松本サリン事件から30年 献花台に多くの人 犠牲者悼む

長野県松本市の住宅街に猛毒のサリンがまかれ8人が死亡したオウム真理教による松本サリン事件から6月27日で30年です。現場近くに設けられた献花台には、多くの人が訪れて犠牲者を悼んでいます。

1994年6月27日の夜に発生した松本サリン事件では、オウム真理教の元代表の麻原彰晃・本名、松本智津夫 元死刑囚の指示で、松本市の住宅街に猛毒のサリンがまかれ8人が死亡し140人以上が被害を受けました。

事件から30年となる27日、地元の町内会が現場近くの公園に設置した献花台に、朝から多くの人が訪れ花を手向けて犠牲者を悼んでいます。

献花台が設置された公園は事件で1人が亡くなった会社の寮の跡地で、この犠牲者が元上司だったという50代の女性は「今まで、ここには足が向きませんでしたが30年がたち、ようやく来ることができました」と話し手をあわせてしました。

事件当時、近所に住んでいたという市内の50代の男性は「このあたりの道はよく通っていました。もう二度とこんな事件は起きてほしくないです」と話していました。

また、近所に住む90代の男性は「人を助けるべき宗教が起こしたとんでもない事件だったと思います。冥福を祈るしかないです」と祈りをささげていました。

献花台は28日まで設置されています。

次男を亡くした女性“事件を忘れず広く知ってほしい”

松本サリン事件で当時23歳だった次男を亡くした女性が取材に応じ、30年たっても家族を失った悲しみから立ち直ることができない胸の内を明かすとともに、事件を忘れずに犠牲者がいることを広く知ってほしいと訴えました。

静岡県掛川市に住む小林房枝さん(82)は松本サリン事件で、次男の豊さんを23歳の若さで亡くしました。

豊さんは東京の電機メーカーに勤務していて、当時、長期出張の滞在先だった松本市のアパートで犠牲になりました。

事件翌日に、警察署で変わり果てた姿の豊さんと対面した際は眠っているように感じて涙も出なかった小林さんですが、葬儀を終えると、悲しみのどん底に突き落とされたと言います。

当時について「胸の中に鉛がたまっているみたいで、とにかく死にたいという思いがいっぱいでした。3年間は安定剤と抗うつ剤を飲んでいました」と振り返っています。

その後、オウム真理教に対する捜査が進み事件を首謀した麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚らが起訴され、2018年には一連の事件で死刑判決が確定した13人全員の刑が執行されました。

小林さんはこのときの心境について「死刑が執行されたことを聞いた時、今までそれを自分が望んでいたのに、胸がドキドキして、自分でも考えられないような感情が湧いてきました。これで憎むべき標的がなくなりやれやれだなと思いました。よかったとかうれしいとか、そういう感情は全くなかったです」と話しています。

最愛の息子を奪われてから30年。

今も月命日の前後に豊さんの墓を訪れることを欠かさない小林さんは「私たちにとっては10年、20年、30年というのは全く関係ないです。オウムがどんな団体なのかはずっと伝えていかなければならないと思っていますし、こういう犠牲者がいるんだよということを広く知ってほしいです」と話しています。