インドの田中角栄?大幅議席減も3期目続投 モディ首相とは?

インドの田中角栄?大幅議席減も3期目続投 モディ首相とは?
「地方出身で首相まで上り詰めたこと、政策の実施能力の高さが田中角栄元総理大臣に通ずるところがある」

こう評されるインドのモディ首相。今回の総選挙では与党が大幅に議席を減らしながらも、与党連合で過半数の議席を維持し勝利宣言しました。

そもそもモディ首相はどんな人物なのか。私たち日本はインドにどう向き合っていけばいいのか。
14億人のリーダーの素顔をさぐるため、モディ首相をよく知る人たちを訪ねました。

(「クローズアップ現代」取材班)

14億人のトップが生まれたのは?

車が通ると舞う土ぼこりに、道路脇の小さな露店。

インドの日常風景が広がる小さな町がモディ氏のふるさとです。
インドでは酷暑期となる5月上旬。

日中の最高気温が40度を超えるなか、私たちは14億人を率いるリーダーとなったモディ氏の原点を探ろうと、インド西部にあるグジャラート州のヴァドナガルに向かいました。

訪ねたのは60年ほど前にモディ氏が4年間通っていた学校です。今でも建物はそのまま残っていました。
出迎えてくれたのは、モディ氏と同じ名字のモディ校長です。さっそく2枚の写真を見せてくれました。

金庫から慎重に取り出した白黒写真には、学校行事で劇を披露するモディ氏の少年時代の姿が写っていました。
モディ氏が演じたのはこの州に伝わる物語の勇敢なリーダーで、貧しい人を手助けする役だったといいます。

もう1枚はモディ氏が前にかがんだ姿勢で親指を額につけている写真。
2017年、すでにインドの首相に上り詰めていたモディ氏が、学校の土を額につけて敬意を表すしぐさを示した様子を写したものだそうです。

当初は学校を訪問する予定はなかったものの、たまたま近くを通りかかったときに急きょ予定を変更し、母校を訪れたと説明してくれました。

「少年時代は1日3回駅で紅茶売り」

次に実際にモディ氏が勉強していたという教室を案内してくれました。

ここでモディ氏の少年時代の話を聞かせてくれたのは、幼少期から教室で文字どおり隣で席をならべてともに過ごしてきたというデサイさんです。
デサイさんはこちらが質問する前に、せきを切ったように「友達」だったモディ氏とのエピソードを話し始めました。
デサイさん
「11年生の時、モディさんを含めて友達数人で過ごしていると、ビハール州から来たという占い師がやってきました。
1ルピーを渡すと、私たちの将来を占ってくれました。私の手相やモディさんの額を見てくれました。占い師は『あの男の子は偉大な宗教的指導者になるか、偉大なリーダーになる』と言いました。
私たちは『チャイを売る少年がまさか』と笑いましたが、それが現実になったのです」
デサイさんが話した「チャイ」とはインドでよく飲まれているインド式の紅茶のことです。インドでは道路脇の売店や駅などいたるところでチャイを飲みながら一息入れる人の姿を見ることができます。

デサイさんによると、毎朝6時、昼の学校の休み時間、それに夕方、1日3回近くの駅に行き、屋台でチャイを受け取ると列車に乗り降りする人に売っていたということです。

売れ行きは好調で稼いだお金は家族に渡していたといいます。

当時は、1日に何度も駅にチャイを売りに行かないといけないほどの暮らしぶりだったのか。

モディ氏の家の近くに住み、幼いころ母を亡くしてから、モディ氏の母親に、モディ氏とともに一緒に育てられたというシャマドバイさんは、こう証言しました。
シャマドバイさん
「お金なんてありませんでした。彼はやかんを持ってチャイを売っていました。家には穀物を粉にする機械があって、それが稼働していただけです」
シャマドバイさんは、いまもモディ氏とつながりがある印として「PRIME MINISTER」と書かれた白い封筒とモディ氏からの手紙を見せてくれました。
毎年モディ氏の誕生日にお祝いの手紙を送っていて、必ず返事を返してくれるのだといいます。

手紙は直筆ではなく個人的なメッセージはありませんでしたが、地元で使われているグジャラート語でこう書かれていました。
「あなたの気持ちのこもった言葉に私は圧倒されました。国民から常に頂いている計り知れない愛情をとても幸運だと思っています。私に対するこの信頼は、国のために私が継続的に献身するエネルギーを与えてくれる一番大きな力となっています」
デサイさんは学校での取材のあと、実際にモディ氏が少年時代チャイを売っていた近くの駅を案内してくれました。

駅舎の外にはやかんのモニュメントがありました。当時の暮らしぶりを伝えるシンボルとして新たに設置されたのだといいます。
駅の構内を見ると現在は小さな町としてはかなり整備されている印象で、当時チャイを販売していた屋台も保存されていました。
デサイさんは昔を懐かしみながら振り返りました。
デサイさん
「ここに来るとナレンドラバイ(モディ氏の名前を親しみをこめて呼ぶ)と一緒にチャイを売ったり話をしたりしていた頃のことを思い出します。
貧しい家庭の出身から首相になるとは思っていませんでした。しかし彼は自力でやってみせたのです」
当時のエピソードや暮らしぶりとともに、もうひとつ聞きたいことがありました。

若くしてヒンドゥー至上主義団体である「RSS=民族奉仕団」に入っていたことでも知られるモディ氏が少年時代にどのような信念を持っていたかでした。

デサイさんは、モディ氏は学校の図書館で政治や宗教関係の本をほかのジャンルの本よりも多く読んでいたと証言しました。

そして、この学校を出たのちに州の中心都市アーメダバードにあるRSSの事務所で指導者と出会い、政治などを学んだということです。
デサイさん
「子どものころから彼はRSSの活動に参加していました。ただ、その前からヒンドゥー教への信仰心を持っていましたし、愛国者でもありました。もともと愛国心は強くて、国のために働くことを目標にしていました。愛国心はRSSとの出会いによりますます強くなりました」

“グジャラート・モデル”訴え インドのトップに

モディ氏は20代前半にRSSの活動に専従するようになり、本格的に政治の道に足を踏み入れたのは1980年代です。30代のときにいまの政権与党・インド人民党に入党しました。

その後、党内で頭角を現すと、2001年には出身地であるグジャラート州の州首相に就任。

在任中、▼電力改革や港湾・道路などのインフラ整備を進めたほか、▼みずから企業に働きかけたり州主催の大規模な投資イベントを開いたりするなどして国内外の企業を積極的に誘致しました。
当時「インドで唯一、停電のない州」とも呼ばれ、高い経済成長をもたらしました。

2014年に行われた総選挙では「グジャラート・モデル」をインド全体に広げることを訴えてインド人民党を圧勝に導き首相の座に上り詰めると、2019年の総選挙でも再び圧勝しました。

“モディ氏を最もよく知る日本人”

モディ氏は首相としてどのようにして数々の政策を推し進めてきたのか。

その働きぶりを間近で見てきた日本人が首都ニューデリーにいると知り、訪ねました。

話を聞いたのは「モディ氏を最もよく知る日本人」と言われることもある豊福健一朗さんです。現在はインドに拠点を置く日系の自動車メーカーで取締役を務めています。
モディ氏がグジャラート州首相だった2007年、豊福さんは日本大使館の一等書記官として日系の自動車メーカーと州政府との窓口となり、初めてモディ氏に出会いました。

モディ氏の第一印象は「実務の人」。

豊福さんに会うなりすぐに具体的な仕事の話を切り出したといいます。
豊福さん
「私はほかの州政府ともこれまで仕事をしてきましたが、州首相とすぐに具体的で実務的な話をするというのは初めての経験でした。
『日本の自動車メーカーが輸出をしたいのであればグジャラート州に工場を誘致してほしい』といったやりとりを直接させてもらいました。ほかの州首相と比べても圧倒的に実務を自分でこなしていると感じました」

モディ氏の目に映る日本とは?

2014年にモディ氏が63歳で首相に就任すると、モディ氏はインド政府内に「ジャパン・プラス」という日印のビジネスを促進する窓口の設置を発表。

豊福さんはこれまでのモディ氏とのつながりを買われ、窓口の責任者としてインド政府に出向しました。日本人としては異例のことでした。

モディ氏がグジャラート州首相だったころから日本に特別な思いを持っていたことが背景にあり、特に注目していたのは日本の「規律」だったと言います。
豊福さん
「モディさんが州首相のとき、一緒に仕事をした3年間で20社の日本企業が工場をグジャラート州につくりました。モディさんは日本企業は時間を守る、整理整頓が行き届いている、決められたことをしっかりやる、といったことに感心し、この規律文化をインドでも広めたいという考えを持っていました。
そして、それをインド人の従業員の各家庭にも持ち帰って広げてほしいと話していました」
モディ氏はみずから「決まった時間に寝起きし、3時間半から4時間の睡眠時間以外は1日中働いている」と話すなど、ストイックで規律を重んじることで知られています。
だからこそ「規律」ということばが響いたのかもしれない。そう思いながら豊福さんに現在のモディ氏が日本をどのように見ているのか聞きました。
豊福さん
「インドが抱える課題の中でもモディさんが最も関心を抱いているのは農村がどうやって経済成長をしていくのかです。
これからインドで製造業を振興して雇用を増やすために高い技術で高品質な製品を作っていく土壌が必要だと考えているのです。そのために日本企業に工場を作ってもらって、インドの製造力を向上させようとしています」
貧しい家庭の出身で首相に上り詰めたモディ氏を間近で見てきた豊福さんは、モディ氏をある日本の著名人になぞらえて語ってくれました。
豊福さん
「農村の出身で首相まで上り詰めたということや、政策の実施能力の高さが日本の田中角栄さんに通ずるところがあると感じています。
モディさんの政治信念にはブレがなく、経済成長したいと思っているインドの農村の方々のために自分が働くんだという一貫した考えは変わっていないと思います」

モディ政権10年の課題 今後は?

盤石に見えるモディ政権ですが、足元では多くの課題を抱えています。

著しい経済成長を続けるかげで、その恩恵を受けられない人たちもいます。ILO=国際労働機関の報告書によりますと、2022年の大卒者の失業率は29%にのぼり、若者の失業が深刻化しています。

また、人口の6割以上が暮らす農村部では、かんがいや物流などのインフラが行き渡っておらず、農家の生産性の低さが課題となっていて、貧困から抜け出せずにいます。

総選挙の前には所得の向上を訴える農家による抗議デモが各地で起き、2月には首都ニューデリー近郊にデモ隊が押し寄せる事態となりました。
与党が大きく議席を減らすことになった今回の総選挙。

意外だったのは、与党がこれまで大票田としていた「ヒンディーベルト」と呼ばれるヒンディー語主体の州でも大幅に議席を減らしたことです。

「モディ政権が経済格差を拡大させた」という野党連合の批判が経済発展に取り残された人たちに支持されたと見られます。

インドはどこへ

わたしたち取材班は1か月半にわたってインド各地で“世界最大”の総選挙を取材しました。

大規模な集会やパレードなどにモディ氏が姿を現すと、熱狂的な支持者が「モディ、モディ」と繰り返し名前を叫ぶなど、各地でその圧倒的な人気を肌で感じました。
一方、そのかげで生活が苦しいと訴える失業者やヒンドゥー至上主義の高まりを懸念する少数派のイスラム教徒の声も聞こえてきました。

「すべての人に寛容で多様性を尊重する国であってほしい」

今回、初めて選挙権を得て投票したというキリスト教徒の18歳の女性は私たちのインタビューにこう訴えていました。
人口14億を超え、多様な民族、言語、宗教を抱えるインド。

“台頭する新大国”は総選挙をへてどこに向かっていくのか。わたしたちは今後とも注視していく必要がありそうです。

(6月4日 クローズアップ現代で放送)
ニューデリー支局長
味田村 太郎
1994年入局 神戸局 福島局 科学文化部 ヨーロッパ総局
ヨハネスブルク支局 WorldNews部などを経て現所属
アフリカ インドなどグローバルサウスの国々を中心に取材
ニューデリー支局 記者
山本 健人
2015年入局 初任地・鹿児島局、国際部を経て現所属
バックパッカーだった学生以来、8年ぶりのインドで取材
アジア総局ディレクター
白水 康大
2002年入局 主に報道番組のディレクター プロデューサーとしてニュース番組
クローズアップ現代 NHKスペシャルなどを制作 2023年9月から現所属
国際部記者
吉元 明訓
2012年入局 熊本局 青森局などを経て現所属
学生時代にアジア各地を巡りアジア・太平洋地域を担当 ウクライナ情勢も取材
政経・国際番組部
白瀧 愛芽
2009年入局 小児医療や学校での事件・事故の被害者などを取材
2023年夏より現所属 インドは初渡航 南インド料理を好きになる
酷暑期を避けてもう一度旅行に行きたい