ミャンマー軍と戦う民主派が傷癒やす タイ“秘密施設”とは?

ミャンマー軍と戦う民主派が傷癒やす タイ“秘密施設”とは?
「私は自分のためではなく、未来の世代のために戦い続けます。自分で選んだ道に後悔はありません」

民主派勢力として戦ってきた男性の決意は、ミャンマー軍との戦闘で左足を失ってもなお、揺らいでいません。

その男性が、再び前線に戻ろうとリハビリを続けるのはミャンマーではなく、タイ西部の国境の町メーソートに設けられた“秘密施設”でした。

(アジア総局記者 高橋潤)

「娘はまだ22歳だったのに」

「私が避難することを決めたんです。もし家にいたら、死なずにすんだのに」

5月中旬。

ミャンマーと国境を接するメーソートの総合病院で、腕と足にけがをして入院していた50代のミャンマー人男性が、こう語りました。
男性はミャンマー南東部、メーソートとは国境を流れる川をはさんですぐ対岸にあるミャワディに住んでいました。

4月19日の夜からミャンマー軍と少数民族側の戦闘が始まり、20日の朝には迫撃砲やミャンマー軍の戦闘機の音まで聞こえるようになったため、安全な場所に行こうと国境を越えてタイのメーソートへ逃れることを決めたと言います。

家族ら10人が2台の車に分かれて乗り自宅をあとにしましたが、その移動中、一行は銃撃を受けたのです。

前の車に乗っていた娘と娘の夫、そして知人男性の3人が亡くなりました。
娘を失った男性
「娘が運転する車が前を走り、私が後ろを走っていました。そして突然、銃撃を受けたのです。
娘の車が四方八方から撃たれるのを見ました。そして、私の車も銃撃を受け、娘の車は道路脇に転落し、見えなくなってしまいました。
娘が亡くなったのを知ったのは病院に着いてからです。まだ22歳でした」

国境周辺での劣勢続くミャンマー軍

2023年10月以降、少数民族側の一斉攻撃を受け、劣勢に立たされているミャンマー軍。

アメリカのシンクタンクはこれまでにミャンマー軍が半数の拠点を失い、クーデター前と比べて2万人程度の兵力を失ったと分析しています。
こうした中、南東部カレン州でも4月に入り、民主派勢力や少数民族の武装勢力が軍の拠点を次々に制圧。

4月中旬には、タイと国境を接する貿易の要衝ミャワディを制圧したと発表しました。

これに対し、制空権を握るミャンマー軍は戦闘機やヘリコプターで空爆を行うなど、戦闘が激化。周辺の住民などがミャンマーからタイへ逃れる動きが加速し、その数は一時3000人にのぼったのです。

負傷した若者が集まる“秘密施設”

取材で訪れていたメーソートの病院で担架で運ばれた1人の若者に出会いました。

右足の太ももから下がありませんでした。

付き添っていた女性に、日本のメディアだと名乗って話を聞くと、この男性が4月の戦闘で負傷した民主派勢力のメンバーであると明かしてくれました。そして、メーソートには、ミャンマー軍との戦闘で負傷した若者たちがリハビリなどに取り組む“秘密施設”があることも教えてくれました。

その場所は、市街地から離れた畑に囲まれた大きな一軒家でした。

場所を明かさないことを条件に取材が認められ、鉄製の扉を開けて中に入ると、多くの若者たちの姿がありました。
足や腕を失い、松葉杖や車椅子を使って生活している若者たち。

しかし、意外にもそこに暗い雰囲気はなく、若者たちは音楽を聴き、談笑しながらリハビリに取り組んでいました。

ミャンマー軍によるクーデターが起こった2021年の終わりに、竹でつくったベッド2床から始まったメーソートの“施設”。

ミャンマー軍と民主派勢力の戦闘が長期化する中、いまや100人あまりを受け入れる施設になっているということです。

「彼らは私を必要としている」

この施設を運営するミャンマー人のネイ・チ・リンさん。

少数民族の出身でヤンゴンの大学で法律を学んでいましたが、15年前、当時の軍事政権の迫害から逃れようとメーソートにやってきたと言います。
傷ついたミャンマーの若者を再び戦場に帰したくはないと思いながら、「前線に戻りたい」という本人たちの意志は尊重せざるをえないと、複雑な心境を語ってくれました。
ネイ・チ・リンさん
「私たちには選択の余地はなく、日々困難なことばかりです。私は家も失い、全てを失いました。だから、どんな困難にも対応できる覚悟はあります。
この状況で彼らは私を必要とし、それを断ることはできません。ただそれだけです」

「自分で選んだ道に後悔はない」

“施設”でリハビリに取り組んでいた29歳の男性に話を聞きました。

実家では家族で家畜を育て、生計を立てていましたが、2021年、ミャンマー軍によるクーデターが起きると、軍事政権に反対するデモに参加。
その後、デモ隊のリーダーを務めるようになりました。

しかし、当局に逮捕される恐れが出てきたため、男性はむしろ民主派勢力に加わって自ら武器を取って戦うことを選んだのです。

そして、4月のミャワディ制圧に向けた作戦で、ミャンマー軍との戦闘中に迫撃砲の破片が足に命中。応急処置をして病院に運ばれ一命は取り留めましたが、左足は切断せざるを得ませんでした。

傷口が塞がり、義足が使えるようになるまでにはあと4か月かかると話してくれた男性。「戦闘に加わったことで足を失ったということに後悔はないのか」とたずねると、間髪入れずにはっきりと答えました。
29歳の男性
「私はこれからも仲間とともに自分ができる範囲でミャンマー軍と戦っていきます。私が戦い続けるのは自分のためではなく、未来の世代のためです。
軍事政権を完全に崩壊させて初めて、民主主義、公正、平等、人権といった価値観を享受できる民主的なミャンマーになるのです。これまでも、これからも、自分で選んだ道に後悔はありません」

国境の町メーソートで見えるミャンマー

私たちがメーソートを訪れたのは5月中旬。

戦闘は一時と比べ落ち着き、国境もコンテナを積んだトレーラーが行き交うなど、一見、平穏を取り戻しているかのように見えました。

しかし、国境沿いでは不測の事態に備え、タイ軍があちこちで警戒にはあたる姿が見え、町はずれにいけば“秘密施設”で治療を受けながら、母国の自由を目指すミャンマーの若者たちの姿がありました。
今回、私たちの取材を手伝ってくれたのも、逃れてきたミャンマー人男性でした。

オーストラリアの大学で経済学を学んだ後、民主化の実現に加わりたいとミャンマーに戻りました。

しかし、軍によるクーデター後、地元の政党メンバーとして活動しました。仲間が次々に逮捕されるなど、身の危険を感じて妻と幼い娘2人を連れてタイに逃れ、各地を転々としメーソートにやってきたと言います。

ミャンマーで実権を握る軍は国境周辺で抵抗勢力側の攻勢にさらされるようになり、兵力不足を補うべく、徴兵制を開始しました。しかし、反発する若者たちは民主派勢力に加わったり、徴兵制を逃れようと国外に逃れたりしています。

ミャンマーはこれからどこに向かうのか。その動向をどこよりも間近でみることができるメーソートで、人々の話に耳を傾けていきたいと考えています。
アジア総局記者
高橋 潤
2000年入局 函館局、サハリン事務所、沖縄局、ウィーン支局、イスラマバード支局などを経て現所属 ミャンマー情勢などを取材