる「香港国家安全維持法」に違反したとされたのです。

2人は“戦友”

陳さんと夫の梁国雄(りょう・こくゆう)さんは、ともにベテランの民主活動家です。長い髪が特徴の梁さんは「ロング・ヘアー」の愛称で広く知られています。
2人は一緒に運動をしてきた、いわば戦友です。2人の出会いは、およそ50年前。イギリス統治時代の香港で、労働者の権利などを訴えるグループに参加していた時でした。

2004年に梁さんが香港の議会・立法会の議員選挙で初当選すると、陳さんはスタッフとして彼を支えました。その後、ともに民主派の団体「社会民主連線」を創設。頻繁に街頭に出て、香港での民主的な選挙の実現などを訴えてきました。

「デモの都」だった香港

香港は「デモの都」とも呼ばれ、市民生活の中にデモや集会が根付いていました。何かあれば人々は街頭に出て、言いたいことを主張することができたのです。そこには、「一国二制度」のもと、言論や集会の自由は保障されるという裏付けがありました。
中国ではタブー視されている1989年の天安門事件についても、香港では追悼集会を開き、中国政府に真相の究明を求めることができました。
民主的な選挙を求めた「雨傘運動」(2014年)や、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする動きに対する抗議活動(2019年)など、中国への反発を背景に、街全体を巻き込むような大規模なデモや集会も起きました。多い時には、住民のおよそ4人に1人にあたる約200万人が参加しました。

“国安法”成立 街頭から消えた市民

状況を一変させたのは、2020年6月。反政府的な動きを取り締まる「香港国家安全維持法」(=国安法)の制定です。中国政府や香港政府に対する反対の声が厳しく抑え込まれ、デモや集会などがほとんどできなくなりました。
政府に批判的な立場の民主派の団体は、相次いで解散に追い込まれました。今は陳さんが代表を務める「社会民主連線」は、残り少ない民主派団体の1つとなりました。
陳さん
「国安法の前は香港の市民社会は非常に活発で、環境保護から労働問題、フェミニズムまで、あらゆる社会問題について主張するグループがいました。国安法の施行後、そのような雰囲気は全くなくなりました。NGOや政党でさえ苦境に立たされており、生き残るのは非常に難しいのです」

夫が有罪とされた事件とは?

夫の梁さんが起訴されたのは、国安法の成立からおよそ半年後の2021年2月。

問題とされたのは、梁さんたち民主派が掲げたある構想でした。

2020年7月、民主派は、立法会の議員選挙でより多くの議席を獲得するため、候補者を絞り込もうと、予備選挙を行いました。
その際、もしも立法会で過半数を獲得した場合には、政府の予算案を否決して政府トップの行政長官を辞任に追い込むことなどを目標として掲げました。民主派の人たちからすれば当然、これは香港の憲法にあたる「基本法」に記された合法的な手続きだと考えていました。

ところが、当局は、この構想を掲げたことが国安法に違反し「国家政権の転覆をはかった」疑いがあるとして、予備選挙に関わった47人を逮捕、起訴しました。国家安全維持法が施行されて以来、最大の事件となりました。

起訴から3年以上たったことし5月30日、無罪を主張していた16人に判決が言い渡されました。梁さんを含む14人は有罪、2人は無罪でした。このほかの31人を含め、このあと量刑が言い渡されます。

週に4日、ガラス越しの夫

陳さんは週に4日、夫が収容されている拘置所を訪れます。面会は1日につき15分。この3年間、ガラス越しにしか会うことができません。量刑が最も重い場合、終身刑が科されます。
陳さん
「もっと頻繁に会って彼を励ましたい、支えたいです。おしゃべりするだけでもいいんです。自分を訪ねてくれる人がいると思えることが、彼の助けになるのです。一刻も早く出てきてくれることを願っています。でも、希望を持つと失望がさらに大きくなるので期待しないことにしています」

“憲法”よりも“国安法”?元裁判官からも異例の反論

香港の憲法にあたる「基本法」で認められている手続きにのっとった構想が、なぜ「国安法」違反とされるのか。陳さんは、納得ができないといいます。
陳さん
「基本法で認められていることがなぜ国安法で罪になるのか、人々は疑問に思っています。基本法は憲法のようなものであり、その効力は大きいはずです」
この判決に疑問を抱いているのは、陳さんだけではありません。裁判官を務めた人からも、現状を懸念する異例のコメントが出されたのです。

コメントを出したのは、香港の最高裁判所(終審裁判所)で非常任裁判官を務めていたサンプション氏(元イギリス最高裁判事)です。
香港では、中国返還後もイギリス統治時代からの法体系が守られていて外国人が裁判官を務めることができます。サンプション氏は、2019年から香港の裁判官を務めていましたが、ことし6月に辞任しました。その直後、イギリス紙にみずからの考えを寄稿しました。
サンプション氏のコメント
「香港はかつて活気のある、政治的に多様なコミュニティだったが、ゆっくりと全体主義になりつつある。法の支配は、政府の関心の強い分野で、大きく損なわれた」
国安法によって裁判官の活動の自由はひどく制限されたと批判したのです。これに対し、香港政府は「香港の法の支配は衰退していない」などと猛反発しています。

サンプション氏が具体的に疑問を呈したのが、梁さんたちへの有罪判決です。「立法会が予算案を2度否決すれば、行政長官は辞任しなければならないと基本法に規定されている」と当時の構想の合法性を指摘。それにもかかわず、裁判所が有罪判決を下したことで「立法会は憲法上の権利を行使することができなくなってしまった」としています。

新たな条例の施行 強化される締めつけ

国安法だけではありません。ことし3月、香港ではこれを補完する新たな条例が制定されました。「国家安全条例」です。

▼国家機密を盗むことやスパイ行為、それに▼外国勢力による干渉などが新たに犯罪として規定されました。最も重い場合、終身刑が科されます。この中では「香港政府や中央政府への憎悪をあおった」などとする「扇動的な行為」に対する罰則がいっそう強化され、禁固7年が科されるようになりました。
何が「扇動的な行為」にあたるのか、定義はあいまいで恣意的な運用が可能だと懸念されています。条例の施行後、2019年の抗議活動のときのスローガンが書かれたTシャツを着た人や、このスローガンをバスの客席に落書きした人が摘発される事案が相次いでいます。

「逮捕は怖い」それでも街頭へ

新たな条例によって、何がレッドラインなのかわからなくなったー。

陳さんはそう言いながらも、街頭に向かいます。

買い物客でごったがえす日曜日の繁華街。ほとんど立ち止まる人がいない中でも、マイクを握り、慎重に言葉を選んで自分の考えを訴えます。
陳さん
「どうして国家安全維持法が基本法よりも上なんですか。政府は答えなければならない。私は恨みをあおったりしていません。政府に説明してほしいと求めているだけです」
陳さんの周囲では、私服の警察官などおよそ10人が遠巻きに目を光らせています。警察官は陳さんに「国家の安全に危害を加えるような行為は犯罪にあたる」と警告。発言の一部始終をビデオで撮影していました。
のしかかる目に見えないプレッシャー。それでも、陳さんは頻繁に街頭に立ち続けます。たった1人でも声を上げ続けることが、よりよい社会を作ることにつながると信じているからです。
陳さん
「私たちができることは、信念を持ち続けることです。自分が何かを持ち続け、戦い続ければ、他の人たちも自分に自信を持ち、小さな一歩を踏み出そうとするようになります。それが市民社会の再建にとって重要だと思うのです。覚悟を決めて立ち向かうしかありません」
(6月25日 国際報道2024で放送)
香港支局長
西海 奈穂子
2000年入局 盛岡局 国際部 マニラ支局 札幌局などを経て2022年8月から現職
2019年から3年間「キャッチ!世界のトップニュース」のキャスターも経験