桂ざこばさん死去 76歳 上方落語を代表する落語家

上方落語を代表する落語家で、関西を中心にテレビなどで幅広く活躍した、桂ざこばさんが、ぜんそくのため、12日、大阪 吹田市の自宅で亡くなりました。76歳でした。

桂ざこばさん、本名、関口弘(ひろむ)さんは、昭和22年、大阪市に生まれ、昭和38年に15歳で、のちの人間国宝、三代目桂米朝さんに入門しました。

昭和63年に二代目「桂ざこば」を襲名し、その後も関西を中心にテレビやラジオにも出演し幅広く活動しました。

上方落語協会に所属し、理事や相談役を務めたほか、平成20年には大阪 西成区に寄席の「動楽亭」をみずから設立し、上方落語の振興に尽力しました。

平成29年には文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しています。

平成29年に脳梗塞で入院しましたが、その後復帰して、寄席や落語会を中心に活動し、ことし2月にも高座に上がっていました。

所属する米朝事務所によりますと、ぜんそくのため、12日、吹田市の自宅で亡くなったということです。

76歳でした。

米朝事務所は「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。お世話になった関係者の皆様、応援してくださった皆様に深く感謝します」とコメントしています。

桂米團治さん「何事にも一所懸命」

ざこばさんが師事した桂米朝さんの長男で、弟弟子の桂米團治さんは「私が幼稚園に通い出した時に入門されたのが、ざこば兄さんでした。4歳の私を15歳の少年が面倒みるのですから、さぞかし大変だったことでしょう。ボール投げ、缶けり、ザリガニ捕りなど、思い出はいっぱいあります。私が噺家になってからも、私の考え方がおかしいと思われたときは容赦なく叱ってくださいました。何事にも一所懸命に振る舞われたお兄さん!お兄さんの落語に登場する人物は、どの人も『情』に溢れています。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります。本当にありがとうございました」とコメントしています。

娘の関口まいさん「急なことで心の整理できていません」

ざこばさんの娘でタレントの関口まいさんは「あまりに急なことで、心の整理はできていません。ファンの皆様と同じように、私も桂ざこばの落語の大ファンで、もうあの落語が聴けなくなるのかと思うと寂しくて仕方ありませんが、お父さんの落語はきっとお弟子さんたちが継いでいってくれることと思います。永年、桂ざこばを応援していただきまして、本当にありがとうございました」とコメントしています。

桂文枝さん「大好きな米朝師匠 枝雀師匠の元に」

落語家の桂文枝さんは「あまりにも突然でした。言葉を失いました。ざこば師匠の大好きな米朝師匠、枝雀師匠の元にいかれるんですね。いろいろとありがとうございました。そんな言葉しか思い浮かびません」とコメントしています。

西川きよしさん「“元気の象徴”というべき存在」

漫才師の西川きよしさんは、「突然の訃報、誠に残念でなりません。泣き虫で頑張り屋さんで、桂米朝師匠の弟子で本当に良かったとよくお話しされておりました。背中にデキモノができたとき、師匠が自ら軟こうを塗ってくださったと、涙を流しながら話してくださり、私ももらい泣きをし、お互いにこれからも頑張ろうな、と約束をしたことを昨日のことのように思い出します。私にとってまさに“元気の象徴”というべき存在でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。

地元の人たちからは死を悼む声が

桂ざこばさんの出身地である大阪市内では、地元の人たちから死を悼む声が聞かれました。

ざこばさんが訪れたことがあるという大阪・北区の飲食店を経営する71歳の男性は、「テレビでは、怒ったり興奮したりすることが多かったと思いますが、店では静かでとても優しい人でした。落語をする中で涙を流すなど感情移入していたのが印象に残っています。残念でことばになりませんが、たくさんのお弟子さんを育てられていい仕事をされたと思います。本当にショックです」と話していました。

大阪・北区で果物店を経営する74歳の男性は「年齢が近かったのでとても驚きました。落語を見たことがありますが、最初から最後まで笑わせてくれました。話術が違います。『なにわ』の落語家として一流で、一生忘れられません」と話していました。

摂津市から訪れていた50代の女性は「テレビでよく見ていたので信じられません。寂しいです。『お笑いをありがとうございます』と声をかけたいです」と話していました。