千葉 八街 児童5人死傷事故 あすで3年 飲酒運転根絶への課題は

千葉県八街市で下校中の小学生の列に飲酒運転のトラックが突っ込み児童5人が死傷した事故から28日で3年です。その後も飲酒運転による事故はあとを絶たず、根絶に向けた取り組みの実効性が課題となっています。

3年前、2021年の6月28日、八街市で下校中の小学生の列にトラックが突っ込み児童2人が死亡、3人が大けがをした事故では、酒を飲んだうえ居眠りしながら運転していた運転手が危険運転致死傷の罪に問われ懲役14年の判決が確定しています。

事故を受けて国は、事業者などの飲酒運転対策を強化し去年12月、運送事業用の「緑ナンバー」に加え自家用の「白ナンバー」についても、5台以上使う場合はアルコール検知器を使った検査を義務づけました。

しかし、一般のドライバーなどを含めた飲酒運転による事故はあとを絶たない状況で、警察庁の統計では全国で去年2346件と、おととしに比べて1割ほど増加しました。

死亡事故は112件でした。

ことしも5月末までに飲酒運転による死亡事故が35件起きていて、飲酒運転の根絶に向けた取り組みの実効性が課題となっています。

全国で進む 通学路の安全対策

この事故をきっかけに全国で通学路の安全対策も進められています。

文部科学省などによりますと事故後の緊急点検で7万か所余りの地点で対策が必要とされましたが、去年12月までに能登半島地震の被災3県を除く44都道府県では、91%で通学路の変更や横断歩道の設置、見守り活動などの対策が取られたということです。

国は、対応に時間がかかる場合には注意喚起の看板を設置するなど暫定的な対策を行うとともに、残る箇所についても、速やかな対策の実施を求めることにしています。

アルコール依存症経験者が語り合う「断酒会」

飲酒運転をめぐっては、アルコール依存症を経験した人の自助グループでみずからの経験を語り合い、二度と起こさないという決意を確認しあう取り組みが行われています。

千葉県にはアルコール依存症の経験者やその家族が集まる自助グループ「断酒会」が地域ごとに17あり、事故の現場となった八街市でも「やちまた断酒新生会」が10年前から活動を続けています。

今月15日には、事故から3年になるのを前に『八街事故を繰り返さない』をテーマにして、それぞれの飲酒運転の経験や後悔などを語り合いました。

5年前に入会した50代の男性は「お酒に依存していたときは飲酒運転はやっぱりやってしまっていました。私も酒をやめずに飲み続けていたらあのような事故を起こしかねなかったと思っています。お酒による失敗談を話し、またお酒に手をだすと同じことを繰り返すと自分に言い聞かせることで、なんとかお酒をやめ続けられています」と話しました。

3年前に入会した50代の男性は「飲み会があると分かっているのに、朝、車で行って、普通なら公共交通機関やタクシーで帰るところを、次の朝面倒くさいとか勝手な思いで運転して帰ることを何回も繰り返していました」と振り返りました。

男性は新型コロナウイルスの影響で酒の量が増えたといい「家で飲むことが増え、金曜の夜から日曜の夜中までずっと飲むようになった。会社に行っても仕事にならず、人間関係もどんどん崩れて相談できる相手もいなくなり、さらに酒に頼るようになってしまいました」と話しました。

その上で「飲むと気が大きくなり、何でもやれるような気になって飲酒運転をやってきました。また1杯飲んでしまうと歯止めがかからなくなり、飲酒運転をしてしまうかもしれないので、断酒を頑張っていきたい」と語りました。

各地で行われている断酒会の会合に20年以上通っているという70代の男性は、家族で出かけるときや子どもの送り迎えの際にも飲酒運転を繰り返していたということで、「お酒に対して考えが甘い時代に育ち、とんでもないことをやってきた。ひょっとしたら自分も八街のような事故を起こしていたかもしれない」と率直な気持ちを語りました。

その上で「断酒会に入り自分の記憶を掘り起こしながら、反省をしている」と話しました。

また9年前から断酒会に通う50代の男性は、飲酒運転で車をこすったりぶつけたりする事故を起こしていたということで「これくらいだったら大丈夫、慣れ親しんだ道だから大丈夫と自分で勝手に理屈を作ってやってしまっていた。やっている最中は平気だと思っていた」と話しました。

そして「酒の量を減らそうと何度も挑戦しては失敗しているので、私はお酒をゼロにしないといけない。飲まない頭で、昔の体験をちゃんと話して、自分でやってきたことを整理し、そういったことを再確認するためにも会に通い続けたい」と話しました。

会を立ち上げた高山和人会長は「アルコール依存症の人は酒を1人でやめることはできません。酒にのまれ、社会的、常識的な判断ができなくなってしまうのが私たちの病気です。酒に手をつければ飲酒運転を平気でしてしまうかもしれません。人に悲しい思いをさせたり、迷惑をかけたりする前に酒をやめられるように、安心して来られるような居場所作りをしたい」と話していました。

『やちまた断酒新生会』会長も当事者の1人

千葉県八街市の『やちまた断酒新生会』を立ち上げた高山和人会長(53)は、自身もアルコール依存症と診断されるまで飲酒運転を繰り返してきた当事者の1人です。

3年前の八街市での事故について「実際に地元であのような事故が起こると、自分が酒を飲んで事故を起こす可能性があったと思い、飲酒運転が心底怖くなり、後悔しかありません」と話しました。

自身もこれまで飲酒運転で電柱に衝突する事故を2度起こしたといいます。

1度目は27歳のとき、自分の結婚式を1週間後に控えた中で、飲み歩いたあとに帰宅しようと車を運転して電柱に衝突し、頭やひざなどにけがをしました。

それでも飲酒運転をやめることはなく、3年後、居酒屋で酒を飲んだあと車を運転して再び電柱に衝突し、けがはありませんでしたが、車が大破したということです。

当時を振り返り「普通だったら、大きな事故を起こしたあとは酒を控えるが、それができずにずっと飲み続けていた。酒が入って勢いがつくと『おれは大丈夫、事故は起こさない』という根拠のない変な自信がついてしまい、飲酒運転を繰り返していた」と話しました。

その上で「もちろん飲む前は『飲酒運転で人をあやめてしまったら相手やその家族の人生を狂わせてしまう』という意識はありましたが、酒を飲んだあとは危険に気付けなかった」と話しました。

また、妻は飲酒運転のことを知っていましたが、注意すると怒って暴れるなどしたことから、怖くて言えず、夜になると車の鍵を自分の枕元に隠して寝たこともあったといいます。

当時を振り返り「事故のニュースを聞くたびに『次はうちだ』と思っていました。私もおかしくなってしまって、もうどうにでもなれ、と半分投げやりな気持ちでした」と話していました。

その後、飲酒の影響でだんだんと会社に通うことができなくなり、40歳のときにアルコール依存症と診断され、3か月の間入院しました。

退院後も通院を重ねる中で断酒会の関係者と出会い、夫婦で、ときには子どもたちも連れて、県内各地で定期的に開かれる会合に通うようになりました。

その中で、みずからの経験を語ったり、立ち直った人の経験談を聞いたりすることで、酒を完全に断つことができたということです。

その後、43歳のときに、自分が住む八街市や周辺の地域に断酒会がなかったことから、夫婦で断酒会を立ち上げました。

会長は「飲酒運転による痛ましい事故を二度と繰り返さないためにも、自助グループの存在や活動を知ってほしいし、行政や警察とも連携を強めていきたい」と話していました。

また妻は「場がないと来られないし、困っている家族も絶対にいると思います。私たちのようになってほしくないという思いで毎回、例会を開いています」と話していました。