進路 結婚 親亡きあと…「きょうだい」の私 どうすれば?

進路 結婚 親亡きあと…「きょうだい」の私 どうすれば?
そのとき、まだ5歳だった。

弟と外に出かけると、知らない人からジロジロと見られた。「弟の分も、お姉ちゃんが頑張ってね」と言われた。将来はあの仕事に就くんだと、当たり前のように思われていた。

私よりも弟や親のほうが大変なのだから「嫌だ」と言ってはいけない。そう思っていた。

私は、“自由”に生きてはいけないの?

“弟に分けてあげればいいのに”

藤木和子さんは、1982年に埼玉県上尾市で長女として生まれた。

藤木さんの人生を大きく変える出来事があったのは、それから5年後のことだった。

3歳年下の弟に、聴覚障害があることが分かったのだ。

それから、母親は弟につきっきり。

母親と弟が病院や療育に行っている間は、父親の職場で大人に囲まれながら長い時間を過ごしたという。

「弟の分も、お姉ちゃんが頑張ってね」

周りの大人からそう言われたのは、1度や2度ではない。
学校や塾でよい成績をとったとき母親から言われたのは「こんなにできなくても…弟に分けてあげればいいのに」ということばだった。

弟と一緒に外出したときには、障害のある弟に向けられる視線に傷ついたこともあった。

「母親が悪いから障害児が生まれた」そんなひそひそ声が聞こえてきたときには、自分もつらくなった。

友達から「不幸がうつるから近づかないで」と、からかわれたこともある。

弟とはケンカもするが仲がよく、大切な存在。

私よりも弟や親のほうが大変なのだから「嫌だ」と言ってはいけない。

そう思っていた。

父からの強い期待

中でも藤木さんを苦しめたのは、職業の選択についてのことだった。

父親は、地元でも名が知られた弁護士だ。

小さい頃から「将来は、お父さんの跡を継ぐんだよね」と、周囲から当たり前のように言われていた。
何よりも父親が“弁護士になってほしい”と強く期待を寄せていると、藤木さんは感じていた。

このまま、長男である弟のかわりに、父親の仕事を継がないといけないのだろうか。

そもそも、実家や地元を出たいと思うことは、わがままなのだろうか。

過度な期待を背負い、何を決めるのにも、頭の中では常に家族のことを考えていた。

この悩みを相談できる人はいなかった。

「きょうだい児」とは

藤木さんのように、重い病気や障害のある兄弟姉妹がいる人たちは「きょうだい児」とか、ひらがなで「きょうだい」と表現される。

兄弟姉妹との関係や、感情は、100人いれば100通りある。

ただ、小さなころには、親が病気や障害のある兄弟の世話に追われる中で寂しさを感じたり、兄弟と周囲の子どもとの違いに恥ずかしさを感じたりするなど、特有の悩みを抱えるケースが少なくないという。

兄弟の世話などを担う場合には「ヤングケアラー」と呼ばれることもある。
きょうだいたちの悩みは、進路選択や、結婚、そして親亡きあとに兄弟姉妹の面倒をみるのかどうかといったことまで、ライフステージごとに多岐にわたる。
SNSにも、きょうだいの複雑な思いが吐露されている。
「障害のある兄がいるからお金が稼げる安定した仕事に就いてほしい」と母に言われ、とても嫌だった ほかの仕事に就きたかった
結婚適齢期になり、子どもに障害が遺伝しないかと不安になっている
「私たちが死んだらお兄ちゃんの面倒をみるのはあなた」と親から言われる
介護殺人や一家心中のニュースを見ると他人事じゃないなと思う
さまざまな軋轢が生じた結果、家族と完全に縁を切ったというきょうだいもいる。

家族にはないしょで…

藤木さんは悩みを抱えながらも、27歳のときに司法試験に合格し弁護士になった。

都内の、大手弁護士事務所から内定をもらった。

でも地元には、弁護士の父と、障害のある弟、そして弟を懸命に支える母が待っている。

結果、藤木さんは内定を断り、地元に残った。

もちろん、法律を学ぶことも、司法試験を受けることも、弁護士になって地元で働くことも、最後は自分の意思で決めたことだ。

それでも。

苦しみは消えず、「これでいいのか」とその後もずっと悩み続けていた。

そんなとき、藤木さんを次の行動へと導いたのが、大切にしまってあった新聞記事だった。

「きょうだい」という概念があることや、「きょうだい会」と呼ばれる当事者らの集まりがあることを、教えてくれた記事だ。

仕事のことだけではなく、恋愛やその先の結婚のこと。

悩みが増していった藤木さんは、初めて「きょうだい会」の集まりに足を運んだ。

そこでようやく、自分の本当の気持ちを打ち明けることができた。

自分と同じ悩みを抱えている人がこんなにもいることを、そこで知った。
でも、「きょうだい会」に通っていることは、家族にはないしょだった。

そこで話をする内容は、弟や親を否定しているようで、心が痛むからだ。

大切な家族だからこそ、言えなかった。

ただ、少しずつ藤木さんの中で心境の変化が生まれてきた。

私は自由に生きてもいいの?

弁護士である自分にできることはなんだろうか。

少しずつ、きょうだいである自分自身の悩みや、ほかのきょうだいたちが抱える課題を、法律の観点から考えるようになっていった。

例えば、きょうだい会などでよく話題にのぼる「私は一生、障害のある兄弟の世話をしなくてはいけないのですか」という問い。

答えはNOだ。

法律上、親は子どもが成人になるまでは世話をしなければならないが、きょうだいは違う。

民法877条1項には「兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定められているが、これは、自分に余裕のある範囲で助ける義務、だ。

ただ、“余裕がある”とされる人はほとんどいない。
自分の生活を犠牲にする必要はないのだ。

「私は自由に生きていいのだろうか」という問いも、憲法で認められている「幸福追求権」や「自己決定権」の考え方で解釈をすることができた。

これは障害の有無にかかわらず、病気や障害のある人たちも、その「きょうだい」も、親も、誰もがもっている権利だ。

みな「自分がどうしたいのか」をまずは考えてもいいということだ。

藤木さんは結婚し、父の事務所を出て個人事務所を立ち上げた。

法律は“自由だ”と言っている

それから6年。

この春、1冊の本を出版した。
「きょうだい」たちが抱えることの多い50の疑問や不安について、回答をまとめた本だ。

これまでにも「きょうだい」の体験談を記したものはあったが、法律の視点から回答をまとめたのは、国内ではこの本が初めてだという。

法律はシンプル。
「あなたは自由だ」と言っているということを、伝えたかった。
今回、本の帯に選んだのは「私は一生、障害のある弟の世話をしなくてはいけないのですか?」ということば。

母親からは、このことばを帯に載せることを、反対された。

弟の気持ちを考えてのことだ。

「いちばん多い質問だから、変えられない」と、母には伝えた。

弟には、母親から本を渡してもらうことになった。

“みんなで助け合っていきましょう。いつもありがとう”と、手書きのメモも添えて。

母に本を渡すとき「弟は“世話になることはないと思う”と言っていたよ」と、聞いた。

「きょうだい」に自由があるように、弟たちにも“世話を受ける自由”も“世話を断る自由”だってあるのだと、改めて感じた。

「10冊くらい、買ってやるか」弟はそうも言っていたという。

“法律は背中を押すことができる”

出版の翌月、本の感想を語り合う読書会が都内で開かれた。

集まったのは、「きょうだい」の当事者たち。

読書会で聞かれたのが「この本を親に渡した」という声だった。

本の中では「親亡きあとの準備について、どのように切り出すべきか」など、具体的な質問への回答をまとめている。
親が亡くなったあと、障害のある兄弟姉妹との暮らしをどうしていけばいいか、この本が話し合うきっかけになったという。

何よりもうれしかったのは、「自分は自由だと知ることができてよかった」ということばだった。

自分が大切にしてきたメッセージが伝わったと感じ、うれしかった。
藤木和子さん
「“法律ではあなたは自由です”と言っても、実際には、家族との関係などの中でそれができず、兄弟姉妹のケアを続けざるをえないという方もいると思います。それでも、法律は迷ったときに、決断する背中を押すことができるものです。この本も、そうした一助になってほしいと思っています」

「自由だ」と繰り返し言い聞かせて

藤木さんは、何度も口にする。

「“自由になっていいんだよ”と、本を書きながら、自分自身にも言い聞かせてきた」

「自由でいい」と、きょうだいたちに伝え続けてきた藤木さんでも、繰り返し、繰り返し、自分に「自由だ」と言い聞かせながら、今もまだ葛藤し、もがき、生きているということだ。

重い病気や障害のある人たちの支援が必要だということは、広く、社会にも知られているだろう。

そのそばで人知れず苦悩を抱え続ける、きょうだいたちの存在はどうだろうか。

きょうだいたちにも目が向けられ、みなが迷いなく自分のための人生の選択ができるようになる未来を願いながら。

「私たちは自由だ」

これからも藤木さんは、自分のためにも、伝え続けていく。
(7月4日「午後LIVE ニュースーン」で放送)
ネットワーク報道部 記者
石川由季
2012年入局。初任地の大津局在籍時から、重い病気や障害のある方、そのご家族の取材を続けてきました。